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2005年12月号 【19】

 僕が敬愛している小説家が、これまた僕の尊敬している作家に対して、「視力の強い小説家」と書いていました。敬愛している小説家と尊敬している作 家の間には、おそらく20歳以上の年齢の開きが存在していると思うし、事実、小説家が現実にその作家に会ったのはたったの1回こっきり。そのうえ、当時、 小説家はまだ最初の小説も発表していなかった。 

 つまり小説家は作家のことを、一読者として「視力の強い」と表現しているわけですが、これがまた妙に胸にストンと落ちる。小説家は書きま す。普通なら恋愛小説になってしまうストーリーなのに、視力が強いためそうはならず、自分を取り戻す小説になっている。そして、この視力の強さで情事の際 の恋人の肛門の皺の状態まで描写してしまう。確かにこれでは恋愛小説にはならないかもしれない。 

 しかし、徹底的に対象を見つめる先にヘンリー・ミラーが書くような奇跡的な「恋愛小説」が存在する可能性もある。ただ、僕が尊敬している作家は、情事よりも都市や戦争や時代を見つめてしまうだけなのだ。

 このところ、いわゆる「ライトノベル」といわれている小説を読んでいて、この「視力の強さ」という概念を当てはめてみた。僕にとって「ラ イトノベル」は、世界を徹底的に視るという表現者としての行為を、最初から放棄してしまった小説のように思える。自分の身の回りに起こることすべてを視た いという衝動は、表現者なら誰しも持っているものだ。そしてその中から自らの伝えたいものを取捨選択して、自分なりの意匠で他者に向けて発信する。「ライ トノベル」に対し僕が感じている欠落感というのは、どうもこういうことへの物足りなさに発するものではないかなと考えます。

 それを描写するにしろしないにしろ、対象を徹底的に視るというのは、すぐれた小説家の資質のひとつだと思っています。つまりこれが「視力 の強さ」です。ライトノベルといわず最近の小説を読んでいて、この視力の強さに出合うことがとんと少なくなったように感じます。確かに昔に比べ、視る対象 のほうも多様化している。それらを視て、表現に昇華させることにもひどく困難がつきまとう。しかしだからといって、ストーリーだけの小説が生き残るとは僕 には到底思えないのです。

 ちなみに、視ることに徹底的に執着した作家、それは開高健という人でした。

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2005年11月号 【18】

 このところ立て続けに新聞記者の方とお会いしたが、そのたびに同じことを訊かれる。 
  彼らからよくなされる質問は次のふたつ。
〈・最近新設された文学賞や小説賞の審査員は、作家ではなく編集者や書店員が担当することが多いが、これは何故か。・受賞者に競うように10代前半の若い人たちが登場してきているのは、何か理由があるのか〉
  ・については、賞金2000万円(びっくりです)のP社の小説大賞や、書店員さんや読者の方も審査に加わるK社の青春文学大賞など、審査員に作家がまった く名を連ねていない賞は確かに近頃多い。わが「きらら」文学賞も選考は編集部があたっているので、記者の方からの問いかけにはこう答えている。
〈読者の側に立って賞を選んでいるのです〉と。
  これまでの賞は、選考委員は作家ばかりで、書き手が書き手を選ぶという仕組のものがほとんどだった。それは技量や技術が一定レベルに達したので、作家とい う職能集団への参加を許すという、いわば「許認可的」色彩が色濃かったように思う。作品に対する面白い面白くないという評価よりも、書き手の小説家として の能力を評価するという側面が強かった。
  つまり選考にあたって、小説の読み手の視点があまり重視されていなかったように思う。結果として、たとえ賞を受賞してもまったく読者の支持を得られない作 品が登場してきたりしていた。作家ではなく編集者や書店員の方たちが選考をする最近の賞の傾向は、やはりより読者の側に立って作品を審査していこうとする ことのあらわれだと思う。そこではもちろん書き手の技量や技術も吟味されるが、それより作品が持つリーダビリティや読者を引きつける力が最終的受賞の決め 手となる。
  このところ10代の若い受賞者が増えているのも、テクニックや能力よりも、この読者を捉えて離さない作品や書き手の魅力が重視されているからにほかならないと、・の答えを・の傾向に強引に結びつけて考えている。
  生活の中でメールのやりとりが日常的になっており、皆が若い頃から文章を書いたり読んだりに親しんでいる今日この頃、14歳だの13歳だのという若い受賞 者が今後も輩出することは想像に難くない。気がつけばいつのまにかそういう人たちが文学賞や小説賞の選考委員になっていて、はてどんな作品が選ばれるの か、とても楽しみではある。

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2005年10月号 【17】

 つい先日ある作家の方からこのコーナーを毎回読んでいるという連絡をいただいた。読んでいただいているだけでもこちらは嬉しいのに、あまつさえ「いつもその内容に感心している」というありがたい言葉も頂戴した。

 その方は僕も敬愛する作家のひとりで、とくに綴られる文章はいつも過不足がなく、軽妙な遊びを感じさせるのに味読してみると無駄がない。 まあ、アロハシャツを着たボディビルダーのような文章を書く方なのだが、曰く「とにかく、いつものあなたと違ってとても真面目な内容なのですっかり見直し た」というのである。その作家と僕がいつもはどういう付き合い方をしているかは、この発言で充分推し量られると思うが、僕としては褒められながらも、 ちょっと心外ではあった。

 このところ昔読んだ小説を書棚の奥からひっぱり出してきては夢中でページを繰っている。高校生の頃のものが多いので、鉛筆での書き込みが あったりしてつかの間ノスタルジーには浸るが、それよりもあらためて読む小説がまったく新しい物語として僕の中に入ってくるのが新鮮な驚きなのである。そ れはストーリーの細部を忘れていたとか、少年の頃に理解しがたかった感情や考え方が歳を経てわかるようになったとかいうのではなく、たぶん小説を読む僕の 中にあきらかな変化が起きているからのように思えるのだ。

 実はこの雑誌をやるようになってから、いつも小説とは何なのだろうかという問いが頭の中をぐるぐると回っている。人はなぜ小説を読むの か。どんな小説が人の心を動かすのか。そんなことを自問自答してきた。そして月に1回そういうことどもを僕としてはこのコーナーで発散してきたのだ。それ を称して敬愛する作家は「真面目な内容」と評したのだろうが、言われてみればそうかもしれない。最近、僕は小説にはとってもシリアスなのだ。

 今号から広谷鏡子さんの小説がスタートした。以前から気になる書き手ではあったのだが、この1年間みっちりやりとりさせていただいた。手法的にも少々冒険を試みることになる作品だが、読む楽しさを追求したものになると思う。どうかご愛読お願いします。

 敬愛する作家からはその後また連絡が来た。「僕と会うときも、たまには真面目な話を」

 了解しました。いつでも。そのかわり1年後にはきっちりと原稿をいただきますよ。

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2005年9月号 【16】

 「きらら」のホームページである「WEBきらら」で編集ブログが始まりました。編集部の若手3人が回り持ちで、編集部周辺に起こった出来事や小説 や映画の感想などについて書いています。スタートで「毎日更新」を謳っていたのですが、いきなり頓挫。先が思いやられましたが、その後の3人の頑張りで楽 しいコーナーとなっています。みなさんもぜひご覧になってください。

 さて、「きらら」もご多分にもれずなのですが、このところの「ブログばやり」には目を見張るものがあります。「ブログ」というのは簡単に言えば日記形式のホームページ。更新が容易なことから、いまこの形式で自分のホームページを開設する人が爆発的に増えています。

 また、ブログをまとめて単行本にしたものがベストセラーとなったり、最近ではブログで連載しながら小説を発表したりしている人も出てきたりしています。親しくしている小説家がこんなことを言っていました。

 「ブログの中で交わされるビビッドな言葉やひりひりする文章を前にすると小説を書くという行為がひどく困難なものに思えてくる」 彼自身 がWEBの世界に早くから親しみ、その可能性について熱く語っていたこともあったので、このような言葉が彼の口から出てくるのもひどく納得できることでは あるのです。

 思うに、「ビビッドな言葉」や「ひりひりする文章」というのは、たぶんブログを書き込む個人の感情に裏打ちされています。それはブログという「メディア」が極めてパーソナルなものであるがゆえの特性だと思います。

 翻って、小説はブログほどその度合は強いものではないような気がします。小説で使われる言葉や文章は、ブログの中で交わされるそれらよりもう少し温度も湿度も低い。それゆえ複雑な人間の内部や世界の構造に斬り込んでいけるのではないでしょうか。

 ブログで発表されている小説を読んでいると、ときどき外部とのコミュニケーションを敢えて遮断しているような作品に出合うことがありま す。それを読むのもまた貴重な体験ではあるのですが、果たしてこれを理解できる人が何人いるのだろうと考え込んでしまうことも少なからずあります。「ブロ グ」から独創的な優れた小説が登場してくる日も近いとは思いますが、前出の小説家の言葉が杞憂に過ぎないことを願うばかりです。

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2005年8月号 【15】

 最近、自分の中でじんわりとインスピレーションを受けた本に『現代小説のレッスン』という新書がある。とくに、著者の石川忠司さんが論じる〈純文学の「エンタテイメント化」〉という概念には、いろいろ考えさせられるものがあった。石川さんはこう書く。

〈結局、純文学の「エンタテイメント化」とは、活字でありつつ物語の豊かさを目指す方向性、言葉を換えれば、物語の豊かさを目指しつつ活字に踏みとどまる方向性であって、必然的に二重の課題を担っている〉

 ここで触れている物語とは、活字以前の話し言葉で語られていた物語を指す。そこでは語り手のパフォーマンスに支えられストーリー内容だけ でも充分に聞き手を惹きつけることができた。しかし、活字の時代が到来し、物語を語る主役が話し言葉から書き言葉になるにつれ(「物語」は「小説」へと変 身を遂げることになる)、ストーリーだけでは受け手(読者)を満足させることができなくなる。結果として書き手の個性に基づく数々の文学表現(純文学)が 誕生することになった。しかし、その表現が競われるにしたがい、今度は逆にストーリーが片隅に押しやられることになる。現代の文学が窒息状態になっている のは、まさにこの段階にあるからと石川さんは言う。そしてその打開策として、〈純文学の「エンタテイメント化」〉が提示されているのである。

 「きらら」で展開している小説が純文学であるかいなかは置くとして、いま小説が物語の豊かさを必要としているのは実感として得ている。か といってそれだけを志向する中で、読むものの心を動かす小説が生まれてくるかというと、それも断言できない。石川氏が言うようにそれらは不即不離のもので あるのだ。 

 小説は映画や芝居と異なり、著しくパーソナルなものとして存在している。長く続いた人類の物語時代を経て、活字を得た近代以後の小説は自 己表現の一部でもあるのだ。このところ小説の読者が減少しジャンルの存亡まで問われているが、いまこそこの表現とストーリーの幸福な融合が必要なのではな いか。ふたつの間で引き裂かれるのではなく、積極的な和解が急務とされているのである。独自な自己表現の果てに心躍らせるストーリーが存在するならば(ま たはその逆。まんざら不可能ではないような気もする)、まだまだ僕たちの小説も捨てたものではない。

( I )

2005年7月号 【14】

 僕がこれまでつきあってきた小説家には「嘘つき」が多い。「嘘つき」というと語弊があるかもしれないので、「嘘が巧い」ということにしよう。原稿 が上がらぬ言い訳として、「パソコンが壊れた」などというのはほんの序の口で、「今朝リンゴを剥くときに指を切った」とか「この場面にどんな花を咲かせた らいいかもう10時間考えている」とか「いま取材でインド洋にいるので港に着いたら送る」とか、親類縁者などにいたっては10人は入院している人もいる。

  端的に言えば、小説とは「嘘」である。たとえほんとうのことを書いたとしても、文字と言葉に定着された瞬間、その世界はどこまでいっても虚構なのである。 そして僕たちはその「嘘」の世界を楽しむ。というよりもその「嘘のつき方」を味わっているのかもしれない。となれば、小説家が「嘘が巧い」のはあたりまえ のことなのだ。

  今回の携帯メール小説大賞グランプリに輝いた池田月子さんの『どこにもない世界』をあらためて読んで、そんなことを思った。「彼」が話していた「心地よい 温度」のある話はすべて嘘で、嘘が発覚したいまも「彼」が語った世界から抜け出せないでいる自分。この作品のラストは、虚構である小説を読むことあるいは 書くことに対する根源的な問いかけとして僕には読めた。

  自らの現実存在をも曖昧にしてしまう魅惑的な物語、自分を異世界へと旅立たせる呪術のような語り口、僕はいつもそんな小説に出会いたいとページを繰ってい る。その意味で『どこにもいない世界』の「彼」は優れた小説家なのだ。受賞者の池田月子さんにはこれからもぜひ「彼」のような存在をめざしてほしい。おめ でとうございます。

  さて、今回のグランプリ審査の過程で、選考委員のおふたりも触れていましたが、応募作品の水準がこのところかなり上がってきたように思います。限られた字数の中ですが、こちらが驚天させられる世界や考えが詰まっている作品も少なくはありません。

  携帯メール小説大賞は、1年間で22の月間賞とふたつのグランプリ作品を選出しましたが、その他にも力を持った作品はたくさんありました。いずれかたちに するときが来るかもしれませんが、新しい作品の募集もこれからも続けていきたいと考えています。どうか素晴らしい「嘘」を期待しています。

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2005年6月号 【13】

 おかげさまで「きらら」も創刊1周年を迎えることができました。あらためて日頃のみなさまのご愛読に感謝いたします。

 1年がたち、執筆していただいている作家の方たちの顔ぶれもずいぶん変わりました。今号からは、これまでたびたび芥川賞にノミネートされ ている中村航さんの「100回泣くこと」がスタートしました。また創刊1周年特別企画として、進藤晶子さんの初めての小説も掲載させていただくことができ ました。

 小説に関しては、これからも他誌にはない、意欲的な表現の作品や読者の心に届く物語を載せていこうと考えています。とはいえ、掲載にあ たっては、とくに「きらら」のカラーというものは意識していません。それよりも重要視しているのは、書き手の方たちの小説に対する思いです。「きらら」は 小説の愉しみをもっと読者の方たちとわかちあっていきたいというところからスタートしました。そのことを一緒に考えていける方たちとこれからも私たちは仕 事をしていきたいと願っています。

 さて、掲載している小説と並んで、この1年間、読者の方たちから大きな支持をいただいたのが、毎回、書店員さんの方たちにご登場をお願い している「from BOOK SHOPS」です。このコーナーは「きらら」における書評のページといってもいいかもしれません。書店という現場から、いまどんな小説が読まれているの か、どんな作家の方が注目を集めているのか、貴重でヴィヴィッドな情報が数多く寄せられました。従来の書評とはまったく違う、かなり実践的な「書評」とい う評価も聞こえてきました。さらに読者の方たちからだけではなく、書き手の方たちからもとても参考になるという声も直接いただいています。私たちとして は、このコーナーを通じてさらなる奥深い小説の世界に触れていただければ嬉しい。これからも一層の充実を図りたいと思います。

 「携帯メール小説」にも、この1年間、予想を上回る多数のご応募をいただきました。小説を読むだけでなく書くことでも楽しんでいただきたいという趣旨からスタートしましたが、あらためてその反響には驚いています。 

 「きらら」は、これからも小説と「from BOOK SHOPS」と「携帯メール小説」を三本柱に、もっともっと多くの人に小説に親しんでいただきたいという熱い思いでやっていきたいと考えています。どうぞよろしく。

( I )

2005年5月号 【12】

 「from BOOK SHOPS」の書店員さん熱烈インタビューの取材で作家の絲山秋子さんにお会いしました。

 絲山さんには、以前、ある文学賞のパーティー会場でお話しさせていただき、「WEBきらら」の愛読者であることがわかり、以後、本誌もお 送りしていた。そのときの絲山さんは、「from BOOK SHOPS」の小普連コラムを楽しく読んでいると語り、とくに自著を取りあげてくれた書店員さんにくれぐれもよろしく伝えてくださいと最後に言葉を残して いった。すぐにコラムを執筆していただいた書店員さんに連絡を取り、絲山さんの言葉を伝えると、書店員さんの方もたいへん感激してくださり、僕たちもいい 仕事をしているという実感にひたることができた。

 書店員さんに小説家の方に直接インタビューしていただくという企画のヒントはこのとき生まれた。『きらら』の創刊号で、〈いま小説は書店 の店頭で生まれている〉と宣言したが、その思いはいまも変わらない。ならば、その現場で、読者の感触を直接肌で感じている書店員の方たちと実作者である小 説家の方に「きらら」の誌上で会っていただきたい、その思いでこの企画を実現した。形式的には書店員の方からいま会って話を聞きたい小説家の方をリクエス トしてもらっているが、今回の絲山さんの場合は「相思相愛」とも言っていい双方の出会いで、とても興味深い話で盛り上がった。詳しくは本誌でも読めます が、「WEBきらら」では、さらに詳しい内容を紹介していますので、そちらもご覧ください。  

 対談の中でとくに印象深かったのは、絲山さんが本の表紙を担当したイラストレーターさんと恐る恐る地元の書店さんを訪れたら快く受け入れ てもらったという体験や、書店さんのつくっているWEBサイトをのぞくことで毎朝が始まるという話でした。〈小説は書店から生まれている〉という僕たちの 考えに勇気を与えてくれる素敵なエピソードです。

 いい小説はどこまでも手づくりだと思います。それは読者と書店員さんと作家の方と僕たち編集者の緊密な連携の中でつくりあげられていくも のだと思っています。「きらら」は、常にそのコミュニケーションの場であり、実験室でありたいと考えています。これからも、たくさんの書店員さんといろい ろな作家の方たちに登場していただくつもりです。

( I )

2005年4月号 【11】

 「from BOOK SHOPS」の中で今号から始まった小普連インタビュー。書店員さんたちがいまいちばん気になっている小説家の方を招いて 繰り広げる熱いトークのページです。その第1回にご登場いただいたのがあさのあつこさん。あさのさんは創刊以来の『きらら』愛読者だそうで(ありがとうご ざいます)、とくに「from BOOK SHOPS」の小普連コラムは、いつも真っ先にご覧になっているということでした。

 先日も、ある文学賞のパーティーでお会いした作家の方が、『きらら』の「from BOOKSHOPS」は、書店員さんが自分たちの作品 をどう受け止めてくれているのかを知るのにとても参考になる、と言っておられました。また、ある女流作家の方からは自分の作品を取り上げてくれた書店員さ んへの感謝のメッセージを託されたこともありました。

 いまこんなふうに作家の方たちからも注目を浴びている「from BOOK SHOPS」ですが、『きらら』の中の唯一のコラム・ページとして、読者の方からも書店員の人たちからも大きな反響が寄せられています。

 そもそもこのページは『きらら』の中の書評ページとして始めました。そして私たちはその書き手を読者の方たちにいちばん近い場所にいる書店員の方たちにお願いしたのです。

 おそらく、いま送り手の側で、小説をいちばん熱心に読んでおられるのは書店員の方たちではないかと考えています。しかも彼らの立つ位置は ほとんど読者のすぐそばにあると思われます。ともすれば編集者や評論家たちが読者から遠く離れた場所で小説について論じてしまうことがあるのに比べ、書店 員さんたちの現実に裏打ちされたシャープなアンテナでとらられえた情報は、私たちにもたいへん参考になります。毎号、どんな意見やコラムが寄せられるの か、たいへん楽しみでもあります。

 『きらら』でも連載をされている西加奈子さんの『さくら』が、いま書店の店頭で大きな注目を集めていますが、この作品にも多くの書店員の方たちから編集部に直接、熱烈な支持の声をいただきました。

 小説に関していちばんホットな情報が集まる書店の店頭。私たちは読者とそれを結んだ延長線上で、これからも小説を発信していきたいと考えています。「from BOOK SHOPS」をこれからもよろしく。

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2005年3月号 【10】

 矢作俊彦さんの連載『ウリシス911』が始まりました。人類が月面に着陸した1969年の横浜を舞台にした青春小説になる予定です。矢作さんとしては長年温めていたテーマで、小説家としてのスキルが熟したいまだからこそ書ける作品だとおっしゃっています。

 矢作さんの小説を初めて読んだのはもう30年以上も前、『NOW』という雑誌に掲載された「神様のピンチヒッター」という作品でした。そ れまでの日本の小説にはない乾いた文章と洒落た言い回しにたちまち惹きつけられた記憶があります。湿っぽい話にもかかわらず、驚くほど読後感はすっきりと しており、それでいて心にざわめきを残す作品でした。 

 その後、矢作さんは78年に不朽の青春小説(勝手にそう呼ばせていただいています)『マイク・ハマーへ伝言』を上梓。この小説は不幸にし て「ハードボイルド小説」の隊列に並ばされ、以来ずっと不当な扱いを受けてきました。そのため、『マイク・ハマーへ伝言』からちょうど1年半後、村上春樹 さんが『風の歌を聴け』をひっさげて新しい小説の旗手として登場してきましたが、当時の両者の間に同じ匂いを指摘した人はずいぶん少なかったように思いま す(ちなみに両作品とも小説中にはビーチボーイズの音楽が登場します)。

 最近でこそ矢作さんは『ららら科學の子』で三島由紀夫賞を受賞し、単にハードボイルドの作家として語られることは少なくなりましたが、それでも『マイク・ハマーへ伝言』は、まだ村上春樹さんの初期作品に肩を並べて語られることはあまりないような気がします。

 矢作さんは日本の小説に常に新しい風を吹き込んできた数少ない作家のひとりだと思います。「きらら」には少し似つかわしくないと感じる読 者の方も多いかもしれませんが、彼が企ててきた小説への試みは、「きらら」の新しい小説に対するスピリットとかなり似通ったものがあるように思います。あ とはみなさんがどういう判断を下すか、今後連載が進むにつれて大いに楽しみでもあります。

 正直なところ、「きらら」の書き手はこうあらねばならないというしばりはあまりありません。これからも小説を面白がって書いていただける 執筆者の方と一緒にどんどん新しいチャレンジをしていきたいと考えています。みなさんもどうか小説というものを心ゆくまでお楽しみください。

( I )

2005年2月号 【9】

 本号で片山恭一さんの『遠ざかる家』が終了しました。片山さんはこの作品を基に、もうひとつ別の物語を加筆して、ほぼ書き下ろしに近いかたちで作品を発表するとおっしゃっています。連載おつかれさまでした。

 前にもこの欄で触れましたが、片山さんには「きらら」の創刊にあたって、私たちの今後の指標となる、とても貴重なメッセージをいただきました(ご興味のある方は「WEBきらら」をご覧ください)。

 その中で片山さんは、〈文芸誌は新しい書き手を発掘するための媒体であるべきだ〉と言い切っています。そして、〈「これからの人たち」のために、自分は しばらく書いたら、雑誌からは身を引く〉とも。その言葉の通り今回で連載は終わりますが、片山さんが身をもって示してくれた「きらら」の方向性は、私たち の中にはずっと残っていきます。

 さて、「きらら」の編集部も選考にかかわっている小学館文庫小説賞に、このたび15歳の高専生の作品が選ばれました。細部にまで書き手の意思がはりめぐ らされ、ぐいぐいと最後まで読ませる作品です。先月号で発表させていただいた「きらら」の携帯メール小説大賞のグランプリにも15歳の女子中学生の作品が 輝き、このところ「きらら」の周辺では時ならぬ15歳旋風が巻き起こっています。

 どちらの作品にも言えることは、とにかく抜群に書くことに習熟しているということ。自分たちがこの年代の頃に果たしてこれだけのものが書けただろうかと いうのが本音偽らざる感想です。そしてこの背景には携帯やパソコンを通してのメール文化の広がりがあると私たちはにらんでいます。

 音楽の世界でカラオケの普及が歌い手のレベルを上げデビューも低年齢化させていったように、メールは小説の世界に重要な変化をもたらしていると考えま す。16歳で『花ざかりの森』を雑誌に連載した三島由紀夫のような天才小説家が、近い将来何人も登場して、私たちを驚かせてくれるような気がします。

 小説にかかわるものにとってはこれほど胸が躍る時代もないように思います。

 これからもこの期待感をエネルギーにして、「きらら」は新しい小説の流れに真正面から対応して、小説の愉しみを追い求めていきたいと考えています。もちろん片山さんの言葉をしっかりとたずさえながら。

( I )

2005年1月号 【8】

 携帯メール小説大賞のグランプリが決まりました。受賞者は十五歳の女子中学生でした。 携帯電話というツールを介して少しでも小説に親しんでもらえればという趣旨で始めた試みでしたが、予想以上に多くの若い読者たちからの応募に、正直驚いています。
 もちろん四十代、五十代の方たちからも応募作品をいただきましたが(これもある意味では予想外でした)、とにかくいまの若い人たちにとって、こちらが考えている以上に携帯電話というものが「書く道具」として定着していることに、二重の驚きを感じました。
 当初は、携帯電話からの応募に限るといってもパソコンなどであらかじめ下書きをしてから携帯電話で送ってくるものもあるだろうと考えていたのですが、何人かの月間賞の受賞者に訊くと、最初から携帯電話に向かって書いているという返事がほとんどでした。
 しかも先月号でも書きましたが、どの作品も何かを伝えようという意思にあふれている。携帯電話という元来通信のために使用される機器の性格ゆえか、どの 小説も誰かに読んでもらいたいという気持ちでいっぱいなのです。 もちろん限られた千字という字数の中で自己表現ばかりを展開してしまうととても読み難い ものになってしまうという理由もあるのでしょうが、見事に他者に何かを語りかけるという作品になっているのです。それはたぶんひとり部屋の中でキーボード に向かって小説を書くのとは違う体験を与えているからだと思います。常に外部につながっている携帯電話を通して書く小説は、優れて他者を必要としているの だと思います。
『電車男』という小説が読まれています。ネット上の書き込みに対しいろいろな人が反応し、さらに書き込みを重ねながらひとつの物語がかたちづくられていっ た作品です。本として出版されたものはあまりにひとつのテーマに収斂させていこうという意図が働いたため、面白さは半減していますが、この作品も他者を必 要としていた小説のように思います。
 さいわい小誌の携帯メール小説大賞の応募作品は各月ごとに増加の一途を辿っています。さるサイトでもかなり多くの人たちがこの賞に対し関心を持っていた だいています。本当にありがたいことです。望むべくは、この携帯電話で書く小説が小説そのものの行く末にも影響を与えんことを。

( I )

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    悩むなら、旅に出よ。 旅だから出逢えた言葉U/伊集院 静

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    海が見える家/はらだみずき

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    ゴルゴ13ノベルズV おろしや間諜伝説/船戸与一 著 さいとう・たかを 原案

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    怒り 上/ジグムント・ミウォシェフスキ 著・田口俊樹 訳

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    十津川警部 犯人は京阪宇治線に乗った/西村京太郎

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