▽▷△超短編!大どんでん返し▼▶︎▲ 門井慶喜「消費の対象としての尊王」

第28話
門井慶喜
「消費の対象としての尊王」

 元治元年(一八六四)五月中旬というから、京洛中を震撼させた池田屋事件の一か月ほど前のこと。

 松山幾之介という新選組隊士が岡山に潜入した。岡山は三十二万石の大藩であるが、おもてむきは新選組に、ということは徳川幕府に、猜疑されるところはない。

 何しろ藩主・池田茂政その人からして、実家が水戸なのである。水戸徳川家はいうまでもなく将軍家を相続できる御三家のひとつなので、その血の濃さからしても、

 ──幕府に刃向かうなど、あり得ませぬ。

 藩主のこの公式的な態度は、しかし幕末風雲期のご多分にもれず、かならずしも内実をともなうものではなかった。藩士のあいだでは尊王風が吹き荒れていて、一部の者は「勤王党」なる徒党まで組んで過激の論を鳴らしている。うっかりすると藩論そのものが反幕倒幕へと向きかねない。

 だから、

 ──内情を、さぐれ。

 松山幾之介は、そう命じられたわけだった。

 松山は、潜入に成功した。

 太宰府天満宮への奉幣使(朝廷の使者)一行にまぎれこんだのだ。さっそく井上久馬介という旧知の藩士に接触して、

「このごろ貴藩には、過激の論をなす者があるやに聞く。そこで気がかりがある。貴藩は瀬戸内海に面していて、お台場(海上砲台)も設置しておられるが、これは本来、外国船の侵入をふせぐもの。幕府軍艦がそこを通過するさいには……」

「わかり申した。けっして発砲させませぬ」

「逆じゃ」

「は?」

「激徒をあおって発砲させてくれ。岡山征伐のいい口実ができる。貴殿には会津侯より恩賞の沙汰があるであろう」

 会津侯とは会津藩主・松平容保のことで、新選組の直属の上司にあたる。京都守護職という激徒対策の総責任者でもあるからして、これは要するに幕府からの恩賞というに等しい。

 井上久馬介はしきりとうなずいて、

「恩賞か」

「いかにも」

「承知した」

 しかしこの井上が、すでにして勤王党の一員だったのである。だいぶん以前に、京の同志・宮部鼎蔵(肥後出身)より、

 ──新選組が、そっちへ行くぞ。

 と警告を受けていた。松山はそのことをまったく知らず、その後もせっせと間者顔して城下のあちこちを検察するのだった。

 二か月後、七月六日夜。

 松山は井上に、

「飲みに行こう」

 と誘われた。城下を東へはずれ、

 ──円山。

 と呼ばれる丘陵の南端あたりまでわざわざ出かけて茶屋へ入り、したたか飲んだ。

 茶屋を出て、帰るためには西へ向かう。ところが井上が、

「いい晩だ。山歩きと行こう」

 北向きの小道をのぼりだした。松山はしたがった。丘陵ふかくへ入りこみ、道がのぼりきり、下りきったところで、

「待て」

 木々のあいだから、七つの影があらわれた。

 小原澄太郎、岡元太郎、櫻井正介、武田猪久太、有森霍太郎、海間十郎、伊東椙とこんにち名がのこる。みな勤王党の一味である。

 空には、半月。

 道はそこだけ広々としている。全員で、松山をとりかこんだ。正面に来た岡元太郎が一歩ふみだして、

「先月、京で」

 罪状を述べはじめた。

「先月、京で、池田屋事件が勃発した。おのれら新選組により多数の同志が斬殺または捕縛されたその無念、この岡山にて晴らしてくれる」

 というような、型どおりの内容だった。松山はあわてて、

「いや、わしはそんな」

「むだだ。おのれが新選組組中であることは、宮部鼎蔵君より決死の情報を受けている。宮部君もまた池田屋で討ち死にを……」

「そうか」

 松山は、刀を抜いた。

 身をひねり、井上へいきなり斬りつけた。やはり新選組に入るくらいだから、このあたり度胸がちがう。井上は跳びしさったが、胸に傷を負い、

「わあっ」

 絶叫した。傷は浅いはずだった。

 松山の攻めは、それだけだった。七対一ではどうにもならぬ。松山の体はところかまわず切り刻まれ、大刀小刀を突き刺されて針山のようになり、うずくまって動かなくなった。胴はそのまま放置されたが、首だけは暗殺者たちの手により、城下東郊、御成橋のたもとに晒された。

 翌朝から、城下は大さわぎになった。

 首には見物の町人がおしかけた。ばかりか山のなかの惨殺現場までが観光地化し、例の茶屋も繁盛した。

 一種の聖地巡礼でもあろうか。尊王というのは侍たちにはときに命がけの思想だったが、大衆には、消費の対象にすぎなかった。

門井慶喜(かどい・よしのぶ)

1971年群馬県生まれ。2003年、「キッドナッパーズ」でオール讀物推理小説新人賞を受賞。16年『マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)、同年咲くやこの花賞(文芸その他部門)、18年『銀河鉄道の父』で直木賞を受賞。