◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第24回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第24回
第一章──自白 15
来たぞ──志鶴は、日本の犯罪報道の現実に「ある慣性」を感じていた。

 番組が始まる。トップニュースはやはり増山淳彦の事件だった。これまでの報道をなぞったあとで、この番組では、独自取材をして得た一般人のコメントを映し始めた。

 一人目は、近所に住むという中年男性。路上でのインタビューだ。カメラを下に向け、胸から下だけを映している。くたびれた灰色のジャンパーに、だぼだぼの黒いナイロンパンツ、サンダルという出で立ちだ。

『うん、知ってるよ、知ってる──』

 どことなく投げやりな感じに聞こえる話しぶり。加工処理されていない声の感じからすると、五十代以降のようだ。

『何度も見かけてるけど、そんなことする人には見えなかったけどねえ。まあ、人は見かけによらないって言うからなあ。お母さん、かわいそうだねえ、あそこんちの。俺なんかにも挨拶してくれる、ものすごく感じのいい人よ』

 彼のコメントはそこで終わった。

 続いては、増山の高校時代の同級生という男性だった。今度は大きな車の中で、シートに座ってのインタビューだ。やはり顔は映していないものの、こちらも音声は加工されていない。ダウンジャケットにジーンズという姿。大柄で贅肉(ぜいにく)を感じさせる体形だ。

『彼はねえ、悪い人間じゃないですよ。僕も高校のとき、一時期一緒に遊んでましたけど。お互い漫画とかアニメが好きで、よくそんな話で盛り上がってました。──そうですね。とくに彼が好きだったのは、かわいい女の子が出てくるような漫画やアニメですね──』

 男性にしては高い声で、少し早口だ。

『彼は、ストーリーっていうか完全にキャラクター重視で。その辺で意見が分かれることもあって、ときどき口論みたいになっちゃったんですけど。ふだんはおとなしいんですが、そういうときは結構本気でキレて、怖いな、って思うこともありました。まあ、そんなことが何回かあってあまり遊ばなくなったんですが──。頭に血が上ると、自分でも訳わかんなくなっちゃうタイプなのかなとは思います。まさかこんな大それたことをするとは思ってませんでしたが』

 テロップ──〈かわいい女の子が出てくる漫画やアニメが好き〉〈頭に血が上ると、自分でも訳がわからなくなるタイプ〉。

 そこで彼の場面が終わった。

 来たぞ、と思う。どちらのコメントにも、日本の犯罪報道で前提となってしまっている、ある慣性が働いている。

 すなわち──推定有罪の原則。

 本来、そのような言葉は存在しない。

 存在するのは、推定無罪の原則だ。「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」と説明される、近代法の基本原則である。裁判が終わるまで、あらゆる被疑者、あらゆる被告人はこの原則により無罪と推定されるのが法に則(のっと)った考えなのだ。

 ところが現実はそうなっていない。

 マスコミは「容疑者」が逮捕された時点で、その人物をほぼ百パーセント犯人扱いする。その人物が犯行を行ったという前提で報道し、あるいはコメントする。有責を推認しているも同然だ。むしろ、裁判も始まっていないのに、裁判長のお先棒をかついで有罪を宣告しているかにすら見える。

 表現の自由は日本国憲法で保障されている。報道関係者はあまねく、社会の木鐸(ぼくたく)としての使命感を原動力に日々、自ら信じる正義に奉じているのだろう。彼らには、自分たちがしていることが、増山淳彦のように無力な一個人とその関係者に対してどれほどの打撃を与えるか、たぶんわかっていない。

 マスメディアは同時に営利団体でもある。ということは、情報の受け手である大衆のニーズを満たすことも報道の動機となる。われわれが日頃目にする報道は、われわれ自身の欲望の映し鏡なのだ。

次記事
前記事
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。