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 伊吹有喜さん『なでし子物語』
  いつ読んでも古びずに新鮮に思えてワクワクする、
  “エバーグリーン”な話にしたかったです。








ドラマ化もされ、映画化も決まった『四十九日のレシピ』でブレイクした伊吹有喜さん。第三作となる『なでし子物語』は1980年、静岡県の山間の里のお屋敷が舞台となる長編。奇妙なめぐり合わせで一緒に過ごすこととなった少年と少女と一人の女性が、互いの冷え切った心を少しずつ温めあっていく。一行一行丁寧に読みたい、心に沁みる物語。


峰生という架空の里の物語

 静岡県、天竜川流域の山間の里、峰生。そこには江戸の頃から山林業や養蚕業で栄え、事業を広げてきた遠藤家が持つ常夏荘がある。広大な敷地には邸宅のほかゲストハウスや使用人が住む長屋や蔵が建ち並んでいるという。

 時は1980年。一族はすでに東京に拠点を移し、女主人と使用人が静かに暮らしている常夏荘に、7歳の少年と10歳の少女がやってきた──伊吹有喜さんの新作『なでし子物語』は、拠り所を失った女性と少年少女の出会いを丁寧に描き出す長編だ。

「以前、立秋をテーマにした短編の依頼をいただいた時に、峰生を舞台に旧暦の七夕にまつわる30枚の掌編を書いたんです。そうしたら編集者の方から峰生の四季折々を描いたものを読んでみたいと言われて。私の中ではすでに常夏荘の設定がはっきりとできていたので、とても嬉しかったですね」

 短編はそのまま発表せず、新たに書き下ろした長編が本作というわけだ。ちなみに峰生は架空の場所である。また、伊吹さんご自身は三重県の出身だ。

「私が小さい頃住んでいたところにも山林王の大きなお屋敷があって、歩いても歩いてもそのお家の塀が続いていましたね。身近な存在だったんです。彼らは木を植えるのに二代三代先のことまで考えるので、時代の流れを読むのに敏感な人たちだそうで、今でも各地に山林王はたくさんいると聞いています。ただ、実際の土地を舞台にすると、どの一族か特定されてしまう。それで架空の場所を作りました」

 常夏荘の女主人は遠藤照子、47歳。本家の当主である遠藤龍巳の長男、龍一郎と結婚し長男をもうけたが、夫は10年前に病死。その後息子が大学生になったのを見届けてから、常夏荘で暮らしはじめた。夫との思い出に耽りながら、静かに暮らすために。

 そこにやってきたのは龍巳が若い愛人に産ませた立海、7歳。病弱な彼は転地療養のために家庭教師の青井宇明子とともにここで過ごすことに。さらにもう一人。山の管理をしている使用人、間宮勇吉の孫の耀子、10歳。勇吉の息子、つまり耀子の父はすでに亡くなっており、少女は母親に捨てられて施設に預けられたりした後に、ここに来た。三人が出会ってからの四季が、照子と耀子の視点から交互に語られていく。

「財をなした一族は人付き合いも多いと思いますが、なかには社交的なことが苦手な人もいます。照子もそうした一人で、夫に先立たれ子どもが巣立ってしまって燃え尽きたという感じですね。そこに小さな子どもが二人来て、眠っていた気持ちがだんだん揺り動かされ、もう一度現実に向き合うようになっていくんです」

 常夏荘の外へは出られない立海は、無邪気に耀子に接してくる。一方、充分な躾もされてこなかった耀子は、転校先の峰生の学校で「給食の食べ方が汚い」などと言われ、いじめられてしまう。その様子を見かねた青井が、立海だけでなく耀子の面倒も見る、と申し出る。少年と少女は常夏荘という安全な場所で、はじめてできた友達とともに幸福な時間を過ごすことになる。照子はある程度距離をおきながら、その様子を見守っていく。

「耀子はいわばネグレクトされていた子どもですが、ものすごく特殊な子というわけではないと思うんです。彼女のようにうまく自分を表現できなくて、抑圧されたり、報われなかったりすることは誰にでもある。耀子の中にある要素は、ひとつひとつを見ていくと、いろんな人が持っているものなんです」

 年下の立海は非常に無邪気だ。女の子のような服装をして、言葉づかいも、例えば「何」ではなく「なあに」、「夕飯」ではなく「お夕飯」と、少し古めかしくて上品。

「小さい頃は男の子よりも女の子のほうが強いので、病弱な男の子には女の子の格好をさせるという風習があったようなんです。私も小さい頃、身近に女の子用のキュロットなどをはいていた男の子がいて、お姉ちゃんのお古を着ているんだなと思っていて。実はその子は病弱で、そうした風習のために着ていたと知った時には、ああ、あの服装には親御さんたちの切実な願いがあったのか、と思いました。その記憶があったものですから、立海の人物像はすーっと浮かんだんです。話し言葉に関しては、ばあやさんが英語も日本語も話せる日系の方で、昭和のクラシカルで美しい日本語を話す人だったのでその影響を受けているということにしました」

 とにかくこの立海君が可愛らしい。耀子のことを「ヨウヨ」、照子のことまで「テルコ」と呼び捨てにし、天真爛漫な人なつこさを発揮していく。想像力も豊かで、身の回りにあるものをなんでも楽しんで遊べる子だ。

「すぐ具合を悪くして吐いてしまうような子ですから、今までお友達とうまくやれなかったんですよね。その分一人遊びが上手になった。本が友達で読みながら空想するのが好きで、おしゃまさんで。野生児のようにワイルドな耀子には、彼がものすごく新鮮に映ったんですよね。男の子というと乱暴だという印象があったのに、立海君は繊細で優しい子ですから。耀子にとってはじめての友達でもあるし、弟のようでもある存在です」




家庭教師が教える「自立と自律」


 人との接し方もよく分かっていなかった耀子も、少しずつ変わっていく。大きなきっかけを作ったのは家庭教師の青井だろう。彼女はすべてを諦めているような態度の耀子に対し「選びなさい。変わる? 変わらない?」と問いかける。そして学ぼうとする姿勢を見せた耀子に最初に教えるのは「自立と自律」という言葉だ。〈自立、かおを上げて生きること。/自律、うつくしく生きること、あたらしいじぶんをつくること。〉耀子はこの言葉を胸に刻む。

「ライターの仕事をしていた頃、大学や高校の先生方にお話を訊いてまとめる機会があったんです。みなさん信条を持っていらして訊くとポンと答えてくださるんですが、その中で“自立と自律”とおっしゃる方が多くて。先生方が全力で生徒を指導している姿を見て尊敬の念を感じていたので、その姿が青井に生きているように思います。例えば青井は耀子に対して手加減せず、子どもも一個の人格として接していますが、それはまさに先生方の姿勢が反映されていますね」

 青井のそうした態度も、今まで大人から対等に扱われたことのなかった耀子にとっては驚きだったようだ。

 印象に残る言葉は他にも出てくる。物事がうまくいかない時には「どうしてうまくいかないのか」ではなく、「どうしたらうまくいくのか」と考えようと促す場面では、思わず自分もそうしよう、とうなずいてしまう。

「青井や照子も、そうした言葉を自分に言い聞かせて鼓舞している。子どもたちを導いているようでいて、大人たちも自分もしっかりしなくちゃと自覚し、一緒に成長していくんです」

 また、終盤には「やってやろうじゃないか」という意味の方言、「やらまいか」が心に響いてくる。

「静岡のほうの方言の、語尾に“〜まい”とつくのがいいなと思っていたんです。本田技研の本田宗一郎さんは天竜の出身で、“やらまいか”を合言葉にしていたそうですが、この言葉にも惹かれていました。似たような方言は各地にあるようなので、こうした“挽回してやるぞ”という気持ちって日本人の中にあるものなのかなと思います。戦後の焼け野原から立ち上がってきた日本人の姿勢も、それだったんだな、って」

 常夏荘にいる人々はみな、こうした言葉を必要としているともいえる。ここにいるのは女性と子ども、そして年配の人間。社会的な立場も、一族の関わりにおける立場も、決して強いとはいえない人たちだ。

「イメージとしては撫子の花。花屋にある薔薇や百合のような大輪の花とは違って、撫子はどこにでも咲いている小さな花だけれども、そこで精いっぱい天をあおいで咲いている。この花のように、撫でたくなるような愛おしい子たちの話だと意識して書いていました」

 そして、本書の重要な特徴といえば、1980年が舞台ということだ。リーマンショックはもちろん、バブルよりも前。家庭用の携帯電話もテレビゲームもパソコンもまだ普及していなかった時代だ。この年を舞台に選んだことにも理由がある。

「昔というほど昔ではなく、現代というほど現代ではないんですよね。戦争という、どうしようもない状態をくぐりぬけて世の中を作ってきた人たちがまだ最前線にいる一方で、戦争を知らず、少しずつ豊かになってきた世代が子育てを始めたのが1980年代。両方の世代が混在していた時代です。しかも1980年はバブルがくる前で、これから好景気がくるぞという、ちょっと浮かれた時期でもある。戦前からの町並みが平成の色に塗り替えられる直前です。自分自身がその頃に子どもだったこともあり、とても興味深い時代だなと思っていました」

 例えば耀子たちがたき火で五平餅を焼いて食べる場面があるが、実際伊吹さんも祖母と一緒に焼いて食べた思い出があるという。また、クリスマス会にお呼ばれした耀子たちが、手作りのソーセージを食べてその美味しさに感動する場面もご自身の体験がベース。他にも屋敷内での冒険やお誕生日会の計画などを通して、まったく同じ経験をしていなくとも、自分が子どもの頃に感じた驚きや喜びに共通する感情が丁寧に描かれており、ノスタルジーを掻き立てる。少し前の時代の山里に、こんなにも幸福で輝かしい時間が流れていたのだと考えると、この一冊の中にもう手に入れることのできない、かけがえのない宝物が詰まっているように思えてくる。




“エバーグリーン”の物語


「編集者の方と話していたのは“エバーグリーン”ということ。いつ読んでも古びずに新鮮に思えてワクワクする話にしたかった。1980年の話にした理由のひとつもそれで、今を舞台にすると、少し時が過ぎただけで、すぐ古びて感じられてしまいますから」

 いつまでも古びない物語にするために、どういうことを意識して描いたのか。

「いつ読んでも心を動かすものといえば、誰かを信頼する心とか、誰かとつながっている思いなどもそうだと思います。あとはどういったことにときめくか、周囲の女性たちに訊いてみたんです。みなさん、パターンは違うけれど共通していたのは、ここではないどこかへ行く、あるいは連れていってもらう、ということ。鬱々としている時に、違う世界もあると見せられたら、また別の視点から現実の自分を見ることもできる。確かに自分もそうしたものに憧れるな、と思いました」

 居場所のなかった三人が常夏荘という場所を見つけ、精神的な成長を遂げていく、というストーリーラインがそれをなぞっているというわけだ。ただ、実は著者の中では1980年の出来事だけでなく、遠藤家の人々についての壮大な物語がもう出来上がっている模様。耀子や立海のその後も、もう頭の中にあるというのだから気になるところ。

「今回は“エバーグリーン”ということと、それぞれが自分の道を見つけて少しずつ進み始めるまでを書くことが大事だと思って、1980年だけを舞台にしました。でも実はちょっとしか出てこない人にもいろいろ物語があるんです。例えば照子の息子の龍治は、バブルの時に大活躍する(笑)。平成の空前の不況のなかで、彼らが“やらまいか”精神でどんな風に生きていくのかは、自分にとっても大変興味があるテーマなんです」

 できればいつか書きたい、と伊吹さん。もちろんいつか読みたい、と『なでし子物語』を読んだ人なら誰もが思うはずだ。



(文・取材/瀧井朝世)



伊吹有喜(いぶき・ゆき)
1969年三重県生まれ。中央大学法学部卒。2008年『風待ちのひと』(「夏の終わりのトラヴィアータ」改題)で第三回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、デビュー。第二作目『四十九日のレシピ』が大きな話題となり、NHKでドラマ化。映画化も決定している。