ロスねこ日記 ◈ 北大路公子

第9回 ついに?(後篇)

○二月五日

 キタシンスのことばかり書いてしまったが、というか猫と犬のことばかり書いてしまったが、もちろんマスタードスプラウトの「から松」も元気である。

 種蒔き時期のズレによる、第一世代と第二世代の格差は完全に消え、今や見た目ではどちらがどちらかまったくわからなくなった。それどころか「あんた何その髪の毛! 鬱陶しいにもほどがある! いい加減散髪に行きなさい!」と母親に叱られる中学生男子のような伸び具合である。植毛的には文句なしの成功といえよう。  

 心配された太陽神への傾倒も、容器くるくる作戦が奏効したのか、さほど偏った信仰を持っているようには見えない。まあ信仰なので本当は偏っていていいのだが、それにしてもあまりひれ伏してばかりだと、真っ直ぐな成長が阻害されるのではと不安になるのが親心なのだ。

 だが、もう大丈夫。小柄で流されやすく寂しがりやだったから松も、そろそろ巣立ちという名の食べ頃である。スプラウトは栄養価が高いという。本当に立派になったものだ。

○二月六日

「から松はネギ」というのが、最近のK嬢の教えである。あまり目立たず、しかし脇役として常に要所を締め、と同時にある種の料理においては欠くべからざるものとして存在感を示す。そんなから松の、控えめだが芯の通った性格を表したものかと思ったら、「『マスタードスプラウト レシピ』で検索した結果、ネギと思って調理すれば間違いないことがわかりました」という、そのまんまの意味であった。具体的には「タンパク質と炒めるか、サラダに入れるか」とのことで、具体例があまりネギの調理法っぽくないことに軽く混乱しつつ、夕飯の野菜サラダに混ぜることにする。

 手順は簡単。

 一、栽培容器から根っこごとやや力任せにめりめりと取り出す。

 二、軽く水洗いする。

 三、根っこを切る。

 四、ほかの野菜に混ぜる。

 以上である。

 作業としてはあっという間であったが、しかしこの一連の流れを息を凝らしてじっと見つめている者がいた。キタシンスのカーたんである。実はから松を料理する前、私はカーたんを同じように水洗いしていた。球根の茶色いぶよぶよを洗い流し、薄皮を剥がす……つもりが薄皮どころか肉っぽい部分までべろべろと剥いてしまったのである。

「大丈夫なの?」

 みどりのゆびこと母が心配するくらいのべろべろである。みどりのゆびにそんなことを言われるとドキドキするが、私の動揺がカーたんに伝わってはいけないと、敢えて明るく振る舞った。

「大丈夫大丈夫! ほら、ニンニクみたいで美味しそうだよ!」

 中から現れた真っ白な球根を手に、咄嗟に口にした私の言葉を確かにカーたんは聞いていた。驚いたであろう。まさか自分がニンニクだとは思いもしなかったろう。いや、ニンニクではないのだが、カーたんの繊細な心がどう受け取ったのかはわからない。そこへもってきてのから松の収穫である。調理に至る一連の流れを見つめていたカーたんが、「洗われたら食べられる」と信じ込んでしまったとしても無理はない。自棄になったカーたんが、花咲かす気力を失くしてしまったらどうしたらいいのか。私はなんということを言ってしまったのか。

 後悔の念に苛まれつつ、から松のサラダを食べる。当たり前だが、マスタードスプラウトの名のとおりのピリ辛である。とはいえ基本的には素直な性質なのだろう。刺激的というほどではなく、よくよく噛むと遠くで辛味が囁く感じだ。こんなところまでから松は奥ゆかしい。

○二月八日

 カーたんの芽が少し開き始めたように見える。やはり洗ったことがよかったのかもしれない。あるいは自分がニンニクではないことを証明しようと、カーたん自身が頑張ったのかもしれない。どちらにせよ、カーたんは私が考えているよりずっと強かったのだ。さすが生き馬の目を抜く芸能界を目指すアイドル候補である。

 そのカーたんの芽は、ユメメやピリリと比べると緑色が少し薄い。例の怪我が影響しているのか、あるいは生来の色白なのかはわからないが、万が一怪我のせいだとしたら私の責任でもあるので胸が痛む。ただ、球根も白という点を考慮すると、ひょっとすると外国人の血が混じっているのかもしれない。真相を知りたいところだが、まあ焦ることはないだろう。いずれ咲けばわかることだ。うそ。そんなことはたとえ花が咲いたにせよ、わかるはずがない。すべてを呑み込んで、カーたんはきれいな花となるのだ。

 一方のユメメとピリリにも、ここにきて変化があった。蕾である。ユメメの葉の間から、アスパラガスの穂先のような蕾がひょっこりと顔を覗かせ始めたのだ。まだ固い緑の蕾だが、ついにデビューが視野に入ってきた感がある。同じようにピリリにも蕾の気配がある。ユメメほどではないが、上からそっと覗くと小さな穂先が見えるのだ。

ロスねこ日記 第9回後篇
ユメメ(左)とピリリ(右)は、デビュー目前!


 ユメメもピリリもこの先、茎が伸びて小さな花がたくさん咲き、あの砧打ちに使う横槌のような形になるのだろう。ご存知だろうか砧打ち。私も今、自分の語彙に「砧打ち」があったことに驚いているが、なんというか太ったきりたんぽみたいな槌で布を叩いていい具合にする作業だ。日本昔ばなしかなんかで、よくお婆さんがやっていた。その太ったきりたんぽ状の槌に、満開のヒヤシンスは似ているのである。持ち手が茎で、頭というか本体というか、モワッと膨らんだ部分が花だ。小さな花がたくさん集まって……と、強引に説明し続けているが、なぜこんなにわかりにくい比喩を持ち出してしまったのか。わしゃ婆さんか。

○二月九日

 キタシンスの三人は、どうやら本格的に成長期に突入したようである。ユメメは一日でだいぶ背が伸び、蕾が完全に顔を出した。しかも、先の方がうっすらと赤く色づいてきており、あとは咲くのを待つばかりといった風情である。ピリリは蕾がさらに大きくなった。もちろん、カーたんも頑張っている。芽がかなり開いて、ぱっと見、控えめなチューリップのような雰囲気になってきた。キタシンスの時代は近いかもしれない。

○二月十二日

 ついに! ついに! ユメメの花が開いた! 頭のてっぺんに赤い花が数輪、まばゆいほどに光り輝いて咲いている。窓の外はまだ真っ白な雪景色だが、一足先に明るい春がやってきたかのようだ。

 最初からお姉さんの雰囲気をまとっていたユメメは、しかし決して順風満帆でここまで来たわけではない。途中、根っこの半分を失うというアクシデントに見舞われ、というか私がアクシデントをお見舞いし、そのせいでかなり少なめの根で頑張ってきたのだ。

 逆境を跳ね返すその姿を見て、小さなカーたんもきっと勇気をもらっただろう。ユメメの鮮やかな花を自分の花として、胸に熱く刻んだに違いない。そう、それこそがキタシンス。愛のユニットなのだ。

 と思ったが、カーたんは遠く離れた台所に一人いるので、全然ユメメを見ていないのだった。そろそろ合流させたい。

(つづく)
〈「STORY BOX」2018年9月号掲載〉