◇自著を語る◇ 鈴木英治『突きの鬼一 赤蜻』

◇自著を語る◇  鈴木英治『突きの鬼一 赤蜻』
こんな時だから、息の長いシリーズを

 デビューして二十年、これまで百六十冊を超える作品を上梓した。

 そのうち四分の一以上を占めるのがすでに四十四巻を数え、累計三百万部突破も視野に入る「口入屋用心棒」シリーズである。

 この第一作が双葉社から刊行されたのは二〇〇五年七月のことだ。その前年に双葉社のY編集者が、私の暮らす静岡県沼津市にやってきたことで、「口入屋用心棒」は生まれた。

 当時の私は、デビューの出版社である角川春樹事務所と中央公論新社、徳間書店の三社で仕事をしていた。人より頭のでかい勘兵衛、手習重兵衛、父子十手捕物日記と三つのシリーズをそれぞれ執筆中だったが、駆け出しということもあって、もっとたくさんの仕事をしたくてうずうずしていた。双葉社からの誘いは、まさに渡りに船だった。

 Y編集者とは沼津市内で食事をしながら新シリーズについて打ち合わせをしたのだが、好きな作家が誰なのかをきかれ、私は、藤沢周平さんが大好きだ、と即答した。

 藤沢周平氏には口入屋を舞台にした「用心棒日月抄」というシリーズがあり、それが特に好きだともいった。

 その瞬間、双葉社でどんな物を書くか、あっさりと決まった。その当時、書き下ろしの時代小説文庫には口入屋を題材にしたものがほとんどなく、「用心棒日月抄」と同じ舞台を使えば、読者に受けるのではないかということになったのである。

 そのときY編集者は息が長いシリーズにしたいといったのだが、まさか「口入屋用心棒」が五十巻にも及ばんとする長大なものになろうとは、私は思いもしなかった。むろん、さすがのY編集者も考えなかっただろうが、とにかく「口入屋用心棒」シリーズは、幸いにも多くの読者に受け容れられた。

 その後、月日は巡り、Y編集者は双葉社をめでたく定年退職した。今はフリーの編集者として精力的に仕事をこなしているが、ありがたいことに、小学館で書き下ろしのシリーズを執筆しないかと私を誘ってくれた。

 出版不況などもあって頭打ちの閉塞感があった私は、二つ返事でその依頼を受けた。それが二〇一七年秋のことである。

 そのあと、沼津でY編集者と小学館のI編集者と打ち合わせをした。そこでY編集者が、内容は未定だけどこんなシリーズタイトルを考えていると、レポート用紙を見せた。

 それには「突きの鬼一」と記されていた。刀の突き技が得意の百目鬼一郎太という者が主人公で、またの名を「突きの鬼一」というとのことだった。それを目にしたとき、とてもよいタイトルだな、と私は思った。売れるのではないか、という予感も抱いた。

 どんな内容がよいか二人の編集者にきかれたので、私はその頃、頭に描いていた出奔大名のことを話した。息が詰まるような生活に飽き飽きして国元を飛び出した大名が身分を隠して江戸で自由に暮らしはじめる、という設定である。

 そのあと何度かの打ち合わせを経て、去年の八月にシリーズ第一巻と第二巻を同時刊行した。この二冊は即座に重版が決定したのだが、最近の私にはことのほか珍しい、大重版といってよいものだった。

 同時刊行というのは、駆け出しの頃とちがい、歳を感じることが多くなった作家にとってひじょうにきついものだったが、重版が決まった瞬間、Y編集者のいう通りにしておいてよかったと、私は深く感謝したものだ。疲れも吹っ飛んだ。

 Y編集者は小説についての指摘は的確で、私は厚い信頼を寄せている。

「突きの鬼一」がよりよいものになるよう、そして「口入屋用心棒」と同じく息の長いシリーズになるよう、私は心から願っている。

鈴木英治(すずき・えいじ)

一九六〇年静岡県生まれ。一九九九年、『駿府に吹く風』(刊行に際して『義元謀殺』に改題)で第一回角川春樹小説賞特別賞受賞。主なシリーズに、「口入屋用心棒」(双葉文庫)、「江戸の雷神」(中公文庫)、「大江戸監察医」(講談社文庫)、「沼里藩留守居役忠勤控」(角川文庫)、「突きの鬼一」(小学館文庫)など。

書影
鈴木英治『突きの鬼一 赤蜻』
〈「本の窓」2019年6月号掲載〉
滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 特別編(小説) 三郎さんのトリロジー④
鈴木英治 『突きの鬼一 赤蜻』 自著を語る