◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第12回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第12回
第一章──自白 07
「助けてくれ!」死体遺棄の疑いで逮捕された増山淳彦は接見室で叫んだ。

 

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「接見室へどうぞ」女性留置官は、表情を消し去って事務的に告げた。

 接見室のドアは、事務室のカウンターの内側にある。無言の二人の留置官を残して中へ入る。接見室はどこもよく似ている。もとより創造性が求められる空間ではない。

 一度に接見できる被疑者あるいは被告人は、一人だ。そのため部屋は狭い。分厚いアクリル板で仕切られた空間には圧迫感がある。閉所恐怖症の気味のある志鶴にとって、接見室は息が詰まる場所だ。どこも同じように空気が淀んでいるように思え、どこか似た独特の、気が滅入るような臭気さえ鼻に感じる。

 しかし、設計思想にヒューマニズムという言葉が介在する余地はおそらくなく、むしろ、性悪説に基づく最小限の機能のみを許され、画一化されたこの部屋こそが、身柄を拘束された被疑者にとっては唯一の、外部へ向けて開かれた窓なのだ。

 志鶴はアクリル板の手前に座り、カウンターの上にノートと筆記用具、その他必要なものを置いて待った。しばらくすると、アクリル板の向こうでドアが開いた。

 戸口の隙間に男性が見えた。立ち止まり、背後をうかがう。制服を着た男性の留置官の姿が覗(のぞ)いた。事務室にいた男性とは別で、もっと若い。留置官は、男性に顎をしゃくって促した。男性が視線を落とし、おずおずという感じで接見室に入ってくる。

 身長はそれほどでもないが、肉付きがいい。丸顔で、ほとんど首がないように見える。白地に淡い灰色のざっくりしたチェック柄のシャツと、その上に着た黒いジャンパーを米俵のように膨らませているのは、筋肉というよりは脂肪のようだ。シャツの裾の下から、ゆったりしているにもかかわらず型崩れした、白っぽいくすんだ色のパンツが見える。

 真ん中で分けた髪の毛は黒々として、狭い額の下に両端が下がって見える薄い眉毛、そこから離れて、一重の小さな目があった。充血している。鼻は大きく、口角の下がった口の、ぼってりして皹割(ひびわ)れた唇は、困惑を表すかのようにすぼまっている。感情が読み取りづらい顔だ。口の周りにあまり長くない無精ひげが、ぽつぽつと生えている。下に落とされたままの視線は落ち着きなく揺らいでいた。

「そこ座って」男性の背後で留置官が言った。

 男性は目の前の椅子をちらと見て、アクリル板ごしに志鶴の存在を確かめたようだが、目は合わせなかった。ぎこちない動きで、いくらか乱暴に腰を落とした椅子が、ぎいっ、ときしんだ。

 アクリル板の顔の位置には、会話ができるよう、小さな穴がいくつも開けられている。その穴を通じて、針のようなものさえ受け渡しができないようにだろう、この部分の板は二重になっており、それぞれの穴はずらした位置に開けられている。板と板との隙間と穴を通じて、かろうじて彼我の音声をやりとりできる仕組みだ。にもかかわらず、そのわずかな間隙を縫って、すえた汗の臭いが志鶴の鼻孔を刺した。

 外見はその人物について多くを物語る。志鶴は少し意外に感じた。もう少し──何というか、社会性が高そうな人物を想像していたからだ。無意識のうちに、今朝のワイドショーで観た犯罪心理学者によるプロファイリングに影響されていたらしい。

 留置官が外からドアを閉めた。アクリル板ごしだが男性と二人きりになる。

 志鶴は目の前の人物に目を戻し、知的あるいは精神的障害の可能性を排除せずにおくよう自分に注意喚起する。被疑者を見下す意図はない。差別ではなく現実として、そうした人たちの中には犯罪を繰り返してしまう累犯障害者も存在する。同時に、その障害が弁護士に看過されてしまい、充分な弁護活動を受けられないことも多いのだ。

「増山淳彦さんですね」志鶴は、快活さを心がけて声をかけた。「こんにちは。初めまして、弁護士の川村志鶴と言います。よろしくお願いします」

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。