辛酸なめ子「電車のおじさん」第1回

電車のおじさん 辛酸なめ子 第1回 
文芸誌「きらら」で話題沸騰!
漫画家・辛酸なめ子が描く「おじさん小説」、小説丸でも連載スタート!!

 世の中にはいいおじさんと悪いおじさんがいる。OLの玉恵は、最近そんなことに気付きました。

 毎朝、ラッシュの通勤電車に乗っていると、おじさんたちに囲まれ、体の一部を密着させることになります。殺伐とした車内では、ときに人のエゴがむき出しになります。電車の入口横で岩のように固まって降りようとしないおじさんとか、降りるとき押してくるおじさんとか、咳をしたらにらんでくる心の狭いおじさんとか。朝からドッと疲れます。玉恵は毎日総武線で、御茶ノ水の文具メーカーに通っていました。朝の総武線のラッシュは凄まじくて乗車率200%近い、とどこかで読んだことがあります。亀戸からの11分間は短くても地獄のようでした。スマホも出せないし、つぶされそうになりながらただ立っているしかありませんが、もし貧血を起こしても倒れなくてもすむ、というのが唯一の利点でした。もし具合が悪くなって遅刻でもしたら、今度は会社のおじさんたちに小言を言われてしまいます。御茶ノ水の文具メーカーに勤めている玉恵は、職場でもおじさんたちに囲まれていました。

 とりあえず、今は通勤電車をなんとかやり過ごさなければ。高校時代、住んでいた赤羽から通学で使っていた埼京線に比べれば、総武線はまだましです。とにかく痴漢だらけの路線でした。女子高生じゃなくなったせいか、それとも痴漢撲滅キャンペーンの効果か、このところ痴漢に遭わなくなったのはよかったです。むしろ痴漢に間違えられることを恐れる男性たちが増えたようです。玉恵の両側の男性は、両手を上げてポールやつり革につかまっていました。「痴漢冤罪保険」という痴漢に間違えられたときのために入る保険のポスターがドアの上に貼られています。すぐに弁護士にヘルプコールできるそうです。男性って大変、と玉恵は思いました。といっても最近は鞄の角で女性の体をなぞってくる痴漢もいるらしいのでまだ油断できません。

 何もできない車内で、大人しくしているおじさんたちを眺めていたら、それぞれの白シャツの素材の違いが際立って見えてきました。白いシャツにはその人の経済力とか家庭の事情が透けて見えます。

(この人のシャツはスケ感からポリエステルでしょうね。ちょっと安っぽいけど) (このおじさんのシャツは綿だけどくたっとしている。3年は着てそう) (この若い男性のシャツは綿とポリエステルがほどよく混合してる感じ。ポリ65%ってとこかな) (あのメガネの男性のシャツ、綿っぽいし、ちゃんとアイロンがけされてる、奥さんがかけているのかな。ちゃんとした家庭なんでしょうね)……暇つぶしにおじさんのシャツをジャッジしていたつもりが、ふと、今のところ幸せな結婚生活とは無縁な我が身に気付いて、朝から切なくなってきました。玉恵の着ているトップスは、ちなみに綿55%、ポリエステル45%でした。中途半端な自分を表しているかのようです。

次回更新予定日

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辛酸なめ子(しんさん・なめこ)

1974年東京都生まれ。漫画家、コラムニスト、小説家。近著に『辛酸なめ子の世界恋愛文学全集』『大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ』など。最新刊に『ヌルラン』がある。