◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第11回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第11回
第一章──自白 06
なかなか思い通りに事が運ばない警察署内。留置官は意外な事実を志鶴に告げる。

「私はまさに、"捜査の中断による支障が顕著な場合"だと申し上げている。犯罪者を捕まえておしまいなら、警察の仕事も楽なもんです。残念ながら、検察送致という重いお役目もしょわされてる。先生もご存じのはずですよ。日本の刑事法では、被疑者の供述によらなければ立証困難な主観的要素が構成要件として多く定められている。強制捜査もまず許されない。取調べこそ、国家刑罰権を適正に実現する肝心要だ。これを接見妨害と言われては、警察官は事件の解決なんてできなくなってしまう。先ほどの判例では、接見を許可しなかった弁護人に対し、検察官が、"接見交通を害しないような方法により接見等の日時等を指定する義務"を怠ったことが問題視された。そうですね? だから私は川村さん、あなたに日時を指定した。本日の午後六時と。これが接見妨害の要件を満たしますかな」

 思いがけぬことに、こちらのフィールドで正面から反撃してきた。そのことを楽しんでいるようにさえ見える。最初に応対した若い刑事の目に感嘆の光。

 志鶴はショルダーバッグから、小型のデジタルビデオカメラを取り出した。スイッチを入れ、壁にかかった時計を写してから、北警部にレンズを向ける。若い刑事が「おい」と声をあげたが、北警部はまったく動じなかった。

「二〇二*年三月十三日、十三時三十分──」志鶴は記録のためマイクに吹き込んだ。「警視庁捜査一課の北警部は、捜査の中断による支障が顕著だとして、被疑者である増山淳彦さんへの弁護人川村の速やかな接見を認めず、取調べが終わる午後六時まで待つようにと要請しました」

 液晶ディスプレイを確認した志鶴は、北警部に目を向ける。

「法的根拠については伺いました。北警部、これが接見妨害でないとおっしゃるなら、被疑者である増山さんの意思を確かめてください。直ちに当番弁護士への接見を求めるかどうか」

「──いいでしょう」北警部は落ち着いた様子で答えた。

「現在の日時は確認しました。あなたがちゃんと訊いてくださったかどうか、あとで記録を確認します」

 北警部の目元が緩んだように見えた。引き込まれそうな深みのある笑みだった。裁判員裁判の対象事件では、警察でも検察でも取調べは全面可視化され、つまりは録画されている。殺人事件に発展する可能性のある死体遺棄事件も対象となる。だが油断してはいけない。

「まだ被疑者から弁護人として選任されるかどうかはわからない。それでも、今の時点でやるべきことを尽くす。失礼だが、お若いのにしっかりした弁護士さんですな」と言って、最初に応対した若い刑事に顔を向ける。「川村先生をご案内して」

「わかりました」若い刑事が堅い声で答えた。

 志鶴はビデオカメラをしまう。その場から動かない北警部に見送られ、若い刑事に促されてエレベーターに乗る。刑事は、「留置管理課」と館内表示に記載されていた階のボタンを押した。刑事に付き添われて接見室へ向かうのは、初めてだ。お互い無言のままの何秒かが過ぎる。エレベーターを降りると、通路の奥のドアに、「留置事務室」とプレートがあり、無言で志鶴を先導していた刑事はノックして開けた。

 奥に長い、窓のない部屋。面積と比してドアが多い。ここにもカウンターがあり、その向こうに留置場管理官が二人いた。男性と女性が一人ずつ。

「接見希望の弁護士さんです」

 刑事が言うと、定年間近の年齢に見える眼鏡をかけた男性が立ち上がり、近づいてきた。

「被疑者は今取調べ中ですから、刑事課から連れてきます」刑事が彼に言った。

「ああ。さっきの電話の」志鶴を見て男性留置官がうなずく。電話を受けた女性から聞いていたのだろう。

「よろしくお願いします」

 刑事はそう言い残すと、志鶴には目もくれず事務室を出て行った。そもそもここはアウェーなのだ、と気を引き締め直す。

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。