■連載小説■ 加藤実秋「警視庁レッドリスト」〈第3回〉

■連載小説■ 加藤実秋「警視庁レッドリスト」〈第3回〉
警察官同士の不倫事案。
民間企業出身のみひろは、調査に躊躇する。

CASE1 文字リスト:退路を断たれた二人(3)


 

 7

 

 翌朝。みひろは再び慎と日本橋署に向かい、会議室で交通総務係の係員の勤務状況に関する書類に目を通した。古屋には係員全員の書類を用意してもらったが、念入りにチェックしたのは当然黒須と星井の分だけ。また、二人と付き合いのある他部署の職員からも適当な口実で話を聞いた。結果、二人とも勤務態度に問題はなく、付き合いのある職員の評判も黒須は「明るく兄貴肌」、星井は「真面目で穏やか」と上々。また星井は交際申告書を提出しておらず、付き合いのある職員も「彼氏はいないと聞いている」と話した。

 

 午後五時前。みひろは慎と車に乗って日本橋署を出た。しかし警視庁には戻らず、署の近くの路上に停車した。

「行動確認って、張り込みのことですか」

 みひろは言い、腰を浮かせて助手席に座り直した。

「そうとは限りません。尾行、聞き込み、SNSのチェック、場合によっては防犯カメラの画像解析なども行います」

 運転席の窓越しに通りの先を見て、慎が返す。車は、日本橋署の通用門が見える場所に停まっている。

「はあ。なんか刑事課の捜査員みたいですね」

「ある意味正しいですね。人事一課を『警察の中の警察』と呼ぶ人もいますし。刑事課と違うのは調べる対象が警察官、つまり身内ということです」

「警察の中の警察ねえ」

 複雑な気持ちでみひろが言うと、慎は通用門に目を向けたまま言った。

「三雲さんは監察の職務、ひいては警察の規則に疑問を抱いているようですね。入庁以来、度々その様な発言をしていますし」

 私のことも、あれこれ調べた訳ね。別にいいけど。鼻白みながら、みひろは言った。

「いえ。反社会勢力との癒着とか不正経理とかはどんどん告発して、厳しく処分するべきだと思います。でも、不倫だの借金だの酒ぐせだのまで調べ上げて取り締まる意味があるんでしょうか。しかも、それが発覚するきっかけのほとんどが内部からの密告って異常ですよ」

「なるほど。民間企業出身ならではの意見ですね」

 頷いて、慎が薄く微笑む。嫌みや当てこすりのニュアンスは感じられなかったがイラッと来てみひろが言い返そうとすると、慎は振り返ってこちらを見た。

「我々警察官は、民間企業の従業員にはない権限を与えられています。武器の使用や職務質問、犯罪捜査のための捜査や差し押さえ、他人の家屋や土地への立ち入りなどなど。権限を行使するには強い責任感と自制心が必要ですが、警視庁の警察官は約四万人。権限を正しく行使できない者は、必ず現れます。加えて、権限を所持していればそれを利用しようと近づいて来る者もいます。反社会勢力はもちろん、民間企業、個人まで枚挙にいとまがない。第三者による見守りや調査、報告は不可欠です。法の番人である我々が規則を守れずして、公共の安全と秩序は維持できません」

 真顔に戻り、メガネのレンズ越しに切れ長・奥二重の目をまっすぐにこちらに向けて断言する。「『見守り』じゃなく、監視でしょ」という突っ込みは浮かんだが、正論中の正論なので言い返す気は失せた。

「阿久津室長って中学か高校の頃は、風紀委員だったんじゃないですか? で、生活指導の先生と仲良し」

 みひろが問うた。すると慎はきょとんとし、右手の中指でメガネのブリッジを押し上げて答えた。

「いえ。中学は給食委員、高校はアルバム委員ですけど」

「あっそう」

 脱力し、思わずタメ口になってしまう。と、慎が前方に向き直った。

「来ました」

 みひろもフロントガラス越しに前方を見た。女性が三人、署の通用門を出て来る。全員交通総務係の係員で、一人は星井愛実だ。春物の白いニットに暖色系のチェックのフレアスカートという格好で、肩に黒いバッグをかけている。星井は、徒歩十分ほどの場所にある独身寮住まいだ。

 ぱしゃりという音に隣を見ると、慎がスマホのカメラで星井を撮影していた。「星井を尾行して」と命じられるかとみひろは身構えたが、その気配を感じ取ったように慎は告げた。

「まずは黒須です」

「わかりました」

 やり取りしているうちに、星井たちが車に近づいて来た。歩道と車道には少し距離があるが慎はスマホを下ろし、運転席の下に落としたものを拾うふりで身をかがめ、みひろは星井たちとは反対側に顔を背けた。こちらに気づく様子はなく、星井は他の二人と談笑しながら車の脇を通り過ぎていった。

 黒須が通用門から出て来たのは、陽がとっぷり暮れた夜の七時過ぎ。連れはおらず、スカイブルーのシャツにベージュのスラックスという格好で手にビジネスバッグを提げ、外灯が照らす歩道を歩きだす。その姿をカメラに収め、黒須が車の脇を通り過ぎるのを待って慎は言った。

「行きましょう」

 スマホをジャケットのポケットにしまい、慎は車のドアを開けた。みひろもバッグを抱えて車を降りる。

 歩道の人通りが減ったので距離を多めに取り、黒須の後ろを歩きだした。

「調査対象者の頭や背中を凝視しないように。履いている靴を覚えて見るといいですよ。調査対象者が店や病院など靴を脱ぐ場所に入った時も、すぐに見つけられます」

 慎が指示した。小声だがリラックスしていて、歩き方も自然だ。みひろは「はい」と返したものの、黒須の靴を見るために視線を落として歩いていたら向かいから来た人とぶつかりそうになり、なかなか難しい。

 少し歩くと、前方に水天宮前駅に通じる階段が見えて来た。しかし黒須は階段の脇を抜け、歩道をさらに進んだ。どうするつもりかとみひろが戸惑った時、黒須は足を止めて傍らのコンビニに入った。みひろたちは小走りでコンビニに近づき、ガラス張りの壁から中の様子を窺った。

「夜食を買ってるみたいですね。署に戻るのかも」

 しばらくして黒須がレジにサンドイッチと缶コーヒーを持っていくのを確認し、みひろは言った。隣で同じようにレジに立つ黒須を見て、慎も言う。

「署に戻るのなら、バッグは持って行かないでしょう。注意して下さい」

「注意ってなにを?」、みひろは訊ねようとしたが会計を終えた黒須がコンビニの出入口に向かったので、急いで慎と隣のビルの玄関先に移動した。

 バッグとコンビニのレジ袋を提げた黒須は、歩道に戻ると再び歩きだした。しかし前方ではなく車道に向かい、端に立って手を上げる。走って来たタクシーが停車し、後部座席のドアが開いた。身をかがめ、黒須はタクシーに乗り込んだ。ドアが閉まり、タクシーが走りだす。

「どうしましょう」

 みひろは焦ったが、慎はこの展開を予想していたらしく、足早にビルの玄関先を出て車道に向かった。後から来たタクシーを停め、乗り込む。慌てて、みひろも続いた。

「前のタクシーを追って下さい」

 慎がドライバーに告げる。テレビドラマや映画でお馴染みのこのセリフを、現実に聞くことになるとは思わなかった。

 黒須を乗せたタクシーは通りを二十分ほど走り、地下鉄浅草駅の裏手で停まった。みひろたちもタクシーを降りる。

 黒須は繁華街を抜け、裏通りを進んだ。さっきよりさらに早歩きになり、何度も後ろを振り返る。その都度、みひろたちは飲食店の看板や飲み物の自販機に身を隠し、尾行を続けた。

 五分後、辿り着いたのは小さなホテルと旅館が並ぶ通りだった。黒須は俯き加減ながらも慣れた足取りで通りを進み、一軒のホテルに入った。建物の大きさの割に窓が小さく、一階には出入口のドアが外から見えないように、コンクリートの塀が設えられている。典型的なラブホテルで、明かりを点したピンクの看板には白い文字で、「HOTEL ANEMONE」と書かれている。

「二十時二十八分、吸い出し。ホテル『アネモネ』」

 潜めた声で慎が言う。手にはスマホ。ラブホテル街に入った時から、前を行く黒須を動画で撮影している。

「監察用語で調査対象者が自宅を出て署や外出先に到着することを『吸い出し』、反対に自宅や署に戻ることを『送り込み』といいます」

 慎は解説したが、みひろはそれどころではなく「はあ」とだけ返して訊ねた。

「タレコミは本当だったってことですか? あ、でも風俗の女性を呼ぶのかも。それも規則違反なんでしたっけ?」

 みひろがアネモネの玄関を覗いたり建物を見上げたりしていると、慎に「静かに」と手招きをされた。見ると、慎は向かいのラブホテルの玄関先に移動していた。入るつもりかとフリーズしたみひろに、慎は無表情に告げた。

「黒須の相手を確認します」

「ですよね」

 納得するのと同時に恥ずかしくなり、みひろは笑ってごまかして慎の隣に立った。その後しばらく、裏通りの人通りは途絶えた。

「さっき買った夜食は、ホテルで食べるためだったんですね……奥さんとは幼なじみで、気心が知れているぶんマンネリ。刺激とスリルを求めて浮気、ってところかなあ。慣れてて悪びれる様子もないし、浮気は初めてじゃないのかも」

 昨日の面談で自分の顔と胸に向けられた黒須の視線を思い出し、みひろはコメントした。「黒須の心理分析ですか。鋭いですね」

「全然。いかにもなパターンで、ベタ中のベタじゃないですか」

「しかし、実際いかにもでベタなパターンが多いのも事実です」

 メガネにかかった前髪を指先で払い、慎が返す。クールでエリート然とした言動と、ラブホテルの玄関先に身を潜めるという状況のギャップがすごい。通りを歩いて来た若いカップルが、不審そうにこちらを見ていった。

 さらに五分ほど経過した時、通りをこつこつとヒールの音が近づいて来た。緊張し、みひろは玄関先の塀にへばりつくようにして身を隠しながら前方を注視した。と、みひろの目に小柄細身でロングヘアの女性が映った。さっきのニットとスカートから黒いワンピースに着替えているが、星井愛実だ。

「マジ?」

 思わず呟き、俯き加減に自分と慎の前を通り過ぎて行く星井を見つめる。

「記録。三雲さんも撮影して」

 早口の小声で隣から囁かれ、みひろは慌ててスマホを出してカメラを起動させた。慎は既に撮影を始めており、玄関先から上半身を乗り出している。

 動画の録画ボタンをタップしてスマホを構え、みひろも通りに身を乗り出した。スマホの画面に映る星井は、身を固くして足早にアネモネの敷地の中に入って行った。

「二十時三十二分。星井愛実、吸い出し完了。ホテル『アネモネ』」

 斜め上から、慎の呟く声が聞こえた。

 

 一週間後、午前九時過ぎ。みひろと慎は日本橋署の会議室にいた。向かいには、黒須文明巡査部長。

「では、星井愛実巡査と不倫関係にあると認めますね?」

 机に両肘をついて顔の前で軽く手を組み、慎は問いかけた。

「はい」

 黒須が頷く。さっき呼び出されてここに来て、慎に「職場環境改善の調査を行っていたところ、偶然判明した」と不倫について告げられた時、黒須は強く否定し怒りを露わにした。だが慎が行動確認の結果を伝え、証拠写真を突きつけると絶句した。写真は慎とみひろが撮影した動画と写真をプリントアウトしたもので、アネモネを出入りする黒須と星井が写っている。

 最初に黒須を尾行した夜は、星井がアネモネに入った後も張り込んでいると、二時間後に星井、十五分ほどして黒須が出て来た。翌日以降も尾行を続けた結果、黒須たちは今日までに二回密会していた。どちらも場所はアネモネで、先に黒須がチェックインし、少し遅れて星井が来るというパターンだ。帰る時は逆で、先に星井がアネモネを出て、時間差で黒須が出たが、一度だけ二人一緒に出て来た時があり、その姿を収めた写真が動かぬ証拠となった。

「関係はいつから? きっかけはなんですか?」

 続けて問いかけながら、慎は机上のノートパソコンを開いて両手をキーボードに乗せた。数秒の沈黙の後、黒須は答えた。

「二カ月ぐらい前です。交通総務係の飲み会があって、たまたま星井さんが隣の席に座ったんです。ちゃんと話すのは初めてだったんですけど、盛り上がってLINEを交換しました。それから食事に行ったり飲みに行ったりするようになって」

 声はしっかりしているが、表情は呆然。日焼けした頰が強ばっている。「そうですか」と返し、慎はキーボードを叩いて黒須の返答をパソコンに入力していった。

「どれぐらいの頻度で会っていましたか? 会う場所はいつもホテル?」

「始めのうちは週に一度ぐらいでしたけど、最近は二、三回。いつもここです」

「ここ」と言う時には机上の写真に虚ろな目を向け、黒須は答えた。慎が無言で頷き、重たく張り詰めた空気が漂う室内に、彼がキーボードを叩く音が響く。

「星井巡査との関係を知っている者は? 誰かに話したり、目撃されたりしていませんか?」

「いないと思います。あの、魔が差したっていうか、いけないことだとはわかってたんですけど」

 顔を上げて、黒須が話しだそうとした。が、慎はそれを遮り、質問を続けた。

「最初に肉体関係を持った際、誘ったのはどちらですか? 行為は合意の上?」

「ちょっと!」

 ド直球と言うよりデリカシーの欠片(かけら)もない言葉に、みひろは思わず声を上げた。手を止め、慎が怪訝そうにこちらを見た。黒須は表情を強ばらせて固まっている。身を乗り出し、みひろは黒須の顔を覗いた。

「この前、奥様に感謝していると言っていましたよね? じゃあなぜ星井さんと?」

 強ばったままの顔で、黒須がみひろを見た。その眼差しをしっかり受け止め返すと、黒須は口を開いた。

「妻に感謝しているのは本当です。でも付き合いが長くて気心が知れているぶん、お互いに空気みたいな存在になってて。そんな時に星井さんと親しくなって、一緒にいると楽しくて、どんどん深みにはまって。そういう仲になったのは合意の上ですけど、彼女はすぐに後悔して『別れたい』と言いました。僕も必ずバレるしヤバいと思ったけど、どうしても別れられなくて無理矢理呼び出して会ってもらっていたんです」

 不倫に至る心情は、ほぼみひろの予想通り。いかにもなパターンで、ベタ中のベタ。加えて、黒須の熱を帯びた口調と眼差しに星井への強い執着を感じた。質問者が慎に戻る。

「無理矢理というのが事実なら、あなたの一方的な希望で関係を続けている、星井巡査に不倫関係を強要しているということになります。事実ですか?」

 黒須が慎を見返し、それからみひろを見た。大きな目は不安と絶望で揺れている。が、それとは違うものも感じ、みひろははっとした。すると黒須は慎に視線を戻して告げた。

「はい。事実です」

 みひろが言葉をかけようとした矢先、黒須は態度を一変させ、おろおろとして身を乗り出した。

「僕は処分されるんでしょうか。マンションのローンがあるんです。田舎の父も具合が悪くて──」

「処分については、追って通達します。仕事に戻って下さって結構です」

 冷たくとりつく島もない口調で告げ、慎はキーボードを叩き始めた。気圧(けお)された様子で、黒須は席を立った。最後に何か、とみひろが言葉を探しているうちに黒須は「失礼します」と頭を下げ、会議室を出て行った。

 落ち着かない気持ちで不満も感じ、みひろは隣を見た。しかし言葉を発する前に慎に、

「星井巡査を呼んで下さい」

 と、これまたとりつく島もない口調で命じられた。

 続いて星井にも証拠写真を見せ、話を聞いた。呼び出された時点で察しがついていたらしく、星井は黒須との関係をすぐに認めて泣きだした。みひろが慰めて詳細を訊くと、不倫関係になるまでのいきさつは黒須の話とほぼ同じ。加えて、「『かわいい』『好きだ』と言われて舞い上がってしまった。深い関係になって後悔して別れようとしたけど、しつこく誘われて仕方なく会っていた」とも語り、最後に「職場や奥さんにバレるのではとびくびくし通しで、すごく辛かった」とほっとしたように告げてハンカチで涙を拭った。

 

 


「警視庁レッドリスト」連載アーカイヴ
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加藤実秋(かとう・みあき)

1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。