◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第71回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第71回
断章──増山 09
川村という女性弁護士から助言された「黙秘」。刑事たちの反応は?

 

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 それからは毎日地獄だった。淳彦の取調べは他の同室者たちより長く、回数も多かった。検事調べや裁判官調べの日は刑事たちの追及から解放されたが、検察庁や裁判所で、短い取調べを受けるため、狭い部屋に他の被疑者たちと押し込められ、硬い木の椅子で何時間も無言のまま待機させられた。

 唯一の救いは川村という女弁護士との接見だった。最初は、留置官に連れていかれた接見室でアクリル板の向こうに座る彼女を、警察の一員かと思った。弁護士と聞いても、何しに来たのかよくわからなかった。初日の接見で、警察が暴力を振るわなかったかと訊かれたとき正直に答えなかったのも、彼女を信じていいか確信が持てなかったからだ。

 翌日また接見に来てくれ、彼女が自分の味方をしようとしてくれていることは理解できた。彼女はまた、淳彦が憎む女でありながら、他の女たちとは異なり、淳彦を人間扱いし、励ましてくれた。それでも初日の取調べで行われた取調官による暴言や暴力、留置場で始まったボスによる朝の儀式について正直に話せなかったのは、ボスたちの報復が怖かったからだ。生かすも殺すも俺たちの腹一つ──死体遺棄を無理やりに認めさせられた状況についても、係長の暴力的な追及には触れないようにした。

 残念ながら彼女は淳彦を留置場から助け出してはくれなかったし、母親の文子(ふみこ)とも会わせてくれなかった。検察官の取調べを受けたとき、ひょっとしたらこの人なら自分を助けて不起訴にしてくれるかもしれないと期待した。が、裁判所での調べで、検察官がさらに淳彦を勾留する許可を求め裁判官が認めるのを聞いたとき、川村弁護士から検察官は不起訴にするつもりがないのだと言われて、そうかもしれないと思うようになった。

 その翌日、ここ足立南署での取調べで、彼女にさんざん勧められた黙秘をやってみようと思えたのは、絶望のどん底で半ばやけくそになっていたからだ。

 逮捕された直後、淳彦はそれまでとは別の取調室に移された。大きな違いは、机の位置だ。最初の部屋では中央付近に設置されていたが、移された先の部屋では入って左奥、二面の壁に近い位置に固定されていた。もう一つの違いは、天井についたプラスチックの黒い半球だ。

「カメラだ」と逮捕された日、係長が言った。「これからお前の取調べの様子はあのカメラで撮影して録画する。裁判ではそれも証拠になる。顔が見えなくなるから、下を向くんじゃねえぞ」

 以来、足立南署での取調べはこの部屋で行われている。

 この取調室では一対一で取調べが行われる。その日の朝、机の奥側に座らされた淳彦の正面に着座したのは、係長でもボスでもなくノッポだった。

 防犯カメラのような半球型のカメラは左斜め上から淳彦を見下ろしている。ノッポの背後の床には黄色いカラーテープが貼られている。撮影中、取調べをしていない刑事たちはその向こうにいて、こちらにはなるべく入らないようにしていた。ボスと係長とイガグリは、さらにその奥で椅子に座って淳彦を見ている。彼らの前の机の端で、額立てに載せられた綿貫絵里香の遺影が同じようにこちらを向いている。

 手錠は外されていたが、淳彦は腰縄で自分が座るパイプ椅子に縛りつけられていた。裸に剥(む)かれ、体が小さくなったような気がした。だが、ノッポによる取調べが始まると、開き直って川村弁護士の助言どおりこう口にすることができた──「黙秘します」と。

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。