◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第18回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第18回
第一章──自白 13
増山淳彦の母親と対面する志鶴。しかし永江と名乗ったこの弁護士はいったい?

 門扉を開けて中へ入ると永江は志鶴に向かって手招きをした。背後でふたたびフラッシュが猛然と焚かれた。志鶴は門扉を閉め、永江に続いて玄関に入ると素早くドアを閉めた。

 玄関の照明は薄暗く、入ってすぐに煙草の臭いがした。煙の刺激臭ではなく、壁や家具に沈潜して、もはや家の一部となったそれだ。壁も照明も茶色がかって見える。玄関は家の左端だった。奥に上へ続く階段が見える。その手前に右へと続く廊下、さらに手前に引き戸があった。開いたままの引き戸から女性が顔を覗かせた。

 七十代くらいに見える中肉の女性。膝までの長さの柄物のチュニックの下に黒いパンツという出(い)で立ちで、和柄の五本指のソックスを履いている。ボリュームのない髪の毛を後ろにまとめ、茶色い縁の眼鏡をかけていた。厚みのあるレンズの奥の小さな一重の目は増山淳彦に似ている気がした。母親に違いない。人目を引くところのない、一見して遠慮がちな印象を受ける女性だ。その目には当惑の色が浮かび、視線は落ち着かずに上下した。

「あの、その方は?」

 彼女が、すでに靴を脱いで框(かまち)に上がっている永江に向かって言った。

「ああ、大丈夫ですよ、お母さん」永江が言った。「同業者です、僕の。淳彦さんに接見してきたそうですよ」

「せっけん、って……」彼女がはっとした様子で志鶴に目を向けた。「会ったんですか、淳彦に?」

「はい」

 志鶴の返事を聞くと、レンズの中で目が見開かれた。引き戸を出て志鶴の方へ近づいてくる。

「どうでした、淳彦は? 何て言ってました?」

「私は弁護士の川村志鶴と申します。弁護士会に当番弁護士として派遣され、足立南署に留置されている増山淳彦さんにお会いしてきました。失礼ですが、増山淳彦さんのお母様、文子さんでよろしいでしょうか?」

 目の前の女性が何度も首を縦に振った。

「はい。そうです、私、増山淳彦の母親です。あの子は──淳彦は大丈夫なんでしょうか?」

 おとなしそうな女性が、今にも志鶴にすがりつかんばかりに勢い込んで訊ねてくる。

「まあ、お母さん」とりなすように言ったのは永江だった。「立ち話もなんだから、こっちで座って話しましょうか」

 増山文子が我に返ったように「どうぞ、お上がりください」と志鶴を促した。

 引き戸の向こうは畳の上にカーペットを敷いた八畳ほどの広さの居間だった。茶色い合皮のソファにローテーブル、壁際には大きなテレビ、昭和を感じさせる置物や手芸品らしき和紙の人形などが飾られたローチェストがあった。固定電話が置かれていたが、モジュラーケーブルは外されている。その隅には小ぶりの仏壇。男性の遺影が見えた。増山淳彦の父親だろうか。部屋の壁はクロスではなく茶色のベニヤ張りだった。

 ローテーブルには、レースのテーブルセンターがかけられ、茶碗(ちゃわん)が一つ置かれていた。

 永江がその茶碗の前、一人がけのソファに腰を下ろした。増山文子は志鶴にもう一つの一人がけのソファを勧め、自分は三人がけのソファの端に座った。

 志鶴はバッグの名刺入れから名刺を取り出すと、腰を浮かせて文子に渡した。彼女はそれを両手で持って、顔に近づけてまじまじと見た。

「あ、名刺交換しましょうか」永江が座ったまま志鶴に片手で自分の名刺を差し出した。

 志鶴はその名刺を受け取り、自分の名刺を渡した。

「……へえ、公設事務所なんだ」永江が志鶴の名刺を見て言った。「どう、案外儲(もう)かってたりするの? 公設事務所って良心価格のイメージあるじゃない。依頼者にしてみると、敷居が低いよね」

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。