問題作『国会議員基礎テスト』文庫化! 舛添要一氏による解説、全文公開!!


 本書は基礎編、中級編、上級編、実践編の四部構成で、小見出しは設問形式となっている。いくつか引用すると、基礎編には「政策秘書について説明せよ」、「国会議員の歳費について説明せよ」、中級編には「衆議院議員補欠選挙について述べよ」、「議員立法と閣法の違いを述べよ」、上級編には「公示前にできる政治活動について述べよ」、「衆議院解散の手続きについて述べよ」といった問いが発せられ、その答えが明確に記されており、その上で小説のストーリー展開が行われる。楽しみながら、国会議員として必要な知識をインプットできるようにもなっている。それこそ、試験で政策秘書になろうという人には、本書は試験の虎の巻のような役割を果たすであろう。 

 ところで、最初の設問は、「政治とはなにか」である。著者は、政治家に必要な資質として情熱、責任感、判断力の三つを列挙したマックス・ヴェーバーを引用する。現代のアメリカ政治学の表現を使えば、「希少資源の権威的配分」という定義となろう。政治はまた、ナチスの御用学者、カール・シュミットが言うように「友・敵関係」でもある。また、イギリスの政治学者バーナード・クリックの言うように、「暴力によらない支配」が政治の特色である。 

 また本書を構成する軸の一つは選挙である。立候補するにはどうするか、選挙資金や選挙ボランティアをどう集めるか、マスコミをどう活用するかなど、実際に行われている選挙戦と寸分違わない形で再現される。国会議員として選挙を体験した立場から見ても、本書の記述は選挙の実態を忠実に描写している。 

 その選挙をめぐって、業界や労組などに協力要請をしたり、敵陣が不利になるような怪文書を配布したりといった記述を見ると、予算(希少資源)をぶんどってきて誰に配布するかを決める政治の役割が分かってくる。また、政策ではなくライバル候補のスキャンダル探しに血眼になる様子も重要な要素として描かれているが、これこそ、まさに「友と敵」の対立を雄弁に物語るものである。このように、本書は楽しませながら、政治学の理論とそれを実証する実例を教えてくれる。 

 しかしながら、人々の利害を調整する者がいなければ社会は立ちゆかなくなる。その「高貴な仕事」をしているのが政治家であり、それは「可能性の技術」でもある。いったんは国会議員を辞職した優太郎が、介護施設で働くなどして社会の矛盾に直面し、再び立候補する決意を固めたのは、政治が極めて専門的で高貴な仕事であることに気づいたからである。 

 しかし、日々展開される日本の政治の現場を見ると、高貴とは対極にあるドロドロとした権力闘争や利権をめぐる業界との癒着が目につく。本書でも、票とのバーターで地元への公共事業の誘致を決めるケースが取り上げられている。このような政治の醜悪な側面もまた直視する必要がある。著者は、目的と手段の緊張関係にも目をつぶらずに、淡々と記述している。いわゆる綺麗事では済まない政治の実態であるが、それを克服するのは政治家のみならず、有権者の責任でもあるのだというメッセージが行間に込められている。

 

「猿は木から落ちても猿のままだが、政治家は選挙に落ちるとただの人である」と言われるように、選挙は政治家が「生死」をかける戦場である。したがって、実際に基礎テストを立候補要件とすることには、現役政治家を含め多くの反対があるだろう。自らがテストで合格点をとる自信がないというのが最大の理由になるであろうが、それに加えて「そもそも論」がある。 

 つまり、「そもそも民主主義とは国民が主権者であり、主権者が自らの代表として誰を選ぼうと自由である」という正論である。むろん被選挙権については年齢や国籍などの制限があるが、テストで測る知識量などで立候補を制限してはならない。知識量が少なくても、人間的に憎めない人、スポーツや芸能の分野で国民を鼓舞激励した人、こまめに選挙区を歩いて有権者の願いを国会に届ける人、いずれも国会議員に値するという考え方である。これも理解できる。 

 それは、頭でっかちで人間を理解していない国会議員には、国民の本当のニーズが掴めず、政策立案に失敗する例もまた、私は見てきたからである。外交安全保障が専門の私が、外務大臣や防衛大臣ではなく、厚労大臣になったのも、知識の量ではなく、母親の介護という体験が有権者の信頼を得たからである。 

 国会議員の質の低下があまりにも目立つために、基礎テスト導入論のほうが支持されやすいが、民主主義の原理ということもまた考えねばならないのである。「国民は、自らのレベルの国会議員しか持てない」ということである。 

 著者は、最終問題として「あなたは国会議員に資格試験は必要だと考えますか?」という質問を掲げて本書を終えているが、その問いに真剣に答えようとすると、これまで解説してきたような日本の政治や選挙が直面する諸問題が浮かび上がってくる。 

 たとえば、マスコミの役割である。本書で描かれているテレビ番組は、世の中を変革するという使命感などとは関係なく、ただ視聴率を稼げばよいという視点から作られている。私は、マスコミ業界でも長い間仕事してきたが、そうした傾向は民放のみならずNHKを含めて現に存在する。そういうマスコミは、国民をミスリードするのみならず、政治家や官僚と違って一切責任をとらない。日本のメディアもまた、日本政治の劣化に大いに「貢献」しているのである。 

 政治や行政の任にある者にはマスコミ批判はタブーになっており、それがマスメディアの無責任体質を助長している。本書では、その対抗手段としてSNSが注目されている。しかし、トランプ大統領のツイッター政治に代表されるように、SNSもまた様々な問題を孕んでいる。ヒトラーの時代よりもさらに陰湿なディストピアを生む危険性があることもまた忘れてはならない。 

 本書は、日本政治の教科書であるとともに、容易に「炎上」する今日の日本社会の病理に対する警告の書ともなっている。

(ますぞえ・よういち/国際政治学者)