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万城目学さん『バベル九朔』
一生懸命無駄な時間を湯水のように使っているのが美しい姿やと思っています。
万城目学さん『バベル九朔』
 今年、作家生活10年目を迎えた万城目学さん。長篇としては2年半ぶりの新作『バベル九朔』は、いつもながらのファンタスティックな要素を取り入れつつ、小説家志望の青年が自らの夢と向き合う姿も丁寧に描かれる。これはもしかして自伝的作品なのか? その創作の裏側にあった思いとは──。
万城目学(まきめ・まなぶ)
1976年、大阪府生まれ。京都大学法学部卒。化学繊維会社勤務を経て、2006年に第4回ボイルドエッグズ新人賞を受賞した『鴨川ホルモー』でデビュー。同書は本屋大賞にノミネート、映画化もされてベストセラーに。『鹿男あをによし』『プリンセス・トヨトミ』『偉大なる、しゅららぼん』と、著作が次々に映像化されている。そのほかの著書に『ホルモー六景』『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』『とっぴんぱらりの風太郎』『悟浄出立』などがある。

ビルの管理人は実体験

 主人公の九朔満大は大学卒業後、会社に就職したものの小説家を目指し2年で退職。母親が祖父から受け継いだ小さな5階建ての雑居ビル〈バベル九朔〉の最上階に転居、管理人の職務をこなしながら小説をせっせと新人賞に投稿するが、芽は出ない。ある日ビル内の清掃中、サングラスをかけた黒ずくめの“カラス女”を見かけた日から彼の日常は少しずつ歪みはじめる。万城目学さんの新作『バベル九朔』は、珍しく関西以外、おそらく東京が舞台の長篇小説だ。主人公が小説家志望となると、著者自身が投影されているのかと思いたくもなるが、

「僕も大学を卒業した後に2年だけ会社勤めをしたのち、辞めて東京に来て親類が持っている築30年くらいの雑居ビルに移り住んだんです。デビューするまでの3年半ほどですね。その間新人賞にも応募していたんですが、デビューするまではずっと一次選考に通ったこともなかった。その頃のヤキモキ感や、雑居ビルの中の出来事を書いてみようと思っていました」

 九朔の設定はご本人と重なるようで、

「親に内緒で引越ししたのも同じです。東京の親戚に合鍵をもらって引越しして、落ち着いてから実家に戻って親に会社を辞めたことを伝えました。本に書いたように管理人としてゴミを掃除して蛍光灯を替えて、テナントから光熱費を集めていたのも本当ですし、本当にカラスが嫌だったし、廊下でネズミが死んでいたこともありました。あれは最低でした」

 その体験を小説にしようと考えた時、当初頭にあったのはまったく別のスタイルだった。

「作家のブコウスキーが好きなんですが、いちばん気に入っている『ポスト・オフィス』は、彼がデビューする前に郵便局に勤めていた頃の話です。お酒飲んでぐでんぐでんの生活をしていて、洪水になって郵便物が全部流れていったり、配るのが面倒で途中で全部捨ててしまったり。最後は上司に辞表を叩きつけて家に帰ってタイプライターを叩き始める。つまり作家・ブコウスキーの夜明け前の話なんです。これに憧れて、雑居ビルの中だけで完結するシチュエーションものにして、主人公は小説家志望の管理人、テナントの人たちとのやりとりなどをコミカルに書こうと思っていました。ファンタジーの要素はゼロだったんです」

 実際にそんな短篇を書き、『野性時代』2009年5月号に掲載した。のちに第1章となるこの短篇では、確かにビル内の日常が描かれる。4階の探偵事務所の四条さん、2階の居酒屋の店主双見くんら、テナントの人々も登場。

「その後、『ホルモー六景』を刊行した際、出版社でサイン本を作りながら、その短篇の話をしていて、ふと、漫画の『めぞん一刻』では、一刻館の住人は1号室に一の瀬さん、2号室が二階堂さん、そして5号室が五代くんだなと思って。僕が書いた話も階数とテナントの人の苗字が合っているとするなら、5階に九朔くんが住んでいるのはおかしい。彼は本当はもっと上の階に住んでいるんじゃないか、実はこの建物の中に謎の入り口があるんじゃないか……と思いついたんです。でも、思いついただけで、そのままにしておいたんです。というのも、それを小説にするのはしんどい道だと分かっていたから(笑)。ビルの中だけの話にするなら、これまでのように日常と地続きのところで何かが起きるのではなく、完全な異世界を作らなくてはいけない。でもその覚悟も自信もなかったんです」

 だが、その後、次作をどうするかという話になった時、まったくの新作か例の短篇の続き、どちらを読みたいか編集者に尋ねたところ、後者だという返答だった。

「“あー、続きのほうですか……”という感じでした(笑)。それが長い闘いの始まりだったんです。2014年に『悟浄出立』を出して、その3か月後くらいから書き始めたんですが、まず5年前に第1章を書いた時の気持ちを思い出さなければいけなくて」

 多少の変更はあった。たとえば本作で登場する謎めいた黒ずくめのカラス女は、雑誌掲載時には赤い服を着ている。

「最初は窃盗団の女ということで、峰不二子をイメージしたので赤い服にしたんだと思います(笑)。その時は記号的な存在として登場させておいただけでした。第2章でもう一度彼女を登場させて屋上でサングラスを外すところを書くまで、その正体をああいう設定にするつもりはなかったんです。あの場面を書いた瞬間に、振り幅がぴんと跳ねました」

 この奇妙な女性との出会いを経て、九朔はこの雑居ビルの中に広がる異世界へと足を踏み入れていくことになる。そこは大きな湖があり、そして巨大な塔がそびえたっている奇妙な場所。久朔がまず出会うのは一人の少女だ。ブコウスキー作品とは異なり超日常の要素を盛り込むことにしたのは、

「やっぱり現実だけの話を書く自信がないんですよ、書いたことがないから。どうしてもバンド構成じゃないと歌えないところがある。アコギ一本では難しいです」

 とはいえ、同じファンタジー要素にしても、これまでの作品とは異なるものになるよう、自分に課題を与えていた模様。

「今までは日常と地続きのところに非日常があるという、境界が曖昧な小説を書いてきましたが、今回は全然違う異世界にぱーんと行ってしまう話にしようと思いました」

 関西以外の場所が舞台であるのも珍しい。作中には明記されていないが、東京だろう。

「屋上から見た時にどこまでもビルが続く光景があるというのは東京ですよね。大阪だと海が見えるはずですし。自分が東京を書くとしたらどうしてもこうなるんです」

 苦心したのは異世界など奇妙な状況がどのように成り立っているのかの理論構築。確かに、なかなか複雑になっている。

「凝り過ぎですよね。でも、きちんと作らないと自分の中で世界観が崩れてしまうんです。書き進めている時は、将棋盤の前に座っているようなイメージでした。5、6手先までを考えて、袋小路に行きあたったら別の手を考え、うまくいくならその段階まで書いて、そこで次の手を考える、ということを一日中やっていました」

 大変な作業ではあったが、かといって嫌だったわけではない。

「最初から真面目に考えて設定をすべて決めていたら、もっと小さい話になっていたはず。たとえば第1章でちゃんと設定を詰めないで窃盗団の女を登場させておいたことから、“カラス女”が出てきたんですから」

 ちなみに、謎の女にカラスというイメージが加わったのには、この鳥に対していくつかの思い出や知識があったから。

「管理人をやっていた頃、寝ていると窓ガラスの横でカラスが生々しい声で鳴くんです。カラス同士が呼び合っているのが分かるんです。カァーと鳴くと遠くからカァーと返ってくる。その声の盛り上がり方を聞いただけで、今日はうちのビルのゴミにいいものがあるって喜んでいる、と分かるんですよ(笑)。いややわあと思いながら起きて見に行くと、本当にうちのビルのゴミが荒らされている。だからカラスの鳴き声がほんまに嫌いやったんです。でもその一方で『カラスの教科書』という本を読んでいると、カラスは太陽の黒点から生まれたという言い伝えや、国によっては昔話の中で神様と見なされていたりすることが分かって。カラスがゴミを漁る嫌な鳥という扱われ方をしているのは日本の都市部だけなんですよね」

 カラス女が現れた理由とは。その出現を機に迷い込んだ世界で、九朔くんは単に物理的に振り回されるだけでなく、自分の小説家になる夢というものと向き合わざるをえなくなっていく。

自分の夢と向き合う主人公

「ビルから一歩も出ない、つまり外に向かわないことによって、意図しないうちに小説家を目指している人の内面を重層的に掘り下げていくようになりました。主人公は建物の階段を上っていくのと同時に、自分の意識を下りていくという作り。こんなに主人公の内面とリンクして、夢や希望というものを扱った話になるとは自分でも思っていませんでした」

 夢や希望というのは、小説家になりたいという主人公だけでなく、バベル九朔を建てた彼の祖父や、テナントとして店を始めたもののうまくいかずに去った店子たちも抱いていたものだ。

 九朔も、自分が絶対にデビューできるとは思っていない。心のどこかでは、もしかしたら駄目なんじゃないかと気づいている。彼は巨大な塔のなかで「夢を見る」ではなく「無駄を見る」という言葉を耳にする。何かを夢見て懸命に頑張っても結局失敗に終わるのは、「無駄を見る」ということなのか──。

「本当は“無駄”という言葉を使わずに表現したかったんですけれど使ってしまいました……。僕も管理人をしていた頃に、いろんな変わった店を見てきたんです。最初は初々しくて明るい人が、商売がうまくいかなくなるとだんだん暗い雰囲気になっていく。金銭的余裕が人を変えるんですよね。そして夢破れて去っていく。でも僕は、そういうのもいいと思うんです。自分も小説家になりたくてなれない、その人たちと同じような状態だったので、全体的に好感を持っていました。今も、肯定する気持ちがあります。莫大な時間を費やしたのにうまくいかなかったとしても、その人たちにとっては無駄じゃないんです」

 実りがないとしても、力を注ぐ。それは昔から万城目さんが意識して書いてきたこと。

「『鴨川ホルモー』だって、何の見返りもあらへん競技をする話でしょう。僕は一生懸命無駄な時間を湯水のように使っているのが美しい姿やと思っています。いろいろ要領よく立ち回る人よりも、あかん感じの人のほうが好きというか。今回の話でも、そういう人たちがある役割を果たすというのは、最初から考えていました」

 といいつつ、万城目さん自身は小説家になることを夢見て、その夢を叶えているわけで、 「小説家になれた奴が、なる前の主人公を書くっていやらしいですよね。安全な場所から書いていると思われそうで……」

 では、小説家になることを夢見る九朔は、無駄を見ることになるのかどうか。終盤、彼は大切な決断を下すことになる。

「今まではだいたい、問題が発生した時にその大本となっている相手と主人公が対決することで解決し、原状回復する話を書いてきたんです。今回はそれ以外の方法で、ちゃんと最後も盛り上げて収束させる話を書きたいと思いました。はからずも自分の内面を掘り下げる話になったので、自分の意志で選択するという方法がいい気がして。選択というのは、自分対自分の対決で決着をつけるということでもありますよね」

 最後のビルの屋上の場面は、切なくも爽やかである。

「そこで九朔くんが何をするかは、最初から頭にあったんです。そのシーンにいかに接続するかが問題でした。九朔くんが世の中を守るため、自分に酔うでもなく、必要以上に深刻になるでもなく、どこか清々しく選択する、そんなシーンに見えるように書きたかったんです」

 最終的にはメタ構造も匂わせ、よく考えると、ラストはさまざまな解釈ができる。いろんな可能性を考えてみるのも楽しいだろう。

手に余るものを書けたら

 さて、10周年を迎えた今、この先どんなものに挑戦していく予定なのか。

「以前はファンタジー以外のものも書いてみたいと思っていたんですが、『悟浄出立』を書いて思いを遂げて、落ち着きました(笑)。今後書くものも頭にはありますが、書き上げた時にまったく違う話になっているかもしれないので、具体的なことはなんとも言えません。ただ、『バベル九朔』もそうでしたが、自分の手に余るものを書いていきたいですね。自分でも予想できなかったものを書けるのは幸せやし、勘として、自分でも持て余すようなものを書けるほうがいいんじゃないか、と思っています」

 

(文・取材/瀧井朝世)
 

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