ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第6回

ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第6回

漫画雑誌というのは「努力・友情・勝利」などではなく「疑心暗鬼」で出来ている。

また担当からの催促を受けてこの原稿を描いている。
私はこう見えて原稿を催促されることは少ないのだが、何故かこの連載だけはよく催促される。
これはコラムのテーマ自体が「漫画家」なので、漫画家特有の「〆切に追われる」という現象のヒリヒリ感が読者に伝わるよう、無意識のうちに己を追い込んでいるせいだと思う。
役作りのため過酷な体作りをする役者と同じだ、我ながら見上げたプロ根性だ。

しかし、〆切り当日にすっかり忘れていた仕事の催促をされてもその日の内にまだ何とか出来るのが、文章の良い所だ。漫画でそうなった場合、原稿より遺書を書いた方が早い。

会社でも、40秒で支度すれば間に合う時間に起きたならまだ行く気になるだろうが、朝礼開始時刻に起きたら素直に「休む」か「辞表」を選ぶだろう。それと同じことだ。

漫画界には「落とす」という言葉がある。
WEB漫画の場合は、多少の遅延はなんとかなるし、遅れて掲載することも出来る、しかし紙の雑誌の場合そうはいかない、ある程度ギリギリまで待ったら、来ない原稿という名の乗客は置いて発車しないと雑誌自体が出なくなる。

つまり「落とす」というのは本当に原稿が間に合わず、雑誌に穴をあけてしまうことを指す。
しかし、皆さんも雑誌に何も印刷されてない「メモ帳ページ」を見たことはないだろう。
中にはメモ帳に出来そうなほど余白がでかい漫画もあるが、それでも何かしら印刷されていたはずだ。見開き2ページを使った血しぶき一点とか。

漫画家というのは基本的に編集者という生物を1ミリも信用していない。何を言われても、国民年金の奴が厚生年金の奴を心から信じるなどあり得ない。
だが、それと同じように編集者も漫画家を信用していない。

つまり漫画雑誌というのは「努力・友情・勝利」などではなく「疑心暗鬼」で出来ている。

そして編集はその疑心から、漫画家の野郎が本当に原稿を落とした時の「代原」をちゃんと用意しているのだ。
代原とは、漫画家のクソ野郎が原稿を落とした時、いつでもその穴を埋められるように用意している代理原稿のことである。
突然、前号で予告も何もなかった「期待の新人によるフレッシュ読み切り」が掲載されるのはそういうことである、原稿はフレッシュかもしれないが、掲載される理由は発酵しきっているのだ。

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カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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