ロスねこ日記 ◈ 北大路公子

第16回 その他の事情(後篇)

●七月八日

 久しぶりに晴れ。気温も上がり、ご近所のマンションの窓には洗濯物が盛大に干されている。ベランダではなく窓。いくつかある外開きの窓の取っ手や桟にハンガーを引っ掛けて、垂れ幕のように洗濯物をずらりとぶら下げているのだ。風に揺れるタオルやTシャツや作業着に思わず見入ってしまう。夜、外出から帰ってきて、稀勢の里の休場を知る。

●七月十三日

 静かだ。ジンジャーもエールもきせのさこも、うんともすんとも言わない。「土の中で頑張ってるんですよ」とK嬢が励ましてくれるが、いかんせん中が見えないので実感が湧かないのだ。待つのも子育てだと小学生の時の担任教師は言った。国語の授業中だった。なぜ育てられている真っ最中の子供にそんなことを言ったかというと、「親」という漢字を教えるためである。

「親というのは立って木の陰から子供を見ているものなのだ。君たちのお父さんお母さんもそうだ。待つのも子育てだ」

 それ待ってるんじゃなくて見てるんじゃ? と口に出す生徒はいなかった。皆、素直に「なるほどなあ」と聞いており、そして何十年も経った生姜栽培の現場で思い出したりするのである。先生の言ったとおり、ジンジャーたちの強さを信じて今はただ待てばいいのだろう。わかってはいるものの、親としてはやはり心配だ。生姜は通常どれくらいで芽が出るものなのか。

 改めてパンフレットを読むと、「六月頃芽が地表に出てきます」と書かれている。しかしその一方で「北海道では六月頃に植えます」とも書いてある。これは、「北海道では六月に植えた生姜の芽が同じ六月にすぐ出るんですよ! すごいっすね寒冷地!」ということではないと思われる。六月発芽は、ほかの暖かい土地の話であろう。

 では北海道ではいつなのかというと、それがよくわからないのだ。情報が、「六月頃に植えます」でぷつりと途絶えている。その後は「最初に一本目の茎が伸びます」と、発芽の段階をすっ飛ばしてのいきなりの茎登場である。「こちらに十分間煮込んだスープを用意しました」と完成品を持ち出す料理番組みたいな話になっているのだ。

 悲しい。書いている途中で、北海道のことなど忘れてしまったのだろうか。それとも「本当は北海道に生姜なんて無理なんだよ」ということを暗に伝えているのだろうか。どちらにしろ、もうちょっと北海道に優しくしてほしい。植えたものがいつ生えるのかくらいは教えてほしいし、できれば通販では「全国送料無料」から除くのをやめてほしいし、天気予報でも「北海道を除く日本全国」という謎の国土を持ち出すのを考え直してほしい。私たちだって真面目に頑張って生きているのだ。この寒い地で。

 などと愚痴ってはみたものの、まあ仕方がない。発芽時期については、はっきりわからないということはよくわかった。「インターネットでは五十日で芽が出る、と書いてあるものがありますが、十五センチより深く植えたり気温が上がらないと遅くなります」ということなので、やはり気温が鍵を握っているのだろう。確かに気温が上がらないことにかけては定評がある。この間は七月というのにストーブを点けてしまった。その日の最高気温が十六度。沖縄の人ならダウンジャケットを着る気温だと前に何かで読んだ。本当だろうか。さすがにそれは暑くはないのか。

 いろいろ混乱しつつ、五十肩の治療のために整形外科へ。肩に注射をされながら、

「痛いからと言って動かさないとなおさら固まってしまうので、食後など動かしやすい時になるべくストレッチをしてください」

 と言われる。素直にうなずいたが、家に戻って昼食を食べたところで、

「もしや食後ではなく入浴後では?」

 という疑問がむくむく湧いてきた。

●七月十四日

 大相撲名古屋場所七日目。横綱の鶴竜が今日から休場である。もう一人の横綱である白鵬も一昨日から怪我で休場しており、横綱不在の場所となってしまった。もし稀勢の里が元気であったら優勝のチャンスがあったのではないか……と死んだ子の歳を数えるようなことをしてしまう。我が家のきせのさこは、相変わらずの沈黙。

ロスねこ日記
七月十四日、横綱不在となってもジンジャー(左)とエール(右)は動じなかった


●七月十九日

 K嬢から「積算温度」という耳慣れない言葉を聞く。グーグル最高顧問に尋ねたところ、「ある期間の日々の平均気温のうち、一定の基準値を超えた分を取り出し合計したもの」であるという。わかったようなわからないような話だが、生姜の基準温度は十三度、発芽までの積算温度は百七十度らしい。つまり一日の平均気温が十三度以上あればそのはみ出た部分だけを足し、合計が百七十度になったあたりで発芽となるのだ。また、K嬢の調査によると「作物を植えてから発芽までの一日の平均気温を足した温度」を累積温度と呼び、生姜の場合はそれがだいたい七八〇度必要なのだという。

 なるほど。この値をそれぞれ求めれば、ジンジャーとエールが現在、どんな風に土の中で過ごしているかがわかるはずだ。とても面倒臭そうな計算だが、今の私が二人にしてあげられるのはそれくらいしかない。電卓を用意し、ネットで過去の気温を調べ、種を植えてから今日までの毎日の平均気温を出し、それを元に計算する……前に、一応グーグル最高顧問にお伺いを立ててみる。

「積算温度 計算」

 するとどうでしょう。あっという間に自動で積算温度を求めてくれるサイトが現れたではありませんか。さすが最高顧問。早速、積算開始日(六月九日)と終了日(今日)と標準気温(十三度)と場所を打ち込み、「算出」ボタンをクリック。一瞬にして「一九四・六度」という温度が表示された。一日ごとの平均気温も出てくるので、それは電卓でぽちぽち足していく。「六九四・五度」。

 かくして我がジンジャーとエールは、積算温度では発芽準備が整っているものの、累積温度ではあと一息であることがわかった。おそらく今は「出ようかな。どうしようかな。まだ寒いかな」と迷っている段階なのであろう。様子がわかれば心配など無用である。あとは相撲でも観ながらじっと待つだけだ。

 その名古屋場所は十一日目まで、関脇の御嶽海が勝ちっ放しである。今日は稀勢の里の弟弟子でもある高安と。目が離せない。

(つづく)
〈「STORY BOX」2019年4月号掲載〉
 

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