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 中脇初枝さん『きみはいい子』
  どの話も悲しい終わり方にはせず、
     虐待を受けているこどもたちが
      死なずに済んだ道を探したかった。





 高校在学中だった1991年に作家デビューを果たし、その後ゆっくりと執筆活動を続けてきた中脇初枝さん。そんな寡作な作家の最新作『きみはいい子』が、発売前から「素晴らしい」と噂になっていた。児童虐待という重いテーマだが、悲しい内容ではない。誰かに手をさしのべたくなるような、優しさのこもった連作集だ。


今、目の前にあるから書きたかった

 今、作家や書店員たちの熱い応援を受け、少しずつ話題となっている本がある。中脇初枝さんの最新作『きみはいい子』だ。著者にとって、久々の一般小説である。

「以前から何人かの編集者からお声はかけていただいていたんですが、なかなかお眼鏡にかなうものが書けなかったんです。でもポプラ社の編集者の藤田沙織さんに“物語に力があるから、書きたいものを書けば伝わるんじゃないか”と言われた時、ああ、私は書きたいものを書こうと思えたんです。私にしては珍しく、“伝えたい”という気持ちが前に出ました。何年か前から気になっていたテーマがあったところを、藤田さんにどーんと背中を押してもらったように思います」

 気になっていたテーマ、それは虐待。

「こども二人がマンションに閉じ込められていた事件など、実際にいろんなことがありますよね。みんな同じはずなのに、生まれた場所によってその子の生活がずいぶん違ってしまう。私もこどもがいるのですが、今まで一回もこどもたちのご飯を抜かしたことはない。その一方で、世の中には親に何も食べさせてもらえなくて亡くなってしまう子もいるなんて」

 他に考えていたテーマもあったが、こちらを先に書こうと思った。なぜなら、

「今、虐待があるから。目の前にあるから。家にこどもがいるので、よその子がうちに来るんです。すると、辛い思いを抱えている子もいることが分かる。親にご飯を食べさせてもらえない子は、平日はまだ給食があるからいいけれど日曜日は何も食べられない。だから他人の家に来るんです。でもね、そういう子がいつのまにか私よりも大きくなって格好よくなって、“こんにちは”なんて言ってくれる。生き延びればいいことがあるんだって思えるんです」

 ただし、児童虐待が増えてきていると考えたわけではない。

「昔からあったと思います。事件数が増えたわけではなく明るみになることが増えたわけで、それだけこどもを守ろうとしている人が増えたということでは。虐待やいじめや自殺や事件があると“昔はこんなことなかった”という論調が目につくけれど、私がこどもたちを見ている感じでは、昔よりもよくなっています。男女がとても仲がよく女だからどうこうと言われることも少ないし、マイノリティに対する差別感情も薄い。あそこの家はああいう事情だからと、こども同士が共通認識をもって接しているのも感じます」




誰かが気づいてあげられたら


 それでも、身近なところに虐待はある。それをなんとかしたい。

「虐待をする親も意地悪をしているわけではなくて、ただ親になる力がないだけだったりする。そういう時、親が何もできなくても、親以外の人が見守ることができないか、ということも書きたかった。こどもがいない人でも同じ町に住んでいたら、こどもとすれ違うことがある。その時に気づけたら。そのことをどうしても伝えたかったんです」

 その思いをこめて、この短編集はすべて同じ地域の話に設定した。

「親が知らない場所でこどもが安らぎを得ることもあるかもしれない。その子が誰かとつながって、その誰かが別の誰かと……と、人と人がつながっていくといいなと思いました。どの話も悲しい終わり方にするつもりはありませんでした。虐待を受けているこどもたちが死なずに済んだ道を探したかったから」

 小学一年を担任することになった若手教師は、学級の崩壊を感じながらもなす術がない。生徒の一人、神田という少年の親がこどもに何も食べさせていないことに気づくが、親に会いに行っても相手にしてもらえない。そんな彼が思い立って、ひとつの宿題を生徒たちに託す「サンタさんの来ない家」。かつて親に虐待されていた過去があり、自分も幼い娘に手を出してしまう若い母親が出てくる「べっぴんさん」。息子の友人の家が複雑な事情を抱えていることに父親が気づく「うそつき」、一人暮らしの老婆と近所の少年の交流を描く「こんにちは、さようなら」、母親を憎む四十代の一人暮らしキャリアウーマンが、今や認知症に罹ったその母と数日間過ごす「うばすて山」。さまざまなこどもが、そしてかつてこどもだった大人が登場する。

「いろんな立場を書きたかった。最初のひとつふたつを書いた後で、三人目のこどもが“僕のことも書いて”と言ってくる感じがしたんです。本当にその子がいるような気がして、次はこの子のこと、次はこの子のこと……と、一か月に一話のペースで、悩まずに書き進められました」

 執筆にあたって取材もした。

「自分一人でいろいろ体験はできないので、人に話も聞きました。わざわざアポイントを取って取材に行ったというより、人づてに聞いたり、ちょっと話を聞かせてもらったり……という感じで。誰も虐待を好き好んでやっているわけではないので、当事者の方も何かしら伝えたいことがあるんだと感じたことも。最終的には取材半分、想像半分で書きました」




“べっぴんさん”と呼んでくれたおばあさん


 忘れがたい登場人物は心の中で泣いているこどもたちだけではない。2編目の「べっぴんさん」では、主人公から見るとやぼったく見えるはなちゃんママも魅力的だが、彼女が語るおばあさんのエピソードが胸を打つ。幼い頃近所に住んでいた、朝鮮から来たという一人のおばあさん。

「私は高知の田舎で育ったんですが、本当に近所にこういうおばあさんがいたんです。私が学校から帰ってくると、いつもその人が“べっぴんさん、おかえり”って声をかけてくれた。私は本ばかり読んでいたし可愛くもなかったのに“べっぴんさん”って。その時それが当たり前になっていて、照れもしなかったし平気な顔で受けとめていたけれど、今思うとなんて幸せだったんだろうと思う。家族以外の人がいつも気にかけていてくれたんですから」

 小説に出てくるおばあさんは、悲しい最期を迎えてしまう。

「それも本当のことなんです。一体彼女に何があって高知の田舎で暮らしていたのかは分からないけれど、その人生の最後のほうで、おばあさんはいつも私に“べっぴんさん”って言っていた。身内の人もどこにいるのかも分からないので、もうおばあさんが北朝鮮の人だったのか韓国の人だったのか、朝鮮名が何だったのかも分からない。でもいつかおばあさんのことを書きたいって思っていました。人と人が関わることって、国も越えるし歴史も越えるんですね。越え方の度合いがすごいと思う」

 他にも、熱いものがこみあげてくるエピソードは多々ある。しかし決して感情過多ではなく、筆致は繊細だけれども非常に冷静だ。

「自分としてはかなり筆を抑えたつもりだったんですけれど、ショックだとか傷ついたという声もあって、悪いことをしちゃったなあと思って……。虐待の経験のある人に二度辛い思いをさせたくはないし、扇情的にしたつもりもありません。むしろ、想像に任せたいって思いました」

 余地を残しているからこそ、文章を噛みしめるたびに想像が膨らんで、なおさらこみあげてくるものがある。厳しい現実が描かれてはいるけれど、絶望的ではない。どの短編も絵空事のようなハッピーエンドではなく、むしろほのかな、優しい温もりを感じさせるエンディング。それが非常にいい。

「そうですよね、いいですよね(笑)。毎回ラストを書きながら、自分でも泣いちゃって泣いちゃって……」

 読み終えた後に改めてタイトルを眺めると、この6文字は、なんて大切な言葉なんだろうと思えてくる。

「実はこれは編集者が考えてくれたものです。この一言さえ言ってもらえたら、大人もこどもも幸せになれるんじゃないかなと思う。考えてみたら、私は特別いい親でもないけれどこどもたちに“いい子だね”“大好きだよ”って言ってきました。誰にでも、それなりにいいところがあるんですよ。実際に辛い目にあっている子ってひねくれてしまって意地悪で可愛くなかったりする。でもそんな子でも、目がきれいだったりするんです。親でなくても周りの人が、そういうところを見つけて“いいね”って言ってあげられたら。こどもは名前を覚えてもらえるだけでも喜ぶ。大人が近所にいるこどもたちの名前を覚えるだけでも、幸せになれるこどもが増えるんじゃないかな」

 切実な祈りのこもった連作集である。




久々の一般小説の執筆


 高校在学中に坊っちゃん文学賞を受賞してデビューを果たした中脇さん。しかし寡作で、最近では一般小説ではなく、絵本などを手掛けていた。

「こどもができたことで児童向けの本の編集者たちから声をかけてもらうようになったんです。でも私はこどもの頃気づいたら大人向けの読み物を読んでいて、絵本を読んだことがなくて。福音館の方に“うちで出している本です”と渡されて“はじめて見ました”と言った本が『ぐりとぐら』。それくらい絵本を知らなかったんですよ。でもこどもと一緒に読むようになっていい絵本がたくさんあることを知り、自分でも何か書けたらいいなと思うように。一般小説はなかなか書けなかったし、いつのまにか書こうとしなくなっていましたね」

 そこから幼い子が散歩に出かける絵本『こりゃまてまて』(福音館書店)、福島の昔話を蘇らせた『ゆきおんな』(小学館)などを上梓。長い読み物としては2004年刊行の『祈祷師の娘』(福音館書店)が最後となるが、一昨年、作家の宮下奈都さんがインタビューでこの本に言及したことが、また小説に気持ちを向けるきっかけに。ちなみに宮下さんは『きみはいい子』のオビに熱い推薦文を寄せてくれている。

「インタビュー記事を読んで、小説を書かないかと新たに声をかけてくれた編集者が何人もいたんです。お会いしたことはないんですけれど、宮下さんには本当に感謝しています。あの本は、祈祷師の家に育った女の子が主人公。でも別に祈祷を奨励しているわけではないんですよ(笑)。私は大学で民俗学を専攻していて、フィールドワークの一環でいろんな地域の人に話をうかがったり、アルバイトで市史の編纂を手伝ったりもしたんです。あの話はその頃の体験から出てきたものですね」

 児童向けの本を手掛けた後で一般小説を書こうとした時、ある変化に気づいた。

「幼児向けに文章を書く時は短い言葉で誤解がないよう、伝わるようにと考える。だから分かりやすい文章を書くようになっていました。それまでは分かる人に分かればいいという独りよがりのところがありましたね。今ちょうどデビュー作の『魚のように』を電子書籍化する作業をしているんですが、久々に読むと、文章がものすごく硬い。でも『きみがいい子』はずいぶん文章が平らで、読みやすくなっていると思います」

 次の小説を書く予定については、

「書きたいことはもうすでにあるんです。またこどもをめぐる話になると思います。実はそちらを先に書くつもりだったんですが、虐待のことを急いで伝えたほうがいい気がして『きみはいい子』を先に書いたんです。だから、次の小説については取材もすでに終えていますよ」

 中脇さん、積極的に取材をするようで、ご自身のことを「メモ魔で録音魔」という。

「大学時代にフィールドワークで話を聞いてまわった時、よく仲間から“なんで中脇はあんなに話を聞いてくるんだ”って言われたんです。話を聞くのがすごく好きだからだと思います、喋るのも好きなんですけれど(笑)。一人の人間って身体の中にすごくいろんなものを溜めているけれど、それがいつか丸ごと消えてしまう。どんな人にも生きてきた日にちぶんの経験、厚みがあるから、どんな人と話していても楽しいし、どんな話も価値があると思います」

 そのような聞く力、考える力、そして書く力を融合させて、今後どんな小説世界を生み出すのかも楽しみなところ。ただ、次の小説の前に、世に出したいと思っている企画があるという。

「秋に偕成社さんから『女の子の昔話(仮)』という昔話集を出そうと思っています。今まで膨大な昔話に触れきて思うのは、自力で生きていく女の人の話がたくさんあるということ。結婚して幸せになったという結末ではなくて、後を継いだとか、実家に戻って幸せに暮らしたなど、女の人たちがいろんな生き方をしている。しかも、それをよしとして語られてきているのがいい。ぜひ大人の女の人にも読んでもらいたいです」





(文・取材/瀧井朝世)



中脇初枝 (なかわき・はつえ)
1974年、徳島県生まれ、高知県育ち。高知県立中村高等学校在学中に、小説『魚のように』で第2回坊っちゃん文学賞を受賞してデビュー。96年、筑波大学卒業。小説作品に『祈祷師の娘』『あかい花』、絵本に『こりゃまてまて』『あかいくま』などがある