滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第1話 25年目の離婚 ③

滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~
流されやすいポールは、ついにスジョンと結婚してしまう。
嚙み合わない歯車をことばのせいにしているうちはよかったが……。

 たとえことばがうまく操れなくても、おしゃべり好きなラテンの人たちは、ブロークン・イングリッシュでにぎやかにしゃべりまくるのだけれど、スジョンは、何をどう話したらいいのか、会話のつむぎ方の見当もつかないようだった。夫になったポールのこともなぜかよりよく知ろうとせず、子供時代のことも家族のことも仕事のことも、いっさい訊(き)かない。英語学校をやめたあと、近くにある短大に通うことをすすめても興味を示さないし、あんなに来たかったアメリカに来たというのに、アメリカをもっとよく知ろうとしたり、学ぼうとしたりもしない。目の前の光景や出来事をただ受け流すだけで、すすんで知ろうとしないのは、そもそも好奇心がないせいだとポールは思う。

 間もなくスジョンは在米韓国人のコミュニティにつながって、付き合いは、もっぱらことばが通じる韓国人同士ばかりになった。家にいるときは、韓国のテレビを見ている。毎日毎日、何時間も。スジョンは、慣れた韓国の延長線上に自分の世界を築いて、アメリカに順応しようとしなかった。

 夫との会話よりも友人との会話のほうがずっとずっと多いのを、アメリカ人の夫はおかしいと思う。夫との二人三脚の生活を築き上げていく気があるのなら、もう少し夫とコミュニケーションを取る努力をしていいはずだ。

 会話の糸口の見出(みいだ)せない妻に、ポールは尋ねる。きょうはどんなところへ行ったとか何をしたとか誰と会ったとか、何でもいいから話してほしい、見ているテレビがいったいどんな話なのか教えてほしい、料理がうまいんだから作り方を教えてほしい、いっしょに作っていっしょに食べよう、夫婦なんだから、もっともっといろんなことをシェアーしてほしい──。最初はいちいちスジョンにはたらきかけていたポールも疲れてきて、二人の間に澱(よど)む空気に染まっていった。

 運命の糸で引き合わされたはずのスジョンだったけれど、ポールは、アジアの異国から来た、高校を出てまだ二、三年しかたっていない、若くて未熟で何事にも無頓着な女の子と、大学院を出て大手のメーカーに勤め、知的好奇心の旺盛な自分の間に、共通項がほとんどないことを感じ始めた。波長がしっくりこないのは、ことばの問題でなくて、ことば以前の問題だったのだ。皮肉にも、ことばが通じなかったせいで見えていいはずのことが見えなかったのだ。

 ポールは、離婚を真剣に考え始め、別れ話を持ちかけた。持ちかける前からわかっていたことだけれど、スジョンは取り乱した。英語もろくに話せず、何のスキルもなく、身寄りもなく、右も左もわからないこの異国で、幼い子供を抱えて、どうやって生活していけるのだろう? すごすごと子供を連れて韓国へ帰っても先が見えないし、そもそも体裁を気にするスジョンのプライドがそれを許さない。あれだけ大勢の人に祝福されてアメリカに渡ったのに、離婚して赤ん坊を連れて帰ったら、みんなどう思うだろう? アメリカに住み続け、アメリカで生きていくためには、どうしてもポールが、ポールの経済力が、必要だった。

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桐江キミコ(きりえ・きみこ)

米国ニューヨーク在住。上智大学卒業後、イエール大学・コロンビア大学の各大学院で学ぶ。著書に、小説集『お月さん』(小学館文庫)、エッセイ集『おしりのまつげ』(リトルモア)などがある。現在は、百年前に北米に移民した親戚と出会ったことから、日系人の本を執筆中。