辛酸なめ子「電車のおじさん」第6回

辛酸なめ子「電車のおじさん」第6回
このところ、玉恵はおじさん難の日々。
地上で共生しているおじさんたちは、地下で巨大な
ネットワークを形成しているのかもしれません…。

 夕方、駅のホームで電車を待っていた玉恵の耳に、どこからともなく猫の声が聞こえてきました。

「ニャオ~ン」

 どこかに猫が? と、猫好きの玉恵は周囲を見回しましたが、バスケットなどを持っている人は半径数メートル以内に見当たりません。

「ニャ~オ」

 まただ、と玉恵はキョロキョロしました。声の出所は、ななめ前に立っている革ジャンの痩せたおじさん以外にはいなそうです。

「ニャ~」

 玉恵は、おじさんの口から鳴き声が発せられていることをはっきりと確認しました。

 キモ……とか思ってはいけないですよね。このところ、玉恵はおじさん難の日々でした。電車で出会ったキレやすいおじさんと交流を持つようになり、そのおじさんが勝手に一緒に旅行するという話まで進めようとしていたのを、きっぱりと断ったのが一週間ほど前。それから、不親切なタクシー運転手のおじさんとか、盛大にくしゃみをしてきたおじさんとか、嫌な感じのコンビニ店員のおじさんとかに次々と遭遇。おじさん全体に復讐されているかのようでした。映画「アバター」に出てきた植物のように、地上で共生しているおじさんたちは、お互い思念波で交信し合い、地下で巨大なネットワークを形成しているのです。

 なので玉恵はできるだけ、変なおじさんを見かけても、温かい目で見るようにしたいと思っていたのです。

「ミャッ」電車に乗り込んだ猫おじさんは、空席を見つけて嬉しそうに鳴いていました。ちょっとかわいい……と思うことにします。しかしおじさんの前には、獰猛な犬の顔がプリントされたニットを着ているおばさんが座り、それ以来猫の鳴き声は聞こえなくなってしまいました。猫おじさんは、ぼんやりとスマホを取り出して眺めていました。猫動画でも見ているのでしょうか。大体おじさんよりもおばさんの方が圧が強めのことが多いです。もしかしたらおじさんは皆が思っているよりも、けなげで無害な存在なのかもしれません。

 玉恵の前を、立ったままiPadでソリティアをしているおじさんが横切りました。よっぽど大画面でやりたかったんですね、と、玉恵はうっすらほほえみを浮かべて、そのおじさんを見守りました。

 翌朝家の近所では、宅配便のおじさんと工事現場のおじさんが「おはようっす!」と挨拶しているシーンに遭遇。どこで二人の交流が生まれたのでしょう。ほほえましいシーンです。

 こうやって、おじさんへのポジティブな印象を積み重ねることで、少しずつ、おじさん運が良くなっている気がしていましたが、錯覚だったのかもしれません。会社に行ったら、渾身の「終活手帖」の企画の存続が危ぶまれる事態になっていました。

 玉恵は柳田課長に呼び出され、こう告げられました。

「この前の『終活手帖』なんだけど、ちょっと時期を考え直すというか、保留にしていいかな。
 今、『ざんねんな死に方』という本が話題なの、知ってる? 最初は売れてたんだけど雲行きが怪しくなっているんだよね」

「ツイッターで見ました。炎上してるんでしたっけ」

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辛酸なめ子(しんさん・なめこ)

1974年東京都生まれ。漫画家、コラムニスト、小説家。近著に『辛酸なめ子の世界恋愛文学全集』『大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ』など。最新刊に『ヌルラン』がある。