◇長編小説◇日明 恩「水際守護神S」──第2話 Treasure hunting〈前編〉

◇長編小説◇日明 恩「水際守護神S」──第2話 Treasure hunting〈前編〉

羽田に北京便が到着した。税関ブースには、検疫探知犬も臨場する。

 槌田の前を待機オフィスから出て来た栗原(くりはら)班長が足早に通り過ぎる。税関エリアに散っていた機動班員の数名も八番ブースに集結しだした。人の動きに何かあったと察したらしく、八番ブース近辺だけでなく、税関エリアの旅客全体の目が集まっている。

 栗原班長は女性と同じく膝を折り、目線を揃えるようにして女性に「どうされました?」と、話しかけた。女性は何か答えているらしいが、嗚咽混じりで聞き取れない。

「佐恵子(さえこ)っ!」

 名前を呼ぶ男の声が聞こえた。後方で列から身を乗り出してこちらを窺っているのはさきほどのポロシャツ男だ。

「とりあえず、移動しましょう」

 栗原班長がちらりと桜田を見上げた。はっとした桜田が、素早くブース内から出て女性に近づく。ブース内にはすでに機動班の男性職員がいた。

「大丈夫ですか? 立てますか?」

 桜田が声を掛けると、女性はすんなりと立ち上がった。

「スーツケース、運んでよろしいですか?」

 了承を得た栗原は検査台の上のスーツケースを下ろして、「こちらへどうぞ」と、最寄りの検査室へと誘導する。スーツケースを受け取った桜田に付き添われて女性も歩き始めた。桜田一人で大丈夫か? と思ったときには、機動班員が現れてスーツケースを手にしていた。阿吽の呼吸の連携に感心しつつも、栗原は同席しないのだろうか? と不思議に思っていると、栗原はその足で税関ブースの列に列ぶポロシャツ男のもとに向かった。事情を聞こうとしているらしい。

「指輪を捜す手伝いをしましょうか?」

 英が動いた。確かに指輪をそのままにしてはおけない。すでに数名の機動班員が腰を屈めて床の上を捜しているが、まだ見つかっていないようだ。

「角度的に二つともブースの中だと思うんですけれど」

 うしろについたときには、ブース内にはすでに機動班員が一人、床に膝をついて捜していた。

「台の下よ」

 列に列んで待機する白髪交じりの女性が教えてくれる。

「キャビネットに当たって下に落ちたから」

 検査ブースは税関エリアに向かって逆のU字型に配置されている。Uの底辺あたりを捜していた機動班員が「あった!」と声を上げて、右手に石の付いた指輪を持って立ち上がる。おお〜と感心した声に加えて検査を待つ旅客の何名かから拍手が上がった。

「あと一つ」

 槌田も英も姿勢を低くして目をこらす。頭の中で槌田は台に当たったあとの指輪の軌道を再現する。一つは白いキャビネットに当たった。もう一つはキャビネットを越えて反対側まで飛んだはずだ。ならば七番検査台の下にあるだろう。移動してみると、検査台の下に何かが落ちているのを見つけた。七番ブースでは担当の重田(しげた)が旅客の検査を続けている。手を止めて拾って貰うよりも自分が行った方が早い。槌田は失礼しますと声を掛けてからブース内に入った。膝をついて検査台の下を覗き込むと、奥の方に銀色のものが落ちている。腕を伸ばして指で摘まむ。指輪だった。

「ありました」と言いながら立ち上がろうとしたそのとき、ゴンッ! という重い音とともに槌田の後頭部に衝撃が走った。目測を誤って検査台に頭を強打したのだ。

「大丈夫ですか?」

 七番ブースを担当している重田に訊ねられ、「ああ」となんとか答えて立ち上がる。旅客からあからさまな好奇の目が向けられているのを自覚しつつ、出来るだけ何事もなかったように槌田はブースから出て行く。だが背後からの「今、すごい音がしたよね」という声はしっかり聞こえていた。

「お手柄です」

 英は褒め言葉のみで迎えたが、その顔には明らかに気の毒そうな表情が浮かんでいた。拾った指輪はシンプルなデザインで、内側には文字が彫られていた。結婚指輪だろう。

 これ、とだけ言ってダイヤの指輪を持つ機動班員に指輪を差し出す。受け取った機動班員はすぐさま検査室へと向かった。

「大変申し訳ございませんが、こちらの方を先にさせていただいてもよろしいでしょうか?」

 ポロシャツ男を連れた栗原が、検査の順番を待つ指輪のありかを教えてくれた女性に丁寧に頼む。女性が「どうぞ」と快く譲ってくれた。

「こちら、さきほどの方の」

 こそっと栗原がブース内で検査を引き継いだ検査官に伝える。男の左手薬指には銀色の指輪がはめられていた。夫婦と考えて間違いないだろう。

「申告するものはありませんか?」という定例の質問に、男は「ないです」と答え、続けて「いや、本当にすみません」と何度も頭を下げた。さらに聞かれてもいないのに事情を説明しだした。

「新婚旅行中にケンカになってしまって。ご迷惑をお掛けして、本当にすみません」

 困り果てた顔で早口に言いながら、何度も頭を下げる。

「事情はあちらで伺いますから」

 そう伝えた栗原にも、男は「すみません」と言って、また頭を下げた。自身の検査を無事に終えたポロシャツ男はそのまま検査室へと案内される。男は歩きながらなおも頭を下げていた。その様子にはもはや滑稽さすら感じる。

「どうやら、事件性はなさそうですね」

 英と同じことを考えていた槌田は「ですね」と同意した。

 税関ブースにはもうさほど旅客は残っていない。どこか一つのブースが案件で滞れば、エリア内の検査官が他のブースへ旅客を誘導するからだ。

「このあとが」と、英が言いかけたのに北京便の到着アナウンスが重なった。

「少し早く着いたみたいですね」

 飛行機の到着は様々な事情で予定時刻通りには行かない。到着時刻が重なったり詰まったりというのもよくあることだ。

「ホノルル便と同じくツアー客は少ない便です」

「つまり、要注意ってこと」

「ふざけんじゃないわよっ!」

 槌田の声は女性の金切り声にかき消される。検査室からだ。引き戸が勢いよく開いて、中からスーツケースを押した女性が出て来た。

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日明 恩(たちもり・めぐみ)

神奈川県生まれ。日本女子大学卒業。2002年『それでも、警官は微笑う』で第25回メフィスト賞を受賞しデビュー。他の著書に『そして、警官は奔る』『埋み火  Fire’s Out』『ギフト』『ロード&ゴー』『優しい水』『ゆえに、警官は見護る』など。

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