◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第43回

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第二章──窒息 19
接見後に鳴った志鶴のスマホに朗報!? 妹の杏からは予期せぬメッセージが。

 

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 地上へ出ても解放感とは程遠い気分だった。

 岩切は志鶴の想像よりはるかに上手(うわて)だった。不安はあったが、ここまで見事に黙秘を切り崩されるとは。志鶴には真似(まね)できない男性ならではのやり方で、増山の懐に入り込んだのだ。想定外の痛手だった。

 気持ちを切り替えるため、カフェにでも入って一服しようと思ったとき、スマホが鳴った。事務所で留守電にメッセージを残した相手だ。歩道の端に寄り、応答ボタンを押した。

「はい──」

『やあやあ、川村君、都築(つづき)です! 電話もらってたんだね。気づかず失礼した』

 スピーカーごしに、深い響きの声が耳に飛び込んでくる。

「都築先生、こんにちは」

『こっちはもう、こんばんは、だな』

「こっちって──?」

『ニュージーランドだよ。なかなかまとまった休みが取れずにいたが、トラウトのベストシーズンにぎりぎり間に合った! 大物をじゃんじゃん釣り上げたよ。帰国したら川村君にも写真を見せてあげよう。ところで──仕事の話だがね、もちろん返事はイエスだ』

「あの、留守電では依頼人について何もお話ししていませんでしたが……?」

『おいおい、何を言ってる? この僕が、志ある後輩の頼みを断るわけないだろう。それに他ならぬ君が助力を求めてくるんだぞ、やりがいのある事件に決まってる。違うかね?』

「都築先生──」言葉に詰まる。

『落ち込んでいるのかな。世界で一番かっこいい仕事は何かね、川村君? そう、もちろん刑事弁護士だ。なぜかっこいいのか? 絶望的な状況のなかで勇気と希望を持って困難に立ち向かうからだ。顔を上げたまえ。僕が味方になったからには、戦車にでも乗ったつもりでいればいい。クールなプロフェッショナルなら、仕事を楽しまなきゃ噓だ。そうだろう、川村君? 明後日(あさって)日本に帰る。必要な情報は、メールしてもらえるかな。目を通しておくよ。帰国したらすぐ、打ち合わせしよう』

「は、はい──ありがとうございます!」

 電話を終えると、胸が広がったような感覚を覚えた。

 都築賢造(けんぞう)。学生時代、刑事法廷弁護に関する著者として彼を知り、司法修習生になるとエクスターン先として彼の事務所を希望した。アメリカへの留学などを通じて確立した理論に裏打ちされた刑事弁護を実践し、いくつもの価値ある無罪判決を勝ち得てきた、日本でも指折りの刑事弁護士だ。後進の指導にも積極的で、法廷の内外での弁護人としての彼から学ぶことは実に多かったが、一人の人間としても魅力的な人物だった。

 依頼人のためにできることはすべてやる。勾留請求の回避もその一環だ。が、回避できないことも想定の内だ。失点は失点として受け止め、やるべきことにフォーカスしよう。

 検察官が勾留請求を出すと、それが妥当かどうかを判断するため、裁判官が被疑者を呼び出して事情を聴く勾留質問という手続が行われる。明日、増山は今度は東京地裁へと順送されるはずだ。志鶴も、裁判官に会うつもりでいた。

 事務所へ戻ると、森元逸美が「おつかれさま」と声をかけてきた。共有スペースでコーヒーを飲みながら情報を共有する。森元の報告を聞いたあとで、志鶴は検事面接と増山との接見について簡単に話した。

「敵もさるもの、ってやつね。志鶴ちゃん、昨日も事務所に泊まりだったし、増山さんにももうちょっと頑張ってほしいねえ」

 森元にそう言ってもらうだけで少し気持ちが軽くなった。

「でも、いいニュースもあります。都築先生にも手伝っていただけることになりました」

「都築先生、ってあの──やったね! 百人力だわ」森元は周囲を見回すと声をひそめ、「こんなこと言ったらあれだけど、田口先生だけだとどうなるか、正直不安だったの」

 志鶴は安心させるようにうなずいた。

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。