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野中 柊さん『波止場にて』この本を手に取ってくださる方たちも、ストーリーに身を任せて、彼女たちと一緒に生きてくれたら嬉しいです。
野中 柊さん
 昭和とともに年を重ねていく異母姉妹。横浜と時代の移ろいを背景に、彼女たち二人の人生を描き出す野中柊さんの新境地の一作『波止場にて』。厳しい状況のなか凛として生きていく女性たちの姿を書こうと思ったのは、あの震災が大きなきっかけだったのだという。この物語に託した、さまざまな思いとは。
野中 柊(のなか・ひいらぎ)
1964年生まれ。立教大学法学部卒業後、渡米。91年、ニューヨーク州在住時に「ヨモギ・アイス」で海燕新人文学賞を受賞し作家デビュー。著作に『きみの歌が聞きたい』『彼女の存在、その破片』などの小説作品のほかに、エッセイ集、童話、翻訳作品なども多数発表している。

横浜で暮らす二人の少女

 関東大震災からほどなく、横浜で誕生した二人の少女。父親が生糸の貿易商を営む裕福な家庭に生まれた慧子、その父親の愛人のもとに生まれた蒼。二人が十歳になった昭和十年、彼女たちははじめて顔を合わせる。蒼の存在を知らなかった慧子は怒りに燃えるが、衝突の果て二人は心を通わせ、やがて唯一無二の親友同士となり、同じ女学校に通い、その後もともに人生を歩んでいく。

 野中柊さんがこの新作『波止場にて』を書くきっかけは、2011年にあった。

「3・11の直後、作家のインタビューやエッセイを読むと、“言葉を失う”というフレーズを頻繁に目にしましたが、私も同じようにショックを受けていました。無力感にとらわれて、こんなにも切迫した時代に、作家として何ができるだろう、と考えこむ日々でした。それで、親しい編集者の方たちとお話ししているうちに、やはり被災地へ行かなければ、ということになったんです。どんなにつらくても、自分の足で歩いて、自分の目で見ることが大切なのではないか、と。だから、あの年の秋に東北へ出かけていって、その際にお会いした方々から、さままざまなお話を伺いました」

 そこで、あらためて小説について考えた時、ストレートに3・11を書くことは自分の方法ではないと感じ、またしばらく考える日々が続いた。

「ある時、直感的に、関東大震災後の横浜を舞台にして書いてみよう、と思ったんです。長い時間のスパンで、登場人物たちの成長や生き方をじっくりと描く長篇小説にチャレンジしよう、と。そのために、たくさんの史料、文献を読みました。横浜を知る方々に取材もしました」

 では、なぜ横浜だったのか。もともと、以前逗子に住んでいた時期があり、よく遊びに訪れていたという。

「港町ならではの開放的な雰囲気と異国情緒があって、大好きな街なんです。日本の歴史を振り返っても、独特の土地柄ですよね。ペリーの来航により開港して、外国文化の窓口となった場所。当時の人たちは、おそらく戸惑う気持ちもあっただろうけれど、上手に順応して、やがて横浜という街を栄えさせた。そして、関東大震災では大きな被害を受け、ようやく復興したのも束の間、今度は第二次世界大戦の際に大空襲があって、またもや街を破壊されて。それでも苦難を乗り越え、しなやかに生きてきた人たちを描きたいと思いました」

 波止場、洋館の並ぶ住宅地、中華街など、街の風景の描写でも楽しませる。また、Wヒロインとなったことにも、意外な理由があった。

「昭和十年代に横浜のミッションスクールに通っていた方が“正妻のお嬢さんとお妾さんのお嬢さんが同じ女学校に通って同じクラスになっても、諍いもせず仲良くしていたわ。そんな時代だったのね”とおっしゃっていたと聞いて、二人の個性的な女の子のイメージが広がりました。あの頃は、裕福な男の人がお妾さんを囲うのが珍しいことではなかったようですが、複雑な事情のある異母姉妹が仲良くしていたというエピソードは、面白いなあ、と思ったんです」

 生真面目な慧子、大らかな蒼。性格が異なるからこそ、二人にとってお互いが居心地のよい相手となったようだ。

「女性を描く時には、その人格形成において、母親との関係を考えずにはいられないんです。この二人の場合、母親は、男爵令嬢の正妻と、カフェの女給だったお妾さん。となれば、娘たちもまったくタイプが違っていて当然です。正妻の娘の慧子さんはお嬢さん育ちで、ちょっと頑固で臆病なところもあるけれど、外に向けて開かれていくポテンシャルのある女の子。蒼はお妾さんの娘だからといって僻んだり卑下するところのない、のびやかな女の子。この二人の間に最初からすんなり友情が育つはずはないけれど、生まれや立場を乗り越えて、二人が協力し合いながら厳しい時代を生き抜いていく姿に、書いている私自身が励まされるのなら、読者の方たちも、生きていれば何でもありだ、何があっても生きよう、という気持ちになってくださるんじゃないかと思いながら書きました」

力を合わせて生きていく二人

 同じミッションスクールに通い学生生活を謳歌するのも束の間、やがて世の中は戦争一色となっていく。やがて蒼は学校をやめて路面電車の車掌となり戦時は運転手も務めるように。慧子も勤労動員として工場に駆り出される。

「男性が徴兵されて人手不足になったため、車掌として就職した女性が、電車を運転するようになったそうです。女性にとっては、たいへんな重労働だったようですが」

 また、大人の女性となっていくなかで、同じ人を好きになってしまうことも。ただし、この二人は奪い合って醜く争うことはしない。

「二人とも父親の美意識に感化されて育っている。だからこそ、身のまわりのものや音楽、ダンスなどの嗜好も似ていて、同じものを美しいと感じたり。となれば、同じ男の人を好きになってもおかしくないですよね。彼をめぐって奪い合いにならなかったのは、二人の性格にくわえて、時代背景もあったと思います。いつ彼が戦地に送られて死んでもおかしくない。そう思ったら、奪い合っている場合じゃなかったんでしょうね。とにかく、彼に生きてほしい、彼を守りたい、という切実な気持ちは、二人の間でしか分かち合えないものだったと思います」

 そう、彼女たちは「守ってほしい」という意識よりも「守りたい」という意識が強い。

「二人とも母性的ですよね。人は平和な時よりも、切迫した状況の時にこそ、生物としての本能を発揮するものなんじゃないかと思うのですが、戦争という事態に直面して、好きな人の命を守りたい、守りきれないのならば、彼の命を後世に、なんとか自分たちで繋いでいきたい、と彼女たちは意識的にも無意識的も感じていたんだと思います。とにもかくにも、必死だったんですよ。文字通り、必死だった」

 戦後、横浜ではダンスホールが流行し、女性たちは洋服を求めるようになる。その兆しをいちはやく感じ取った二人は、一緒に婦人服店を開くことにする。

「慧子と蒼には、働く女性の先駆けであってほしかった。だから、戦後、何かの事業を立ち上げてやっていくという進展を考えていました。どんな事業にするかは迷ったけれど、蒼の母が身につけている大正モダンの和服や、慧子が身に纏う、横浜の山手のお嬢さんらしい洋服の描写をするのが楽しくてならなかったから、二人には婦人服店を営んでもらうことにしました。父親が生糸の貿易商だったことの影響も、当然あるだろうと思いました」

 そしてもうひとつ、ミシンを使う仕事であることも要因だったという。

「戦時中、機関銃を作っていた銃器メーカーが、戦後、平和産業としてミシンを作るようになったらしいんです。そのことを知って、わたしもびっくりしたのですが、このふたつは製造技術が似ているんですって。物事には両義性がある、たとえば、善と悪、美と醜、清と濁は表裏一体だなあ、と常々感じているんですが、戦時中に機関銃だったものが戦後にミシンにとってかわるというのは、とても象徴的だと思いました」

 登場人物の、ある青年が、戦場で生死の境をさまよった時に、機関銃の音をミシンの音だと勘違いし、励まされた、と語る場面がある。

「もし機関銃の音を、そのまま機関銃の音として聞いていたら、彼は絶望のあまり、死んでしまったかもしれない。彼だけでなく、この時代を生き抜いた人たちは誰しも、絶望に傾き過ぎることなく、なんとか、かろうじて希望を見出すことによって、苦難を乗り越えたのではないかしら、と考えたんです。意識が朦朧としている時に、機関銃の音をミシンの音と聞き違えるような、ごくささやかな希望。でも、それこそが生存本能そのもので、生きるための大きな支えになるんじゃないか、と」

 ただ、命を落としていく人たちだっている。

「この作品で書きたいことはたくさんあったのですが、魂についての考察もそのひとつ。人はどこから来て、どこへ行くのか。死んだらどうなるのか、輪廻転生はあるのか。ことに、3・11の後、多くの方たちが亡くなられていくさまを映像で見てしまったため、生と死について日常的に考えるようになって。亡くなられた方たちの無念さ、ご遺族の悲しみを思うと、魂の不滅を信じずにはいられなくなりました。もちろん、戦争の犠牲になった方たちの魂についても同様です」

 この小説のなかでも、多くの人が命を落としていく。なかには空襲の後、遺体が見つからず、生死がなかなか分からない人も。

「戦争にしても災害にしても、犠牲になった方のご遺体が見つからない、というのはご遺族にとっては、本当につらいことだろうと思います。亡くなった方のご遺体をお骨にして、お弔いをすることは、大切な人の死を受け入れていくために必要なこと。でも、この小説のなかでは、ある人の遺体が見つからなかったことについて、登場人物たちは、死を受け入れる覚悟ができるまで、亡くなった人の魂の計らいで、生死が分からなかったのかもしれないと解釈する。そういった魂のありようを、私も信じたい気持ちになっています」

若い人たちに読んでもらえたら

 冒頭と最終章では、現在の慧子が登場。蒼の曾孫にあたる小学生、現代っ子の美帆との交流が描かれる。

「ジェネレーションの離れた二人の友情を描くところから、この小説を始めたかったんです。文芸誌で2年間連載をして、原稿用紙千枚近い作品になったのですが、1年かけて推敲を重ね、最終章はまったく新しく書き直しました。最後の最後で登場する少年がいて、その場面はページ数にしたらほんのちょっとだけだけれど、彼の存在を生み出すのに、私には1年という推敲の時間が必要だったのだと思います」

 この少年は、アメリカからの帰国子女で、アリゾナ州のフェニックスにいたと語る。

「フェニックスは半導体の産業が栄える、エレクトロニクスの街。そして、その地名は、火の鳥という意味でもある。この少年は現代のアメリカに対して、憧れも幻想も抱いていないと思います。そして、戦後しばらくはアメリカの占領地だった横浜には、昔も今も美しい海が広がっていて、少年と少女がいて、新しい時代が来る予感がする。そんな光景でこの小説を書き終えることができて、私自身が救われた気がしました。若い世代の彼らが、今後どのような日本を作っていってくれるのか、楽しみです」

 女性たちがたくましく時代を生き抜いた姿を描き、最後には希望を感じさせてくれるこの物語。しかし執筆中は本当に苦しかったという。

 書き終えてこうして本になった今、改めて思うこととは?

「執筆のために、戦前戦中の日録を読んで痛感したのは、日々のささやかな出来事の積み重ねが時代や歴史を作っていくのだ、ということ。ふと気づいた時には、時すでに遅しで後戻りできなくなっている。当時の戦争に向かっていく状況が、今の日本のありようとこわいくらいに似ていて、危機感を抱かずにはいられません」

 だから、歴史的な事実なども、当初の予定よりも書きこんでいくこととなった。

「私の世代は、祖父母も両親も戦争を体験していて、話を聞く機会がありました。どんなにひどく、つらいこどだったか、と。近しい人が語る話なので、共感しながら熱心に耳を傾けた。でも、若い世代の方たちになると、家族のなかに伝えてくれる人がいない。それならば、小説というかたちで表現して語り伝えていくことが大切だと思ったんです」

 物語の力は、そういう時に発揮される。

「小説を読んでいると、登場人物たちと一緒に、いろんな感情を味わうことができる。それこそが物語の力だと思います。私自身も書いている間、平和を祈りつつ、慧子や蒼と共に生きました。この本を手に取ってくださる方たちも、ストーリーに身を任せて、彼女たちと一緒に生きてくれたら嬉しいです」

 

(文・取材/瀧井朝世)
 

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