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伊吹有喜さん『今はちょっと、ついてないだけ』
中年世代は世界を狙ってはどうか、と心底思っています。世界を相手にひと暴れしてもらいたいですよね。
伊吹有喜さん
 はたからみれば平凡でも、人は心の中にそれぞれ異なる、複雑な思いを抱えて生きている。その姿を丁寧に描き出すのが伊吹有喜さんだ。新作『今はちょっと、ついてないだけ』は、失意のなかから一歩を踏み出そうとする三、四十代以降の男女が登場。それぞれの人生が絡み合って意外な道が拓けていく様子は、読み手の背中をそっと押してくれるような優しさと励ましが感じられる。
伊吹有喜(いぶき・ゆき)
三重県生まれ。中央大学法学部卒。2008年『風待ちのひと』(「夏の終わりのトラヴィアータ」改題)で第3回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、デビュー。第2作『四十九日のレシピ』が大きな話題となり、NHKでドラマ化の後、映画化。14年、『ミッドナイト・バス』が第27回山本周五郎賞候補、第151回直木三十五賞候補になる。他の著書に『なでし子物語』『BAR追分』『オムライス日和BAR追分』などがある。

シェアハウスに暮らす大人たち

 デビュー作『風待ちのひと』、ドラマ&映画化もされた『四十九日のレシピ』、続篇が刊行予定の『なでし子物語』、山本賞、直木賞の候補にもなった『ミッドナイト・バス』。伊吹有喜さんの作品にはいつも、人生という道の途中で止まった人が、新たな一歩を探る姿が描かれている。新作『今はちょっと、ついてないだけ』も、人生の停滞期を迎えた四十代の男性や三十代の女性が登場する。

「以前、『小説宝石』に、人生に行き詰って、これから新しいことを始めようかと迷う状態にいる人の短篇を書いたんです。そこから、同じような状況にいる人たちの連作短篇を書こうという話になったんですが、そのあとに書いたカメラマンの立花と相棒の宮川の掛け合いが楽しくて。それで、彼らがいろんな人に出会うことで相手も自分も少しずつ変化していく話を書くことにしました。なので最初に書いた短篇はここには収録されていないんです」

 バブルの末期、時代の寵児だった巻島という男のプロデュースによって、秘境を旅するテレビ番組に〈ネイチャリング・フォトグラファー〉という肩書で登場し、人気を博した立花浩樹。だがバブル崩壊後にすべてを失い、巻島の借金まで肩代わりさせられるはめに。その返済をようやく終えた今、気付けば立花も実家暮らしの四十代。ある日久々にカメラを手に取り、写真を撮る喜びを思い出した彼は、もう一度やりなおそうと上京を決意、中目黒の格安のシェアハウス〈ナカメシェアハウス〉に引っ越す。一方、母親の死、リストラ、妻から離婚の申し出というトリプルパンチを受けた同世代の宮川は立花のアシスタントを申し出る。ハウスの住人、三十代の瀬戸寛子は彼らの活動を冷ややかな目で見ているが、彼女もまた人付き合いが苦手で、人生にままならなさを感じている。

 書名は立花が上京を決意するまでを描いた第一章のタイトルであり、彼の母親が言うセリフ。これは伊吹さん自身、人に言われて心にずっと残っていた言葉だという。

「社会人になったばかりの頃に、占い師さんに言われた言葉です(笑)。当時、編集採用として出版社に入社したのに別の部署に配属になってしまって。毎日単純作業ばかりだったので、編集部に配属されて展示会やパーティに行く同期がきらきらして見えました。そんな頃、新宿の駅ビルの中でエレベーターを待っていたら、占いのブースにいるおばちゃまと目が合って、こっちに来いと声をかけられて(笑)。ついそこで話を聞いてもらったら、“大丈夫、今はちょっと、ついてないだけ。そのうちどかーんとツキが来るよ。世の中、そういうふうにできている”と言われたんです。“それは占いの結果ですか”と訊いたら“一言多い子だね”と言われ(笑)、そのあとちゃんと占ってもらったんですが、その結果はまったく憶えていません。ただ、“今はちょっと、ついてないだけ”という言葉はずっと耳に残りました」

 その後、小説家デビューするまでも紆余曲折はあったが、その都度、この言葉は慰めになったのだという。

すべてを失った元カメラマン

 中心人物である立花をカメラマンという職業にしたのは、

「バブルの頃からたった二十年間の間に大きく変化した世界に関係する人にしたいと考えた時、アナログからデジタルが主流になったカメラの世界が浮かびました。それに、人物を撮影するというのは、その人の人生を切り取るということ。切り取った人も切り取られた人も、少しずつ変わっていくという形で連作短篇にできるなと思ったんです。テレビ番組に出演していた人気カメラマンという設定にしたのは、やはりバブルの頃にはもてはやされて、不景気になったら切り捨てられた人が再起する、というイメージがあったからです」

 執筆時、伊吹さんは立花たちと同世代だったわけだが、

「同世代の男性たちの話を聞いていると、会社で不本意な部署に異動になったり、会社を辞めて別のことを始めたりしていて、自分たちは人生の岐路に立たされる年代なんだなと強く感じます。立花浩樹という人はちょっと特殊な立場にいますが、似たような状況を抱えている人はいるはず。実際、バブル崩壊の時に大きな借金をつくってしまって大変だった、という話も耳にしますし、その一方で、バブルの頃のいい部分が忘れられない人もいる。そういう状況にいるけれど、今またもう一回何かをやろうとしている人の象徴として立花を出しました」

〈ネイチャリング・フォトグラファー〉という肩書で秘境を探検して写真を撮るという番組に出ていた、という設定にしたのは、

「私が小さかった頃、『野生の王国』という、アフリカやアマゾンの動物たちを紹介する番組があって、子どもも大人もよく見ていたんです。その後、秘境を旅する〈川口浩探検隊〉のテレビシリーズもあったんですよね。アマゾンに大型ワニを探しに行ったりして、必ず途中でアクシデントに見舞われて。今見ると茶化してしまいそうな演出もあったんですけれど、子どもの時は固唾をのんで見ていました。そこから、子ども向けではなく大人向けに、格好いいフォトグラファーが見たこともない景色を撮りに行く姿を追ったドキュメンタリーという番組を考えたら、なんてよろしき絵柄だろうと、俄然楽しくなりまして(笑)。実際にそういう番組を見てみたくなって設定が決まりました」

 テレビ制作会社で人気番組を多数担当してきたのに閑職に追いやられ、ついに仕事も家族も失ってしまった宮川良和についてはどうか。

「四十代は早期退職する人もいれば、そろそろ出向する人もいて、自分はこのまま会社にいられるのか考える人も多いと思うんです。宮川の場合は奥さんの積もり積もった怒りも爆発してしまいますよね。昔は定年離婚とよく言われていましたが今はもうちょっとはやくなっている気がします。女の人がもう一度女として一花咲かせたいと思ったら、夫の定年よりももっと早く離婚を切り出したくなるでしょうし」

 背も高く精悍な顔立ちだが言葉数の少ない立花に対し、宮川は背は低く飄々としておしゃべりという、対照的な二人がいいコンビとなっていく。

舞台は中目黒のシェアハウス

 彼らが住む中目黒のシェアハウスの家賃が三万円というのは驚異的な安さだが、これは旗竿地に建って取り壊しもできない状態の古い建物という設定。

「編集者の方から中目黒は非常によい場所だと聞いていたんです。それで、元アパレル会社の社員寮だった物件を考えました。当初は女性限定で、おしゃれな女の子たちが住んでいた素敵なヴィンテージ・ハウスです。そこに我らが同年代の男性たちが転がりこんだらどうなるかと思って(笑)」

 今や住人がすっかりいなくなったため、男性の住人も募集することになったこのシェアハウス。たった一人残っていた住人が瀬戸寛子。化粧品専門店の美容部員、美容サロンのスタッフの経験もある彼女もまた、立花の仕事にかかわっていくことになる。

「着物の雑誌の仕事をしていた頃、カメラマンの人が必ず指名するヘアメイクさんがいて、二人のお仕事が本当に素晴らしくて。カメラマンの方との気心しれた雰囲気も印象に残っていたので、立花と瀬戸にはそのイメージもあります」

 立花の客としても、さまざまな人が登場する。婚活用の写真を依頼した佐山という女性はその後、手痛い別れを経験したあとに訪れた南の島で大胆な行動をとる。

「佐山は自分の顔を鏡でしか見たことがなかった人ですが、立花という他人の目を通して、きれいに自分を撮ってもらえたことで、冒険する勇気がわいたんでしょうね。写真にはそういう力がある。それで、今まで真面目に歩いてきた彼女が思わぬ行動に出ます。でも誰かを傷つけるわけではないし、ひとつくらいそういう冒険をしてもいいのかなと思いました。自分が佐山のような経験をしたら、ひざをついてがっくりするだけのような気がしますし、彼女が泣く場面では、私も本当に切なくなりました。でもそこから、気力を振り絞る姿が大好きです」

 撮影の依頼者の一人、岡崎は身勝手な行動で家族から疎まれてしまう男。そんな彼と立花ら、大人の男たちの他愛のない会話も楽しめる。

「同窓会のような場所で同世代の男の人たちの会話を聞いていると、仕事の話ではみんな立場があるのか奥歯にものが挟まったような言い方をしている人同士でも、昔好きだったアイドルの話になると、身を乗り出していて(笑)。その様子が印象に残って、大人の男性同士のボーイズトークという場面になっていきました」

 本書は四十代以上のさまざまなタイプの男性が登場する。元ベテランお笑い芸人の会田健という男も、立花の顧客となる。

「今の四十代はお笑いで育った世代というか、ドリフターズや『オレたちひょうきん族』や『THE MANZAI』という番組が自分の下地としてあるように思います。それでこの世代に身近なものとして、お笑いも書いてみたかったんです」

 一度芸能界を去った形となっている彼もまた、人生の再起をかけようとしている。立花を中心にさまざまな人生が絡まりあい、やがて新しい道が見えてくる。みな決して元の場所に戻るというわけではなく、新しい場所へ行くというのがポイントだ。

「それぞれが蓄積してきた経験ややり方というものは、もう通用しなくなったというわけではなく、たまたま前にいた場所で使われなくなっただけ。それぞれの事情で望まぬ所に身を置くことになった人たちだって、それらの蓄積を新しい場で活かすことは可能だと思います。彼らが発信することは、日本の若い層に受けなくても、同世代の層は厚いから、受け入れる人はいると思う。それに私は中年世代は世界を狙ってはどうか、とも心底思っています。世界を相手にひと暴れしてもらいたいですよね」

 本書の意外で痛快な展開を読めば、著者のそんな思いは伝わってくる。一方、立花は、かつて自分をプロデュースし失墜させた巻島と向き合うことにもなる。

「どこかでふんぎりをつけなければいけない気がしていました。最初は、二人に対決させるつもりでいたんです。でも書いてみたらそういう形にはなりませんでした。やはり立花にとって巻島は自分を見いだし、世に送り出してくれた人。それに完全な悪者というのはいないんじゃないかと思うんです。それで、思いのほか巻島に陰影が出てきました」

人生に勝ち負けはない

 本作には何度か「敗者復活戦」という言葉が出てくる。

「立花、そして会田のセリフとして出てきますが、私自身は本当は人生に勝ち負けはない、と思っています。そして今いる場所が不遇で、そこから自分が望む場所に行きたいと動き出したなら、もうその時点で次の入口に立っている、復活戦は始まっているんじゃないかと思います。少しずつ踏み出し、少しずつ蓄積して、振り返った時にずいぶん遠いところに来ていると思えたらいいですよね。そして、うまくいかない時には、“今はちょっと、ついてないだけ”と考えて、少しでも気が楽になれるといいなと思います」

 著者自身、昨年はプライベートでいろいろあり、思うように執筆が進まないという“ちょっとついてないだけ”の時期があったようだが、今年は刊行予定が多数。戦中戦後の少女雑誌の編集部の話、バレエ団の話、そして『なでし子物語』の続篇の連載がそれぞれ終了を迎え、単行本にする作業が待っている。また『BAR追分』シリーズも続篇が出る。ついてない時期を耐えた人は、頼もしい。

 

(文・取材/瀧井朝世)
 

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