◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第15回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第15回
第一章──自白 10
被疑者の言葉をどこまで信じてよいものか──志鶴は注意深く接見をつづける。

 本人に噓をつくつもりがなかったとしても、犯罪を犯してしまったという重い事実を受け入れることができず、自分の味方となるはずの弁護士に対してさえ否認してしまうことはありうる。被疑者が犯行を否定する言葉を簡単に鵜呑(うの)みにはできない。

 判断しない、というのは、被疑者の話を妄信することは意味しない。けれど──志鶴には今、増山の言葉の真偽の判定はつかなかった。

「増山さん。さっき、『そのときは』って言ってましたよね? 私が、警察の人はなぜ増山さんから話を聞きたいか言いましたか、とお訊きしたとき。家に来たときは言ってなかったけれど、そのあと、取調べでは言ってたんじゃないんですか」

 答えはなかった。

「増山さんはおっしゃいました。警察の人が、増山さんが綿貫さんの遺体を遺棄したんだろうとしつこく言った、と。そこまで詰め寄るからには、警察には、何か増山さんを疑う理由があったはずなんです。増山さんもそれを聞かされたんじゃないですか。何て言われたか、教えてください」

 増山は、今はただ呼吸をしている。志鶴は、自分がニュートラルな状態にあるのを確認した。彼が、自分にとって都合の悪いことを隠すようであれば、犯行の否認に対する信憑性(しんぴょうせい)は低く見積もらなくてはならなくなる。

 増山がわずかに顔を上げた。が、表情がはっきり見えるほどではなかった。また、うつむく。

 ここで押し問答をしても仕方がない。志鶴は切り口を変えることにした。

「増山さん。被害者──綿貫絵里香さんのことを、生前、知っていましたか?」

 わずかな間があって、増山はぶるぶると首を横に振った。

「警察の人に言われていないことでも、何か法に触れることをしていますか」

 余罪の有無も、初回接見で確かめておくべきことの一つだ。彼はまた首を横に振った。

「では、前科はありますか」

 こんもりした肩に力が入った。かすかに目を見開く。

「……あるんですか?」

 累犯者ではない、という推測は間違いだったのだろうか。増山は一瞬志鶴を見、すぐに目をそらした。それから、首を横に振った。

「……ない」

 言いづらいことを言わずにいるように見えた。彼の言葉をどこまで信じてよいものか、いよいよ決めあぐねる。だがそれは増山淳彦という一個人の個性として片づけて済むという問題では決してない。

「容疑者」が犯行を自白した──マスコミがそう報道した時点で世間の大多数の人は「容疑者」を犯人だと考える。だが弁護士、とくに刑事を志す弁護士だけはその例外でなければならないし、事実そうなる。捜査員が被疑者に自白を強要することは、一般の人が考えているよりはるかに多く起こっていることを知っているからだ。

 マスコミが大々的に報道するような大きな事件ではそんなことはないと考えるのはある意味自然だろう。しかしよき刑事弁護士たらんとする者は、事実がその自然な感情に合致しないことを否応(いやおう)なく、それもかなり早い段階で学ぶことになる。むしろ、その知見あるいは体験が刑事弁護士を志すきっかけとなることも多いのではないか。他ならぬ志鶴自身がその一人だ。

 判断しない、という言葉の重みは、その実感の裏付けなしに知ることはできなかっただろう。

「増山さん、顔を上げてください」腹に力を込めて言った。

 大きな体の動揺は少し弱まっていた。志鶴が待っていると、彼は顔を上げた。涙と鼻水とでぐちゃぐちゃになっていた。口は力なく開いているが、小さな目が、初めて志鶴の視線としっかり交差した。

「増山さんは、何をお望みですか」

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。