◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第19回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第19回
第一章──自白 14
「淳彦はどうしていましたか?」依頼人の母親はすがるような目で志鶴に問う。

「本当はやっていない、とおっしゃってました。私と二人のときには」

「じゃあなんで……?」

「何人もの警官に長時間、やっただろうと言われ続けて、認めてしまった、と」

「そんな……」彼女は眉をひそめ、上を向いた。目が潤んでいる。

 依頼人の母親は、息子の無実を心から信じている。志鶴はそう感じた。とすれば衝撃は察して余りある。家族が犯罪の容疑を受けて逮捕された人が皆、こうした反応をするわけではない。ああやっぱり、と受け止める者も少なからず存在するのだ。

「残念ですが、そういうことは珍しくありません」

「……あの子は、淳彦はどうなるんですか?」

「おそらく裁判で罪を問われることになると思います」

 文子が息を呑んだ。

「それまで、淳彦さんの身柄は拘束される可能性が高いです。そして、今後も、警察官や検察官からの取調べは続きます」

「だって……やってないのに」困惑している顔だ。

「増山さん。私が淳彦さんの弁護人を務めるということでご異存ありませんか?」

 文子の眉尻が下がり、視線が泳いだ。

「私……こんなこと、初めてで……どうしたらいいか」

「淳彦さんは裁判で無実を訴えると決意されました。私もお力になるつもりです。でも、正直簡単ではないでしょうし、長い闘いになります」

「闘いって……でも、証拠がないなら、裁判官が無罪にしてくれるんじゃないんですか」

 日本の刑事裁判の実態を知らなければ、そう考えるのも不思議ではない。

「本来はそうです。ただ、現実にはそうならないことも多いんです。ほとんどの刑事事件で有罪判決が下っているのが実情です。無罪になるのは、ほんのわずか。それに──自白というのは、とても強力な証拠なんです。警察が他に証拠を握っている可能性も高いと思います」

 テレビが観たいと思った。事件に関する続報があるかもしれない。だがそれは後回しだ。

「脅かすようで申し訳ありません。今後の見通しが淳彦さんにとって非常に厳しいということをご理解いただきたいんです。闘わずして無罪を勝ち取れることはありえない──そう思ってください」

 文子が眉根を寄せる。

「一番苦しいのはもちろん淳彦さんですが、無罪を勝ち取るためにはお母様の協力も欠かせません。お母様も大変だと思いますが、淳彦さんと一緒になって闘う覚悟を決めていただきたいんです。私もできる限りお助けします。淳彦さんの弁護人として、認めていただけますか?」

 年配で小柄の女性は無言で、志鶴をじっと見つめた。不安や逡巡(しゅんじゅん)といった感情がその目の中で交錯するのが見て取れた。瞳の奥底からかすかなきらめきが浮上してきて視線が定まり、彼女はいったん口を閉ざし、そして言った。

「お願いします」頭を下げた。

「ありがとうございます」志鶴も頭を下げる。「では、今後の見通しと、対応についてお話しさせてください」

 志鶴は、逮捕後に考えられる処遇、裁判に至るまでの警察や検察の動きについてざっと説明し、それに対して増山に可能な限り黙秘を貫くよう勧めたこととその理由を話した。彼女は真剣な顔で耳を傾けていた。

「お母様は当分の間、接見が許されないと思います。その間は私がお母様との連絡役を務めます。私は裁判所に掛け合って、できるだけ早くお母様が淳彦さんに接見できるよう求めるつもりです。たった一人で何日間も取調べを受け続けるのは精神的にも肉体的にもつらいし、まして、そこで黙秘を貫こうとすると重圧がすごいです。時間の許す限り接見に行って、淳彦さんを励ますのが大切です」

(つづく)
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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。