ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第22回

ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第22回

新しいネタを思いつきたければ、
新しい物をインプットするしかない。
もしくはネタという名の事件を起こすしかないのだ。

よって、前に描いたことを描いている時は、ネタの使いまわしな時もあるが「本気で前に描いたことを忘れている」場合もあるので、作家が30代後半以上の時はあまり責めないでやってほしい。

つまり、いかにも「考えています」というポーズで考えても、あまり新しいことは思い浮かばないのだ。

どうしても、考えていることが周囲に伝わる形で考えたいという場合は「考えている人」の像を完コピして考えると良い。
さすがに人前で全裸になって考えれば、鉄格子などの新しい世界が見えてくるはずである。

新しいネタを思いつきたければ、自分の中に新しい物をインプットするしかない。

だから作家はデリヘルを呼ぶのだ。

今のはただの例えだが、1人で考えるより他人と会話することで、新しいことを思いつくことも多いのである。
ただ「思いついてしまった作家」というのは完全に上の空状態となり、以後人の話を全く聞かず、帰りたそうにするので、だんだん会話してくれる他人がいなくなる、という問題もある。

だから作家はデリヘルを呼ぶのだ。

今のはただの例えだが、ちゃんと対価を払って「取材」する作家も少なくはない、ということである。

また人間からだけではなく、映画や漫画、アニメなど、他の創作物からインスピレーションを得られることもあるし、新しい情報を知るためにはネットサーフィンも必要だ。

つまり作家は、漫画を読むのも、アニメを見るのも、ネットで鬼女板に張り付くのも、マットプレイをするのも全て「仕事」と言えなくもないのである。

よって、一見して、ゲームで遊んでいたり、ローションまみれになっているように見えたりしても作家には「遊んでないで仕事しなさい」などと言ってはいけない。
むしろ、それは「構想の邪魔をしている」と言える。

特に私はこのようにエッセイの仕事も多い。
エッセイというのは、作家の実生活をそのまま作品にするジャンルだ。

つまりエッセイストは「息をしているだけで仕事をしている」と言える。

息や心臓が止まってない限りはエッセイストに「仕事しろ」と言ってはいけないし、止まっていたら速やかに救急車か警察を呼んでほしい。

エッセイは、自分の生活をそのまま描けば良いのだから、ネタを考えなくて良い、と思われるかもしれないが、そんなことはない。

そのまま描いたらクソつまらないからだ。
そもそも事実だけを書いたら「起きて寝た」の5文字で終わってしまう。
この5文字を2000字にするのがエッセイストの仕事なのだ。

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カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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