◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第17回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第17回
第一章──自白 12
足立南署から綾瀬にある増山淳彦の自宅へ。志鶴はインターホンを押すが……。

 

     5


 被疑者段階での弁護人選任届の提出先は警察署だ。接見室を出た志鶴は女性留置官に付き添われ、最上階にある署長室へと向かい、そこで、足立南警察署長に弁護人選任届を提出した。キャリア組らしきまだ若い男性署長は、志鶴が拍子抜けするほど事務的にその手続きを終わらせた。

 志鶴はスマホを取り出し、増山淳彦に教わった彼の自宅の固定電話を呼び出した。発信音がしない。いったん切り、今度は母親の携帯にかける。圏外か電源が切られているという機械的なメッセージが返ってきた。

 足立南署を出ると、周囲は夕暮れていた。時刻は五時半。一時間半近く接見していたことになる。

 出入り口の前に、大きなカメラをかついだ人やマイクを持ったリポーターとおぼしき人たちの姿が目についた。マスコミに違いない。志鶴に目を向ける人はいなかったので足早にすり抜ける。

 依頼人の家は同じ足立区の綾瀬(あやせ)にある。タクシーを呼び止め、スマホで呼び出した地図を見せる。運転手が納得した様子でうなずき、車を出した。

 事務所に電話すると、森元逸美はまだいた。

『おつかれさま。どんな感じ?』彼女が言った。

「今タクシーなので、詳しいことは明日話します。選任されたことだけお知らせしようと思って」

 受話器の向こうで彼女が息を吸う音がした。

『そっか。わかった。所長に報告しておいた方がよさそうだね』

「お願いします。それから、今日は戻りが遅くなります」

『ご家族にお会いする?』

「そうです」

『了解。頑張って』

「ありがとうございます」

 志鶴は通話を終えた。

 タクシーは、西新井から、右手を流れているはずの荒川の流れに沿うように東南方向へ向かう。

 土地勘があるというほどではないが、この辺り、志鶴にとってあながち無縁な場所でもない。荒川沿いの道路に一角を接して東京拘置所の広大な敷地があり、最寄りの東武線の小菅(こすげ)駅を使って何度も足を運んでいるからだ。

 東京拘置所の東側には、綾瀬川という細い川が北を上流に南北に走っている。ちょうど東京拘置所を過ぎた辺りで土手を挟んで荒川と並行に流れるようになり、しばらくすると中川という川と合流する。中川はさらにその下流、河口付近で荒川と合流する。

 この綾瀬川の東側に接し、南北に延びる地区が綾瀬だ。綾瀬川を渡り幹線道路を外れると、一車線の道路に低層の住宅が並ぶ一角に入った。

「そこを右折してしばらく行った辺りでお願いします」

 スマホの地図アプリで確認していた志鶴は運転手に言った。タクシーが一方通行路から別の一方通行路へと右折し、志鶴が顔を上げるのと運転手が「何だろ」と言うのが同時だった。

 前方十メートルほどを斜めに右に入った先は、地図によれば行き止まりになっている。斜めに走る細い道はおそらく私道だろう。住所を聞いて確認した際、増山はその突き当たりが彼の家だと言っていた。

 その道から人と光があふれている。

 スーツを着てスマホを耳に当てている男性。それよりもカジュアルな服装をした男性と話しているスーツ姿の女性。脚立の上にまたがって片手にカメラを持つ髭面(ひげづら)に野球帽の男性。私道の中にもさらに多くの人がいる気配がある。

 私道への入り口の近くには、三台の車が路肩に停(と)まっていた。一台にはテレビ会社のロゴが入っている。

「あ、もしかしてあれか! 女の子殺した犯人の家。それでマスコミが押しかけてんのか。ひょっとしてお客さんも──」

次記事
前記事
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。