◇長編小説◇日明 恩「水際守護神S」──第4話 Bon voyage〈前編〉

◇長編小説◇日明 恩「水際守護神S」──第4話 Bon voyage〈前編〉

晴海ふ頭にクルーズ船が到着。乗客が巻き込まれたトラブルとは!?

「集合時間も近づいて来ていて。ごめんなさいって言って、行こうとしたんです。そうしたらヨンミさんが、お孫さんに手作りのキムチを渡してくれないかって頼んできて」

 孫にはあなたのことを話して、船の到着時に港で受け取るように連絡しておく。大した量ではないから、税金も掛からない。お礼にあなたにもキムチをあげる──。

 そうけたたましく言って、ヨンミは一旦席を離れた。すぐさまキムチの入った陶器を持って帰って来ると、豊島の手に押しつけてきた。

「こちらです」

 磯谷は立ち上がると、テーブルの上に置かれていた紙袋の中からそこそこ重そうな縦も横も高さも三十センチくらいのビニール袋を取り出した。続けてB5サイズの茶封筒も取り出して横に置く。その様子を見ながら、豊島が悲しそうな声で話す。

「断ったんです、何度も。だって本当にお孫さんに渡せるか分からないし」

 だがヨンミは引き下がらなかった。

「さっき撮った写真をグァンスに送る。だから大丈夫。ダメならダメでいい。あなたが食べて」と言い、念のためにと孫の携帯電話番号を書いた紙を渡してきた。なおも断る豊島に、最後は一方的に「じゃあ、お願い」と言ってその場から立ち去ってしまった。

「私も何度も海外旅行をしていますから、こういうのは受け取ってはいけないのは分かっていたのですけれど。でも、ヨンミさんは悪い人には見えなかったし」

 それが一番危ないのだと槌田は思った。

 同世代の女性で夫を亡くしているという共通点、さらに遠く離れた場所にいる孫に会いたいという涙。豊島の情に訴える要素が満載だ。そして見事に豊島は騙されてしまった。

「それに、おかしな物が入っていたら出国検査で見つかるでしょう?」

 縋るような目で豊島が訊ねる。

「出国時の検査は、あくまで安全に航行するための検査です」

   英が諭すように説明を始める。

「行っているのは港湾施設と船舶関係者で、金属探知機とX線検査は航行の支障になりうる武器になりそうなものを見つけることが目的です」

 世界共通して出国時の検査は安全確認が中心で、税関は関与していない。

「なので、それ以外の何かを検査で見つけたとしても、輸出禁止品以外はそのままとなります」

 不思議そうに豊島が首を傾げた。

「関税の申告書は」

「船内で書くからですね」

 英が言い終える前に、気づいた豊島が続ける。

 旅客が申告書に記入するのは出国後の船内や飛行機内だ。そして入国時に適正な額を納める。それが荷物入国の流れだ。だが残念ながら、申告せずに密輸しようとする者もいる。それを見つけるのが入国側の税関の職務だ。

「そうだったわ。私ったら、忘れちゃってたなんて」

 しょんぼりと豊島が肩を落とした。

 すっかり落ち込んでしまった様子を見て、槌田は気の毒に思う。

 豊島のように出国時も入国時と同様の検査をしていると思い込んでいる者は多い。密輸を企む犯罪者はそこを突いてくる。「問題のあるものが入っていたら、検査で引っかかって出国できないはずだから」と言われて、信じてしまう旅客がいる。そしていくばくかの謝礼金や善意から、見知らぬ相手から預かった荷物を運ぶことを引き受けてしまうのだ。

 だが入国時に摘発された際に、罪に問われたり税金を支払うのは荷物を託した者でも受取人でもない。入国検査の時に荷物を所有している者が背負うことになる。

「本当に私ったらダメね。あのときはごめんなさい」

 豊島が横の磯谷の方を向いて謝罪した。

「心配してくれたのに、ダメならダメでいいと言っているのだから、絶対に受け渡さなくてはならないようなものは入ってないってことでしょう? って、最初、突っぱねてしまって」

 受け渡しが出来なくてもいいと言っているのなら、高額で取引されるものは入っていない。そう豊島は考えた。思っていたよりもしっかりしていると槌田は豊島を見直した。

「中身が手作りのキムチと聞いていたものだから、何もないのに開けてしまって傷めてしまったら取り返しがつかないと思って」

 磯谷が小さく横に首を振って、「中身が食品とお聞きになっていたのですから、とうぜんのことです」と、豊島の正当さを肯定した。

「ですが、やはり確認しなければと思い、ひとまず上司に相談しようと決めました。そのときに豊島様から手紙も預かっていると伺って。それがこちらです」

「確認させていただきます」

 英が茶封筒に手を伸ばす。

「一目見て、おかしいと思いました。こちらで開封したので今は開いていますが、最初はしっかり糊づけされていたんです」

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日明 恩(たちもり・めぐみ)

神奈川県生まれ。日本女子大学卒業。2002年『それでも、警官は微笑う』で第25回メフィスト賞を受賞しデビュー。他の著書に『そして、警官は奔る』『埋み火  Fire’s Out』『ギフト』『ロード&ゴー』『優しい水』『ゆえに、警官は見護る』など。

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師いわく 〜不惑・一之輔の「話だけは聴きます」<第59回> 『ずーーーーーーーーーっと話し続ける同僚がいます』