◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第28回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第28回
第二章──窒息 04
多くの案件に奔走する志鶴。増山との接見にこぎ着けたのは午後七時過ぎで……。


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 志鶴は現在、民事と刑事、合わせて三十近い案件を抱えている。

 訴訟案件ばかりでなく、また、他の弁護士と共同受任しているものもあったが、時間はいくらあっても足りない。本当は刑事事件に専念して、一つ一つの事件にもっとじっくり取り組みたいところだが、公設事務所に勤務している以上そんなわがままは言っていられない。

 午前中を費やして、派遣先にパワハラを訴えたら雇い止めにされ、派遣元に対して損害賠償請求訴訟を起こす女性のための準備書面を起案した。日本の民事訴訟では、口頭弁論の内容を書面で準備することになっている。

 午後には打ち合わせが一件入っていた。志鶴は、昼食を抜いてキーボードを叩(たた)いたが、最初の打ち合わせまでに起案は終わらず、中断せざるを得なかった。

 打ち合わせは、天宮ロラン翔子を相手方代理人とする離婚事件だ。

 依頼人からの事実聴取によれば、別居中の妻が家を出て行ったきっかけは、妻が相手を間違って送信したとおぼしきメールについて問い詰めたところ、不倫の事実を認めたことだという。しかしその後、妻は自分が不倫をしていたことも、その事実を認めていたことも否定するようになり、関係修復を望む依頼人に対し離婚を求め、ほどなく連絡を絶った。

 そして訴状が送られてきた。妻の代理人である天宮は、離婚事由として依頼人の妻に対する暴言などによる精神的なDVを挙げ、心療内科が発行したPTSDの診断書を証拠として提示していた。依頼人は仰天した。まったく心当たりがなかったからだ。

 志鶴には、依頼人が噓(うそ)を言っているようには思えなかった。診断書の発行日は、訴状が出される少し前。依頼人の妻は、天宮の助言を受けて取得したのではないか。肉体的なDVを訴える場合、刑事事件となる可能性もあり、証拠のハードルは高くなる。精神的DVを主張するリスクは低い。天宮の狡猾(こうかつ)な戦術である疑いが濃厚だ。

 依頼人からの聴取を元に、訴状への反論を組み立てた。具体的な準備書面の作成はこれからになる。依頼人を事務所の入り口で見送って自席に戻ると、中断していた起案を仕上げ、さらに、星野沙羅の控訴審に向けた準備作業をした。

 今日はこのあと接見を二件、予定している。星野と増山だ。支度を終えた志鶴が立ち上がると、森元逸美が近づいてきた。

「PとJの面会のアポ、取ったよ。接見も調整した。カレンダー確認しといて」

「了解です」

「増山さんの在監も確認。足立南署にいる。それと、マスコミの取材、電話も来所もぜーんぶ撃退したからね」

「ありがとうございます」

 森元は立ち去らず、志鶴を見つめる。

「頑張って、志鶴ちゃん。私は味方だから。困ったことがあったら、何でも言って」

 自分からは何も話していないが、田口との協働を案じてくれているらしい。

「はい!」

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。