◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第2回 後編

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庶民の間で募る田沼意次への不満。加瀬屋伝次郎は村山打ちこわし騒動を知り…

 

     六


 四月二十九日、丸屋勝三郎(まるやかつさぶろう)が新たに摺り上げた銅版画を持ってきた。御茶ノ水の景色を描いた、縦八寸四分(約二十五センチ)、横一尺二寸五分(約三十七センチ)ほどの画(え)に、筆で鮮やかな色をつけたものだった。

 神田川をまたいだ神田上水道の懸け樋(ひ)が見え、さいかち坂の土堤上から神田川を挟んで西方を望んだ風景で、遠くに富士がたたずんでいた。水道橋とその奥の小石川御門にかかる橋までが腐食(ふしょく)銅版画特有の細やかな線で丹念に描き込まれていた。近景の土堤には馬を連れた馬方と何やら命じている杖をついた商家の主人、二人連れの女と挟み箱を担いだ下男、立ち話する武家、近くの人物は大きく、遠くにいる者は小さく、西洋の遠近法が使われていた。人物も馬や犬も影が描き込まれ、対岸の斜面に生えた高木が松や杉でなく、銀杏か栃のような落葉する樹影で、どことなく西洋画の風趣をたたえていた。

 多くの者が悪政と飢えに苦しみ、江戸市中でもしきりに打ちこわしの風評が流れてくるこの時節に、丸屋はどこ吹く風で西洋銅版画に打ち込み、少しやつれたものの生気にあふれていた。

「こうでなくちゃな」と伝次郎はその画を見たあとで漏らした。丸屋は、伝次郎が銅版画の感想を言ったものと思ったらしく頭を下げて笑みを浮かべた。

 伝次郎はそうではなくて、絵師は世俗の騒音ごときに煩わされず、何が起ころうとどこ吹く風で画業に打ち込めばそれでよいのだと言ったのだった。現に丸屋の新作『御茶水景図』は、青い天空がどこまでも広がり神田川も青くゆったりと流れて、さわやかな風が突然舞い込んできたような気にさせた。

「いいものはいい。……よく辛抱しなすった」と伝次郎は新作の画を見ながら言った。

「旦那にそう言っていただけると報われた思いがいたします」しみじみと丸屋は漏らした。

 丸屋勝三郎といえば、絵師としての腕は良いが、妙に片意地を張り、大口をたたき、他人を口汚く罵っては鼻で嗤(わら)う、およそ品性に欠ける大たわけで知られていた。ところが、丸屋には、おのれの画才を無条件に認めてくれる人にだけは、ひどく謙虚で礼を重んずる不思議なところがあった。

 

 前年(一七八三)秋九月、丸屋勝三郎は『三囲景図(みめぐりけいず)』と題した腐食銅版画を完成させた。このたびの『御茶水景図』より少し大きな画で、隅田川畔の三囲稲荷周辺を描いたものだった。それにも空と隅田川、長く続く土堤が描かれ、奥には遠く筑波山が見えていた。ただし、遠くのものを次第に小さく丹念に描き込むあまり左岸と右岸の土堤が画中でひとつに交わり、隅田川が大きな池のように描かれてしまっていた。はるかに筑波が位置し、右奥には今戸焼き窯炉からの煙、左に三囲稲荷の鳥居と玉垣があるので隅田川だと判断できる画となっていた。それからみれば、このたびの神田川は川になって流れ、丸屋の吹聴する「西洋遠近法」も次第に手の内に入ってきたようだった。

 新しい時代というものも、丸屋本人が「本邦初」と自讃する銅版画『三囲景図』を目にした時に伝次郎は初めて感じた。

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飯嶋和一(いいじま・かずいち)

1952年山形県生まれ。83年「プロミスト・ランド」で小説現代新人賞を受賞しデビュー。88年『汝ふたたび故郷へ帰れず』で文藝賞、2008年『出星前夜』で大佛次郎賞、15年『狗賓童子の島』で司馬遼󠄁太郎賞を受賞。18年刊行の最新作『星夜航行』は、第12回舟橋聖一賞を受賞。