ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第18回

ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第18回

私は、作者が死んでも続く、
サザエさんやドラえもん方式に憧れている。
だが、新しい話を考えるのは苦痛だ。

このように、画力がないと、新しい話を考える時でも「自分が描けるもの」という、亀甲縛り状態からスタートする羽目になってしまう。

「漫画の魅力は絵の上手さだけではない」と言う「ブスは三日で慣れる」と同カテゴリの言葉もあるが、絵が上手くないと言われている売れている作品はよく見たら上手いし、三日で飽きさせるような平凡な顔はブスではない。

少なくとも上手いにこしたことはなく、描けるものが多ければ仕事の幅だって広がるのだ。
おそらく私には「漫画でわかる外科手術」みたいな仕事は絶対こないと思う。
二つある内臓は一個省略して描くか、口から肛門までを「直線」で表現するに決まっているからだ。

また俺が読みたい話や、描きたい話が「他人が読んでも面白い話」とは限らない。

大体、会社で「書きたい書類」などあった試しがないだろう。働き手の「やりたさ」が考慮される創作界が特殊すぎるのだ。

ベストなのは、作者が描きたい話で、読者も面白いという状態だが、商業である以上優先されるのは読者の面白さである。

つまり「売れる作品を描け」ということだ。

昔、私の母校で講師をしている、ベテランの先生に「売れる漫画描きたいっすね」という、言葉というよりもはや「鳴き声」レベルのことを言ったところ「今売れている作品を読んで『売れている要素』を分析すると良い」という申し訳ないぐらいのマジレスが返ってきた。

確かに、漫画の元は脳内で作られる絵空事だが、それを思いつくにも「刺激」が必要だ。

直に脳に電極を刺すという意味ではないし、それで面白い話が思いつくならウニ状になるまで刺す。

つまり、面白い漫画や映画などからインスピレーションを得ることで、また新しい絵空事が思い浮かぶのである。

着想を得られるのはフィクションからだけではない。
歴史の教科書の織田信長や前方後円墳を見て「これを女の子にすれば、あるいは?」と思いつくこともある。

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カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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