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羽田圭介さん『メタモルフォシス』基本的にものを書く時には、既成の価値観を疑うという意識があったかもしれません。
羽田圭介さん
SMをモチーフとした「メタモルフォシス」が第151回芥川賞の候補となって話題を呼んだ羽田圭介さん。その中篇ともう一篇、こちらもマゾヒズムに目覚めた男が登場する「トーキョーの調教」を合わせた『メタモルフォシス』を上梓した。毎回テーマやテイストを自在に選ぶ彼が、なぜ今回このような題材を選んだのか。
羽田圭介(はだ・けいすけ)1985年東京都生まれ。明治大学商学部卒。2003年「黒冷水」で文藝賞を受賞。08年「走ル」、10年「ミート・ザ・ビート」、14年「メタモルフォシス」で芥川賞候補となる。

立場の逆転に興味があった

 新作『メタモルフォシス』に収録されているのは二篇。表題作は、SMクラブに通い、マゾヒズムの快楽を追求する証券会社勤務のサトウの試みを描く。芥川賞候補にもなって注目された中篇だ。もう一篇の「トーキョーの調教」は、キー局のアナウンサーとなって十三年目、妻子のいるカトウが主人公。ささいなことからSMプレイに興味を持ち、ホテルに女王様を呼ぶようになる。が、その女性は彼がアナウンサースクールで教えている生徒であった……。初心者の「カトウ」の発展系がベテランの「サトウ」のようにも思えるこの二篇。

「正直なところを話すと、単行本を出す時に『トーキョーの調教』だけでは枚数が足りないということで、じゃあSMつながりでもうひとつ作ろう、ということで書いたのが『メタモルフォシス』だったんです(笑)」

 と、著者の羽田圭介さん。では「トーキョーの調教」を書いたきっかけはというと、

「以前『隠し事』という、恋人の携帯メールを盗み見る男の話で、立場が変わればメールの文面の持つ意味合いも変わってくる、ということを書きました。その立場の逆転という題材をもっとうまく書けないかと考えた時に、SMというものが浮かんだんです。でもそこから考えを練っているうちに、2年かかりました」

 キー局のアナウンサーを主人公に据えたのは、

「アナウンサーがニュースで読む社会的な言葉というのは非常に曖昧、という印象。そういう人がSMで言葉のプレイをやった時、どうなるかを考えてみたかった。アナウンサースクールの講師にすれば、若い女性との接点が生まれるだろう、という考えもありました」

 主人公のカトウはマゾに目覚めつつある男であり、プレイは初心者であるが、

「素質のある人が不思議の国に迷い込んでいく感じを出そうと思いました。それで人がSMにハマる要素って何だろうと考えたのですが、取材をすると、同じ経験をしてもSMにハマらなかった、という人が大多数なんです。人が何かにハマるきっかけって突き止めようがないんじゃないか、としか言えなくなってしまって。それで、ハマる原因が分からないならその過程を省いて、最初から熱中している人を書いたほうがいいのではないかと思ったのが『メタモルフォシス』でした」

 こちらはたった2カ月で書きあげたというが、

「前の2年でいろいろ調べてあったからこそ短期間で書けたといえますね。じっくり書いていたらもっといろいろ付け加えていたと思いますが、結果的にシンプルになってよかった。2年くらいかけて書くと、書き手の思考も変わって登場人物の思考にも影響してしまう。これは一気に書いたから、作家と主人公の思考を一定の温度で保つことができました。『トーキョー〜』が、わりとコンセプチュアルな小説だったので、今回は等身大にしようと思っていました。それから、『エイリアン2』が“今度は群れで来る”という話であったように、今回は女王様も奴隷も複数出そうと思って(笑)」

 タイトルの「メタモルフォシス」は、この言葉の本来の意味である動物が幼虫から成虫になるまでに形態を変える「変態」と、性的倒錯を指す「変態」とのダブルミーニング。

「すごく分かりやすいと思ってつけたのに、メタモルフォシスというと『変容』と訳す人が多いみたいで、二つの意味を込めているということになかなか気づいてもらえません(笑)」

自虐性を追求する男

 エンタメ性も意識して、一人の男の不審死のニュースを主人公のサトウが知るという、ミステリー風の書き出し。彼は死んだ男がSMクラブでの常連仲間であり、プレイ中に死んだのだと直感する。サトウの職業は証券マンだが、ネットでも取引が盛んな昨今にもかかわらず、窓口業務をメインとする、時代に遅れた証券会社。

「ブラック企業の社員にするつもりはなかったのですが、主人公がSMに走るためにも、日常が満たされない設定にしなくてはいけなくて。“隷属”ということは『トーキョーの調教』で書いたので、今回はあまり意識していませんでした。証券マンにしたのはどうしてだろう……小説内にキーワードとして1987年10月19日のブラックマンデーが出てきますが、10月19日って僕の誕生日なんです(笑)。それで憶えていたからかもしれません」

 と、偶然の産物のように語るものの、サトウの立場からは、単なる会社内の閉塞感だけではなく、今の日本社会の経済的な行き詰まり感も浮き彫りになってくるところが巧み。

「今の出口の見えない経済の状況は意識していました。そうした大きな問題を打破したいという壮大な使命感と、その活力をSMに費やす馬鹿馬鹿しさというものが重なっていったように思います。この小説は、何かにとりつかれている人の話、一点突破で何かを変えようとしている人の話なんです。今って馬鹿馬鹿しいことに熱中している人って減っているように思う。主人公がやっていることは、なんでも効率的にやろうとすることに対する抵抗運動でもある。そういう姿を描きたかった」

「トーキョー〜」のカトウに比べ、サトウはかなりベテラン。夜の公園内の暗がりのなかで、黒色ビキニで亀甲縛りという格好で放置されるといった行為に快楽を見出している。戯れている男女のカップルを見て、心の中で「変態めが」と、つぶやく様子など、彼のメンタルがなんとも興味深い。 

「想像してみて、自然とサトウはそう考えるだろうと思いました。男で何かにハマっている人って、自覚なく何かをやっている人に対して差別的になるところがある。それはSM以外にも通じることだと思います」

 サトウはあえて過酷で自虐的なプレイを望み、それはどんどんエスカレートしていく。彼は〈ただの習慣を本能や正常行為だと勘違いし豚のように安定を求める世間の人々が幸せだと思っていることや身体が直接的に快楽だと思うことを疑わなければならないということは知っている〉と思う人間なのだ。その姿勢は馬鹿馬鹿しくストイックではあるが、何か核心を突いているようにも思わせる。

「主人公は勝手に自分で罪を背負おうとしている。最近、大きな問題と自分を結びつける流れもあるように感じていて。でも大きな問題を考えつつもおやつも食べたいと思っているような、大きな問題と小さな事柄との間を極端に振れる感覚が流行っている気がします」

 サトウの場合、大きな問題が個人的なSMに結びついたわけだが、

「SMは分かりやすく可視化できるものですけれど、他にも、なんで誰にも頼まれていないのにこんなに苦しいことをやっているんだろう、ということは沢山ある。今回、調べれば調べるほど、SMについての思い入れが強くなるというよりは、同じようなことが世の中にはごろごろ転がっていて、みんな無自覚にやっているんだな、という思いが強くなっていきました」

 無自覚にやっている苦行といえば、例えば?

「自分が小説を書いていることだってそうですよね。究極のことを言えば、頼まれていないのに人間は生きている。勝手にいろんなことをやっている。ただ飯を食べて寝るだけじゃなくて、ビルを建てたりしている。そう考えると、いろんな物事というのがSMと同等に見えてくる。だからSMに限らず、奇抜とか蔑まされがちなことでも、安易に馬鹿にしたり上下の目線で観たりするのはやめたほうがいいんじゃないか、って思う」

参考になったのは意外な小説

 そもそも、人は自分がノーマルだと思いがちだが、きっかけさえあれば、他者から理解されない領域に足を踏み入れる可能性は誰でもゼロではない。

「機会にさらされないとそういうことは分からないだけで、気が付いていない。ありとあらゆる機会にさらされないと、何に対して自分がどういう反応をするか分からない。それもあって、そう簡単に他人を馬鹿にしちゃいけないという思いは強くなりました」

 とはいえ、サトウがどんどん自虐的なプレイにハマっていく場面では、多くの人は心地よくは読めないだろう(食事中は読まないほうがいい)。描写の生々しさもあっての効果であるが、取材はどのように行ったのか。

「詳しくは明かせませんが、想像で書いた部分も多いですね」

 資料として、SM小説をかなり読み込んだという。

「でも、店舗やお店の管理下でのプレイシーンそのものを書いたものが少なくて。プレイ最中の緊迫感ってどういう風な書きようがあるのか苦しみました。でも、SM小説から学ぶのは二番煎じになるから、別なものから学んだほうがいい、とも思いました。それでヒントを探していた時に、藤沢周さんの『武曲』という剣道の小説を再読したんです。間合いを測ったり、まだ振るってはいない剣の筋を読んだりする感じがとても参考になりました。この小説が剣豪小説みたいな要素がある、と言われるのは、そのせいだと思います(笑)」

 読み進めていくうちに、女王様を演じる女性たちにも興味が湧いてくる。

「店舗で働いている人に関しては、意外と動機は不純なんじゃないかと感じました。つまり本当にSというわけではなく、お金目的ということですよね。でもコスチュームを着て状況を作っていくうちに中身が染まっていくことは充分ありえて、それは他の様々なことにもあてはまると思います」

 また、それはちょっと恥ずかしくないのだろうか、と思ってしまうのは男性の常連客同士で顔見知りになる、ということ。

「客同士が仲良くなることがある、とは聞きました。互いに顔が知られるのは嫌だろうけれど、嫌だからこそ、いいのかなって(笑)」

 そう、自虐的なことを望む彼らにとっては、肉体的、精神的、社会的にも避けたいことが快楽だったりするのだ。そのため(Mの要素を持ち合わせない)読み手の感覚と、主人公の感覚が乖離していくところも、読んでいて新鮮。

「命令されてすごく嫌なことをするのも、彼らにとっては快楽なんでしょうね。SMのDVDも観ましたが、女王様に命令されて、男性同士の行為が延々と続くものもありました。表面的にはゲイのためのビデオのように見えるのに、中身は正反対。メンタリティによって表面的なものの見方が180度変わるというのは、SMの特徴だなと思いました」

表面に見えるものを疑うスタンス

 表面と内面では、まったく違う景色の広がる世界。表面的に見えるものを疑う、という点は、これまでの羽田さんの作品でも垣間見えた。

「今まであまり自覚がありませんでしたが、基本的にものを書く時には既成の価値観を疑うという意識があったかもしれません。それが分かりやすく出てきたのが、今回の作品なのでは。それと、何かに取りつかれた男が一点突破しようとする姿は、他の小説にもあると今回気づきました。デビュー作の『黒冷水』だって、机の中を漁るという一点突破でしたし(笑)。そもそも、例えば爽やかできれいな青春ものを楽しむ感受性が自分にはなくて。もっと下品な問題のほうが切実さが宿っている気がするんです。だから純愛というよりは浮気の話のほうが面白いと思ってしまう」

 では、今後どんなテーマに取り組んでいくのかというと、

「日本社会のなかでの内輪文化の排他性についてや、株についての話などを書いています。株のほうは、自分は合理的に未来予測できると思って行動している人の合理性の脆さについて書きたいなと思っていて。何が起こるか分からないのだから、謙虚になろうよという気持ちが最近強いですね。自分が謙虚じゃないのに(笑)」

 

(文・取材/瀧井朝世)
 

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