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朝井リョウさん『世にも奇妙な君物語』
『世にも奇妙な物語』は自由だと思っていたけれど、小説のほうが自由なんだと気付きました。
朝井リョウさん『世にも奇妙な君物語』
 長寿番組『世にも奇妙な物語』を見て育ったという朝井リョウさんが、リスペクトをこめて上梓した『世にも奇妙な君物語』。番組の構成を踏まえて書かれたこのオムニバス、単なる企画モノではなく風刺小説として一級品。その創作にはどんな工夫があったのか。
朝井リョウ(あさい・りょう)
1989年生まれ、岐阜県出身。2009年『桐島、部活やめるってよ』で第22回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。12年に同作が映画化され、注目を集める。13年『何者』で、戦後最年少で第148回直木賞を受賞。14年『世界地図の下書き』で第29回坪田譲治文学賞を受賞。他の著作に『もういちど生まれる』、『少女は卒業しない』、『スペードの3』、『武道館』など。

念頭にあったのは映像化

 1990年から放送されているオムニバステレビドラマ『世にも奇妙な物語』。最近は番組改編期に特別番組として放送されている。ホラー、SF風などテイストなど内容はさまざまだが、そのほとんどはブラックなオチ。短篇ならでは切れ味の良さが魅力だ。朝井リョウさんもこの長寿番組に親しんできた視聴者の一人。放送25周年の今年、大胆にも番組の構成を踏襲したオムニバス『世にも奇妙な君物語』を上梓した。これがエンタメ風刺小説として見事な完成度。五話のバラエティの豊かさ、社会風刺の角度やオチのつけかたなども見事だ。

「子どもが見ても面白いミステリという印象で、物心ついた頃から放送を楽しみにしていましたし、週末の午後に傑作選が再放送されていて、それもよく見ていました。今、小説を書く時に仕掛けを作るなどミステリの要素を入れることが多いのは、この番組を見て育ったからじゃないかとも思います」

 というだけに、放送内容のこともよくおぼえている朝井さん。

「全5話なんですが、だいたい最初にホラーテイストのものがあって、2、3話目が不思議な設定の話があるんですよね。中谷美紀さんの『仇討ちショー』とか三浦春馬さんの『JANKEN』とか、奇妙な法律がある世界が大真面目に描かれていたりして。それで、最後はちょっとコントっぽいものがくる。すごく好きだったのは大杉漣さんの『夜汽車の男』という、夜汽車のなかで駅弁のご飯とおかずを同時に食べ終わるための配分を真剣に考える男の話でした」

 本作の5篇もそれにならった並びにした。実は、当初から映像化が頭にあったという。

「僕が『R25』に、この番組が好きで、自分も原作を作りたいと書いたら、プロデューサーの方がその記事を読んでくださって、お声がけいただいたんです。会うなら何か用意しなければ駄目だと思い、台詞だけを書いた話を4篇ほど持っていって読んでもらいました。番組として押さえておきたいポイントは現代風刺とどんでん返しだと言われ、ひとつだけ風刺がないものがあったのでそれは取り下げて、新たにふたつ、現代風刺が効いたものを書き足しました」

 その後話は進み脚本も作られたが、今年は25周年の特別企画が続くことなどもあり、小説の作品集が先に出ることになった。

 もちろん朝井さんの作品だけに、いかにもドラマのノベライズ、というものではない。しかも、5篇すべてを読めば、小説でしかできないこともやってのけていて、ニヤリとするはず。

「正直、直木賞を獲った後から“次はどういう話にするべきか”というようなことを言われ続けて、もっと自由に書きたい気持ちが強まっていたんです。私にとってフィクションの自由の象徴といえば『世にも奇妙な物語』でした。不思議な法律が制定されている世の中が出てきても、誰もその背景を論理的に説明せよ、なんて言わずに受け入れている。でも小説だと、現実にもいそうな明るいキャラクターを書いても“この子がこんなに明るいのは辛い過去があったから”というような説明がないと納得してもらえなかったりする。その窮屈さから離れたいと思った時に、今いちばん自由なフィクションはこの番組だと思ったんです。もともと大好きですし、ステージをお借りさせていただく気持ちで、リスペクトをこめて書きました。小説とはまた違う条件の下で中味を決めていくのは小説を書く身としては本来やるべきことではないかもしれませんが、今回は特例として自分に許可を出しました」

 以前から、小説を書く時のモチベーションは喜怒哀楽の“怒”だと語ってきた朝井さん。今回の5話のアイデアも、みんなが苛々しているであろう事柄から探していったという。番組プロデューサーにはじめて見せた時からすでに出来ていたのは1話、2話、5話。1話目の「シェアハウさない」では、フリーライターが取材のためにシェアハウスに入居する。自立した大人の住民たちが一緒に暮らす目的とは何か。

「みんながシェアハウスに苛々しているのは分かっていたんです。『テラスハウス』だって純粋に好きで見ているという人もいるけれど、いじってやろうという気持ちで見ている人も多い。その否定的な感情って、お洒落だからムカつく、というだけではない気がして。雑誌のシェアハウス特集などもたくさん見て僕が辿りついたのは、稼ぎもよくて精神的にも自立している大人たちが一緒に住む理由が見つからない、ということでした。彼らがこれ以上何をほしがっているのか分からなかった。そこから、この1話目の話を思いつきました」

 2話目の「リア充裁判」は、コミュニケーション能力促進法が制定された世界が舞台。人との意思疎通が重要視されるその世の中では、無作為に選ばれた対象者が能力調査会、いわゆる「リア充裁判」で審査を受けることになる。勉学にいそしんできた大学生の知子のもとにも呼び出しの葉書が届き、彼女は大人たちと対決するつもりで調査会に臨む。

「SNSに苛々している人も多いなとはずっと感じていて。“リア充”という言葉って、もともとは友達が多くて恋人もいる人を指していたけれど、最近は自分より考えが浅い人のことを言っているように思える。友達の多さに関係なく、バーベキューをやったりサッカーのユニフォームを着て渋谷の交差点に行ったりする人たちをまとめてリア充と呼ぶのは、たぶん自分を守りたいからだと思う。家にこもってたくさん本を読んでいる人からすると、そういう人たちが自分よりも物事を深く考えているなんてあってはならないことで、だから彼らのことをリア充と呼んで片づけているのかなって。でも実際は、人といっぱい触れあっている人のほうが悩みは多いかもしれないですよね。最近ではハロウィンで騒ぐ人が馬鹿にされていたけれど、衣装を用意して場所を確保して仲間を集めるのって、ものすごく能力が要ること。それができる人って、ひとつのプロジェクトを達成する能力が備わっている。決してそういう人たちは馬鹿じゃないと思っていて、ずっとモヤモヤしていたんです。それで、ああいう話になりました」

 この話を書いて、ひとつ気づいたことがある。

「映像化できるように気をつけたつもりだったんですが、これは主人公がずっと傍聴席にいて、動かないんです。ドラマ用に書いてもらった脚本を読んだら、主人公が動くシーンが加わっていて、ああそうかと思いました。『世にも奇妙な物語』は自由だと思っていたけれど、そういう点では小説のほうが自由なんだと気付きました」

 3、4話はアドバイスを受けて、現代風刺色を強めて新たに書いたもの。3話目の「立て! 金次郎」は幼稚園教諭の青年が主人公。園の各行事において、園児全員に平等に見せ場を作るように指示された彼は反発をおぼえる。保護者たちの要望にも振り回されつつ、彼が運動会で密かに計画したこととは……。

「モンスターペアレンツの話も書きたかった。今はCMでも、ちょっとでもクレームがくるとすぐに取りやめてしまう。それが気になっていました。それに、主人公にも結構正しいことを言わせたかった。運動会などで子どもから競い合う場を奪うことは、結局自分は何が得意で何がやりたいのか、自分で取捨選択する機会を奪うことになるんじゃないかって思って」

 4話目の「13・5文字しか集中して読めな」は、ネットニュースの記者の女性が主人公。少ない字数でさまざまな記事を配信する彼女の仕事を、聡明な小学生の息子も興味津々で見てくれている。しかし夫とは少々すれ違い気味。

「今はネットニュースに英訳できないような言葉が増えていますよね。テレビの視聴率が悪いことなどを最近は“爆死”といいますが、主演の人の名前を挙げて“〇〇、爆死”と見出しにあると、本当にその人が死んだのかと思われそう。そういう言葉の使い方がどんどん増えていくと、一体どうなっちゃうんだろうかと思う。それに、長い文章がどんどん読まれなくなっていることも気になっていました。僕自身、新聞の社説を読んでいて“文章長いな”と思ったことがあって、あの時は自分の偏差値が下がる音が聞こえた気がしました(笑)」

 最終話の「脇役バトルロワイアル」は抱腹絶倒もの。ここで、読者はあることに気づき、痛快に思うはず。内容はというと、実在の名バイプレイヤーの俳優たちが一堂に会して、突如競い合いが始まるというものだ。

「これは床が抜けて人が落ちる場面があるんですが、もしもミステリ小説だったら、どういう仕掛けで床が開くのかちゃんと説明しなくちゃいけない。でも『世にも奇妙な物語』なら、そんな説明しなくても受け入れてもらえる。すごくラクでした(笑)」

 ただ、「これが一番面白いけれど、一番映像化が難しい」と言われたのだとか。

「理由は、ここに出てくる俳優の方々に、失礼になるからオファーしづらいという(笑)。本人たちは面白がってくれるだろうけれど、事務所がどういうか分からないということでした」

 主人公の名は溝淵淳平。俳優の溝端淳平さんの顔がすぐ浮かぶ。

「前から思っていることなんですけれど、僕は“自分は不器用ですから”文化が苦手なんです。俳優さんたちを見ていると、サービス精神が旺盛でバラエティで上手に番組宣伝できるような人って軽んじられて、私生活を見せない人ほどミステリアスでアーティストのように思われている。僕は溝端君のような『ガキの使いやあらへんで!!』にも出るような人が軽んじられているのが納得いかないんです。この最後の話は、溝端君に向けて書いたようなものです。2年ほど前にお会いした時、ご本人にもこの内容をプレゼンしているので、大丈夫だと思います(笑)」

 脇役にありがちなエピソードも「あるある」とうなずけるうえ、急に俳優同士のバトルが始まるコミカルな展開がなんとも愉快。溝端さんをはじめ実際の俳優たちの演技で見てみたくなるが、

「これはコアなテレビ好きじゃないと楽しめないかも、とも言われてしまいました(苦笑)」

エンターテインメントがやりたかった

 それにしても、どの話も強烈に風刺が効いていて、朝井作品のなかではかなりブラックな部類に入る出来。しかも、驚かせるためのオチではなく、そこに現代への痛烈な批判がこめられている点も痛快だ。

「今まではメッセージを重視して、それに合わせて起承転結を作っていたんです。今回はオチを先に考えたので、全然作り方が違う。でも、単に仕掛けのための話になって、小説としては死んだものにはしたくなかった。風刺の効いたオチのある話と、メッセージ性のある話という両者が歩み寄った、中間地点の話になるよう心がけました。決してオチのためだけの話ではないと、自信を持って言いたいです」

 かねてより「エンタメをやりたい」と言っていた朝井さん。

「デビュー後すぐにエンタメ色の強い『チア男子!!』を書いてよかったと思っているんです。というのも、その後、本を出せば出すほどタブーみたいなものが見えてきて。バッドエンドのほうが深く見えるとか、難しいもののほうが高尚に思われて、超ハッピーエンドって軽んじられているなと分かって、僕がやりたいエンタメがどんどんできなくなっていたんです。僕自身、人を楽しませたいというより、人に考えてもらいたいという部分から物語が生まれることが多くて、本当は自分は純文学寄りなのかなとも感じます。書けば書くほどエンタメ作家から離れていく気がしていたので、このタイミングでエンタメが書けたことはラッキーでした」

 タイトルに関しては、

「ドラマよりも現代風刺が強くて、他人事ではなく自分事としてとらえられる話が多いんですよね。それで“君”の話でもあるという意味でこのタイトルにしました。できるなら、今後も“君”の部分のひと文字を替えながら、続篇を刊行していけたら、と思っています」

 その前に大きな企画も考案中だ。

「バレーボール部の青春小説を書きたいんです。佐藤多佳子さんの陸上部小説『一瞬の風になれ』がすごく好きなので、ああしたものにしたい。三部作+スピンオフの計4冊を書こうと思っているところです」

 

(文・取材/瀧井朝世)
 

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