小川 哲さん『噓と正典』

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SFと歴史小説は相似系
著者近影(写真)
小川 哲さん
イントロ

 東京大学大学院博士課程在学中にSFの長編新人賞でデビューした小川哲は第二作にして大長編『ゲームの王国』で日本SF大賞と山本周五郎賞をダブル受賞という文学界初の快挙を達成した。
 二年ぶりとなる新刊『噓と正典』は、全六編を収録した初の短編集だ。本書により「SF作家」というイメージが大きく覆されることになるだろう。

 文庫版が刊行されたばかりの『ゲームの王国』は、カンボジアが舞台だった。上巻はフランスから完全独立後の一九五六年より始まる、同国の血なまぐさい現代史をベースにしたリアリズム小説だが、下巻では一気に二〇二三年へと時空がジャンプする。歴史小説からSF小説へと変貌する、破格の構成は、カンボジアを舞台に選んだ結果だったと言う。

「東南アジアを大々的に舞台に据えたSF小説は他にあまりなさそうだぞ、という直感で選んだ舞台でした。たまたま当時友達がカンボジアで仕事をしていたこともあり、そこでいっか、ぐらいのスタートだったんです。SFと言うからには、基本的には未来について書くという思いが最初にありました。もし日本の未来を描くのであれば、いきなり未来から始められたと思うんですよ。
ただ、未来のカンボジアを描くには、僕自身はもちろん日本人の読者も、この国で過去に何があったのかという前提となる知識を持っていなければ、説得力が出ない。この物語をSFにするために、歴史をきちんと書いていこうと思った結果、下巻より上巻の方が厚くなってしまいました(笑)」

 そうして上下巻を書き上げた経験が、作家に大きな気づきをもたらした。

「SFの面白さって、現在の現実では当たり前だと思っていることとか、疑う余地もなく自明なものだと思っている価値観が、崩されるような感覚を味わうことにある。それって、歴史小説にも通ずるものがあるんですよね。というより、時間軸を過去に取るか未来に取るかの違いだけなんじゃないかなと思ったんですよ。もともとそんなにSFばっかり書いていこうという意識はなかったんですが、闇雲にこだわらなくてもいいのかもしれない、と吹っ切れた感じがあったんです」

 その思いの延長線上で執筆されたのが、『噓と正典』に収録された短編群だ。

題材について語ることは小説について語ること

 一九九六年六月五日に行われたステージで、伝説のマジシャン・竹村理道はタイムマシンを使う一世一代のマジックを披露した。一九年前の過去に戻り、その「証拠」を観客に提示した後で、次は四二年前の過去へ飛ぶと宣言した。爆発音とともに消えた理道は、その日を境に二度と世間に姿を現すことがなかった。父のマジックの謎を、二〇一八年の現在を生きる姉と弟が今日この日、解き明かそうとしている。それは、あまりに危険な試みだった──。第一編「魔術師」はタイムマシンというSF的な小道具を扱っているものの、読み心地は断然ミステリーだ。

「『S ‐ Fマガジン』から初めて短編の依頼をいただいた時に、たまたま本のイベントで出会った人がマジシャンだったんです。雑談しているうちに〝人体消失マジックを披露したマジシャンが本当に消えてしまう〟というアイデアがなんとなく浮かんで、その人にマジックの参考文献をどっさり教えてもらい構想を固めていきました。タイムトラベル、タイムパラドックスという題材はものすごくSFっぽいんですが、そのぶん手垢がついた題材とも言える。この題材で何かしら新しいものが書きたいならば、むしろSF的な想像力から離れていったほうが面白いんじゃないかなと思ったんです。物語の結末にも関わってくることなんですが、この短編は、五〇%はSFです。残りの五〇%は、そうではない。そう読者にも感じてもらえるような短編を書こう、というコンセプトでしたね」

小川哲さん

 第一編から「時間」や「歴史」というテーマを引き継ぎ、執筆順としても次に書かれた第二編「ひとすじの光」は、もはや一〇〇%でSF〝ではない〟。

「雑誌に載せた時は、一〇%ぐらいはSFだったんです(笑)。本にする時に編集さんからアドバイスをもらって、元の原稿にあったSF設定を全部削りました。SFっぽくするために苦肉の策で入れた設定だったので、〝別にいらないよね?〟と言われてホッとしましたね」

 題材は、競馬だ。

「締め切りまでの時間が本当に短かったので、初めて自分の趣味というか、詳しく知っている分野の話を書くことにしました。馬の強さを知るためにその馬の家系を見る、ということはイチ競馬ファンとして当然やってはいたんですね。ただ、より古い資料を掘っていったところ、日本の競走馬の歴史は戦前にイギリスから輸入された二一頭のサラブレッドがルーツで、その血は一九九〇年代後半の日本競馬界で一世を風靡したスペシャルウィークにも流れているという記述に出合ったんです。めちゃくちゃロマンのある話だなって思ったんですよ」

 しかし、ロマンを発見しただけでは、自分の中でゴーサインは出ない。着想を膨らませるためには、もう一段階の重要なジャッジがあった。

「題材を選ぶ時の基準になっているのは、〝その題材について語ることが、小説について語ることになっているか?〟なんです。『魔術師』で言えば、マジックについて語ることが、小説という表現ジャンルが持つ魔術性について語ることになっていた。『ひとすじの光』の時も、競馬の血統や歴史について語ることは、小説のそれについて語ることだなって思えたからこそ書きたい、その根拠があるならば書けると思ったんです」

 さらに「ひとすじの光」には、作家の実人生の中から生まれ、題材とシンクロしていった要素があった。

「馬の血統という題材からの必然で、人間の父と息子の話にすることは早い段階で決まっていたんですが、僕自身の父との関係性が重なってきました。父は普通の会社員で今は定年退職したんですが、本や音楽がすごく好きで、ずっと自分の部屋にこもっている人でした。父親然としたことは、一度もしてもらった記憶がない。苦手だしイヤな思い出はいっぱいあるんですけど、今自分が仕事にしていることや趣味は、父に近かったりするんですよね。僕の中で、父親という存在が一番の謎なんですよ。その謎に惹かれてしまったり手を伸ばしたくなったりする気持ちが、生々しいかたちで文章に出てしまったかなと思います」

 この一編が、他の短編とは異なるエモーショナルな光を放っているのは、それが理由だったのだ。

「ラストも自分としては初めて、完全にハッピーエンドっぽいものを書いてしまいました。〝あぁ、書いちゃったな〟みたいな感覚がありましたね。ひと皮剝けた? そう言っていただけると、多少恥ずかしさが和らぎます(笑)」

 ヨーロッパの歴史に材を採った「時の扉」、音楽を通貨とする島の伝説の実地検証に挑む「ムジカ・ムンダーナ」、流行という社会現象を風刺した筒井康隆ライクな「最後の不良」、もしマルクスがエンゲルスと出会わなかったら世界はどうなるかと想像を巡らせた「噓と正典」……。カラフルな想像力に彩られたいずれの短編も、一週間から二週間で書き上げたというから驚かされる。

読者は無意識のうちに時間の厚みに触れる

「一、二週間で書いたといっても、小説を書くことは、パソコンに文字を埋めていく時間だけでできているわけじゃないんですよね。資料を調べたりする時間はもちろん、題材とは直接関係のないことを考えたり、友達と遊んでバカ話している時間も、その小説を書くために必要なピースだったりする。例えば『ひとすじの光』は、一〇代の頃競馬にハマったから書けたという意味では十数年越しのものだし、あの父親の息子として三十数年生きてきた、だからこそ書けたものだなと思うんです」

 一編の小説ができあがるまでには、作家自身もはっきりとは自覚できない、時間の厚みが広がっているのだ。読者は無意識のうちに、その厚みにも触れているのだろう。さまざまな要素が合流した結果が、感動に結び付く。心が動く。

「僕が小説を読む時に一番嬉しかったなとか、読んで良かったなと思うのは、自分の中に変化が起きていると感じられる時なんです。僕の小説も、それが何らかの形で達成されればなと思っています。今のところテーマとして見えているのは、この社会に存在するさまざまなシステムの中でいかに、個人が生きていくか。現代を舞台にしていると気づきづらいことも、SFや歴史のフィルターを通して個人を極限状態に置くと、ナマの形で見えてくることが間違いなくあるんですよ」


噓と正典

早川書房

時間 × 歴史をテーマとした六作品を収録。表題作「噓と正典」は、冷戦期のソ連駐在CIA工作員が、時空間通信で過去にメッセージを送ることで「共産主義」を消滅させようとする物語。


著者名(読みがな付き)
小川 哲(おがわ・さとし)
著者プロフィール

1986年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。東京都在住。2015年、『ユートロニカのこちら側』でハヤカワSFコンテスト大賞を受賞。第二作『ゲームの王国』は日本SF大賞と山本周五郎賞をダブル受賞する。現在、「小説すばる」に満州の半世紀を描く『地図と拳』を連載中。

〈「STORY BOX」2020年1月号掲載〉
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