◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第80回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第80回
第五章──狼煙 05
どよめく傍聴席。志鶴も予期していなかった文子の意見陳述がはじまる。

「十三日前、一緒に朝ご飯を食べたあと、母親の私は、息子に会っていませんでした。接見を禁止されて、顔を見ることも話をすることもできずにいました。今日やっと……初めて顔を見ることができました……」

 鼻声になった。増山は下を向いたまま、肩を震わせている。増山の両側に座る警察官はもう笑っていなかった。傍聴席はしんと静まり返り、法廷画家がペンを走らせる音が聞こえた。彼らは文子も描いているのかもしれない。

「この場でも、言葉を交わしてはいけないそうです。だから私は、息子がなぜ自白してしまったのか、本人の口から聞いていません。それでも私は、信じています。息子は──淳彦は疑われているようなことをやっていません。私の大切な息子は、無実です。無実なのに逮捕され、留置場に入れられ、たった一人の家族にも会えずにいるんです」文子は裁判官を見た。「私は、無実の息子を一刻も早く自由の身にしてもらいたいです。どうか息子を解放してください。お願いします──」文子は裁判官に向かって頭を下げた。

 ぐふっ──増山がこらえきれなくなったように声を出した。

「陳述は以上ですか?」裁判官が言った。

「最後にひと言だけ」文子が答える。「私は、息子が逮捕されてから、初めて、淳彦が観ていたアニメを観てみました。淳彦が一番好きな作品は、〝カルプリ〟──『マジカルアイドルプリンセス』です。アニメなんて観たことのなかったおばあさんの私が、気づけば夢中になって観ていました。うちには知らない人からたくさん、いやがらせの手紙が届いていて落ち込んでいたんですが、それを吹き飛ばしてくれるような素晴らしいアニメだったんです」そこで文子が増山の方を見た。「淳彦──負けるな。空美土(そらみど)キアルちゃんも応援してるよ。彼女、言ってたよね──〝信じる心が奇跡を生む、諦めない気持ちは未来を拓(ひら)く〟って。母さん、あんたのこと信じてるよ! あんたも、諦めないで未来を拓いて──!」

 また、傍聴席がどよめいた。

「被疑者との会話は禁止です!」裁判官が声をあげた。「陳述は中止!」

 文子は言われたとおり口をつぐみ、席に着いた。

「弁護人は、申立人の不規則発言に注意してください」裁判官が志鶴をにらみつけた。「次に不規則発言があれば即刻退廷を命じます」

 文子にやってほしいと打ち合わせたのは、申立人本人による陳述だった。が、アニメに関する最後の発言は、文子の完全なアドリブだ。だがそれで、文子の服装とウィッグの説明もついた。増山に“カルプリ”のカードケースの無事を確認するよう頼まれたとき、そのアニメとゲームについてざっと調べていた。『マジカルアイドルプリンセス』は、魔法の力でアイドルになった少女たちがグループとして活躍し、歌や踊りを通じて世界に平和や希望をもたらすというファンタジーらしい。グループの少女たちにはそれぞれイメージカラーがあり、衣装などはそれで統一されている。文子が言及した空美土キアルのイメージカラーは青。文子のウィッグとワンピースは、空美土キアルをイメージしたコスプレだったのだ。

「おつかれさまでした」志鶴は、ウィッグを外した文子に声をかけた。注意するどころか、グッジョブと言いたいくらいだ。

 ぐふふうう──!

 法廷に、増山の嗚咽(おえつ)が響いた。

 うつむいたまま、咆哮(ほうこう)のような声をあげ、涙とよだれをぼたぼたと落としている。

 志鶴は立ち上がった。「続いて、増山淳彦さんが意見を述べます」

 増山が、嗚咽しながら顔を上げた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている。その目は文子を見、それから志鶴を見た。まばたきをした。激しい葛藤が見て取れた。

「被疑者は前に出てください」裁判官が言った。

(つづく)
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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。