辛酸なめ子「電車のおじさん」第2回

辛酸なめ子「電車のおじさん」第2回
おじさんたちに物足りなさを感じている玉恵は、
地元のデニーズであのおじさんをまた目撃!
もしかしたらそこそこお金持ちだったのかも…!?

 雨の通勤。文具メーカーにつとめるOL、玉恵は、朝から苛立っていました。雨のせいでしょうか、誰かが仕掛けた罠のように、駅や道路の黒いタイルがよく滑り、何度も足を取られかけました。さらに危ないのが、おじさんたちの傘の持ち方。傘を横にして持って手を振って歩くので、尖った部分が後ろの人に刺さりそうです。玉恵はたまりかねて、危ない持ち方をしている60がらみのおじさんにすれ違いざまに「傘、危ないですよ」と注意してしまいました。しかし彼はチラッと一瞥してきただけで、無視してそのまま歩いて行ってしまいました。

 先日、総武線で、降りるときにやたら押してきたおじさんについ一言物申したら、そのおじさんに逆ギレされたという一件があり、今となってはリアクションしてくれたおじさんが懐かしいです。あのとき、おじさんに触発され、玉恵の中にたまっていた怒りや戸惑いなどの感情が湧き上がったのですが、今回のように無視されてしまうともやもやした思いを封じ込めることになってしまいます。

 世の中の大多数のおじさんはリアクションが薄いです。玉恵はそんなおじさんたちに、もどかしさや物足りなさを感じるようになっていました。会社のおじさんたちも、日頃の鬱屈した思いをためこんでいるようです。例えば、会社では納涼会というあまり意味のないイベントを毎年の慣習で行っています。その納涼会にかける本部長の意気込みがすごすぎて、会社の経費もかなり使ってしまっているというのが問題になっていました。お盆前で忙しいのに、玉恵は課長に呼び出されて、近くの喫茶店で本部長のグチを聞かされる羽目に。納涼会なんかより、今朝ネットのニュースで見た、インドネシアで女性が7mの巨大へビに丸飲みされたニュースのほうがよっぽど涼しくなりましたが……。

 柳田課長は、近くに新しくできたカフェでアイスコーヒーを飲みながら、深刻な表情で切り出しました。

「本部長、会社にマジシャン呼んで打ち合わせしてたやろ。また会社のお金使って自己満なんやろうね」

「自己満……ですか」

「去年の芸もひどかったな。最初、お坊さんの格好で登場してお経を読んで、そのあとなんだったけ、あの、『千の風になって』を歌って。それからT.M.レボリューションの曲。本人はご満悦やったけど……」

「私、途中からしか見てなかったですが、たしかに脈絡ないですね」

「みんな外でタバコ吸ったりほとんど聞いてなかったよな」

「お坊さんの衣装ってシュールですね」

「そういえば山中係長の江頭の物まねは完成度高かったな」

「たしかに、やり切っている感がありましたね。体張ってましたし」

「それにしても納涼会って誰のためにやるんやろ……」

 それはこっちこそ聞きたいと玉恵は思いました。どうでも良いという思いでいっぱいですが、社員によっては納涼会の芸が部下の支持率に影響したりするので意外と重要なのかもしれません。

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辛酸なめ子(しんさん・なめこ)

1974年東京都生まれ。漫画家、コラムニスト、小説家。近著に『辛酸なめ子の世界恋愛文学全集』『大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ』など。最新刊に『ヌルラン』がある。