辛酸なめ子「電車のおじさん」第6回

辛酸なめ子「電車のおじさん」第6回
このところ、玉恵はおじさん難の日々。
地上で共生しているおじさんたちは、地下で巨大な
ネットワークを形成しているのかもしれません…。

 20分後くらいに救急車が到着。担架を持った救急隊員がやってきました。父は具合が悪そうながらも、椅子に座って待機していたので、救急隊員の前ではもっと緊急っぽく部屋に倒れていた方が良かったのでは? という気持ちがよぎった玉恵。でも担架に横たわって運ばれると、いっぱしの重病患者のようです。

 車内で心電図をつけて、脈拍や血圧もチェック。毅然とした救急隊員がかっこよく見えます。

「手をグーチョキパー、ってやってみてください。今触っているのは何の指かわかりますか?」「左手の小指……です」力なく答える父。でも感覚はちゃんとしているようで玉恵はホッとしました。

「では、◯◯大学病院に向かいますね」

「お願いします!」

 メガネの救急隊員の男性は、毎日こうやって大変な状況の人をサポートしているのでしょう。どんな場面でも動じない、無表情な顔でしたが、目には知性と自信がみなぎっています。ちょっと好きになりそう、と玉恵は思いました。もしかしたら、人を好きになりたかったのかもしれない、と……。

 今は救急隊員にボーッとしている場合ではなく、父を病院に送り届けなくてはなりません。でも、救急隊員の修羅場フェロモンは半端ないです。付き添いの隊員だけでなく、運転担当の隊員もワイルドさと礼儀正しさを併せ持っていました。

「恐れ入ります、右に曲がります!」「恐れ入ります、赤信号直進します!」「すみませんが間隔を空けてお待ちください!」

 と、スピーカーで周りの車に慇懃に呼びかけながらも、猛スピードで車列を左右に抜けながら、走っていくのです。ドライビングテクニックも大したものです。玉恵は、こんな状況ですが、ドライブでこんなにドキドキしたことはないように思いました。もちろん父が心配という緊張感もあります。それと、救急車と救急隊員のアドレナリンや非日常感が加わって、擬似的な恋愛感情を引き起こしたのでしょう。吊り橋効果よりも多大な救急車効果。そしてこんなに無償で助けてくれたのに、病院に着いたら名乗りもせず、また次の現場へと立ち去ってしまう。その去り方もかっこよすぎです。
 

電車のおじさん


 父が病室に入っていって待ち時間になったので、玉恵はつい「救急隊員 かっこいい」で検索。すると同じような意見の女性たちがいて、共感に包まれました。

 救急病棟のスタッフたちも志が高く、男性も女性もキビキビと働いていて、玉恵は感動を覚えました。毎日死と向き合うハードな仕事なのに、使命感を持ってポジティブに働いている医師や看護師たち。この方々に比べたら、死について何も実感もないまま、安全な会社の机で「終活手帖」なんて考えて、得意げになっていた自分が恥ずかしいです。

 数時間後、診察室に呼ばれたので向かったら、青い服のお医者さんが状況を伝えてくれました。ドキドキしながら拝聴する玉恵。

「CTやMRIを撮り、血液検査もしましたが、緊急の対応を要する変化はないことを確認しました」

「そうですか! ありがとうございます。ではあの具合の悪さは……」

「食あたりですね」

「えっ……」

 玉恵は絶句しました。母が旅行に行って不在の間、期限切れのものでも食べたのでしょうか。それにしても人騒がせすぎます。以前、リアリティ番組で、大家族の父親であるビッグダディが大腸がんかもしれないと家族を心配させておいて、病院で「痔です」と告知されたシーンで脱力したものですが、それ以上に力が抜けました。

「お騒がせして、すみませんでした……」

 病室に戻るとベッドに横たわっている父が「ふぁ~あ」と大あくびをしていて、玉恵は苛立ちと安堵が混ざり合ったような思いでした。何の因果か、おじさんに振り回される毎日です。
 

〈「きらら」2019年2月号掲載〉
前記事

 


 

連載最新話は「きらら」で!
毎月20日発売

▼定期購読のお申込みはこちら
きらら定期購読

 

辛酸なめ子(しんさん・なめこ)

1974年東京都生まれ。漫画家、コラムニスト、小説家。近著に『辛酸なめ子の世界恋愛文学全集』『大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ』など。最新刊に『ヌルラン』がある。