森見登美彦さん『四畳半タイムマシンブルース』

第143回
森見登美彦さん
『四畳半タイムマシンブルース』
久しぶりにあのキャラクターたちを書いたのは思いのほか楽しかったです
森見登美彦さん『四畳半タイムマシンブルース』

 

 森見登美彦さんの待望の新作のタイトルは『四畳半タイムマシンブルース』。初期作品『四畳半神話大系』のあの面々が、今度はタイムマシンに乗って時間旅行! 実は本作、劇団ヨーロッパ企画の舞台の小説化。この企画の実現の裏側にはどんな経緯と思いがあったのかおうかがいしました。

『四畳半神話大系』ふたたび

 あの腐れ大学生たちにまた会えるなんて! 二〇〇五年発表の『四畳半神話大系』の大学生たちが再び登場する新作『四畳半タイムマシンブルース』。物語の原案は、劇団ヨーロッパ企画を主宰する上田誠さんによる二〇〇一年初演の舞台『サマータイムマシン・ブルース』。上田さんといえば、これまでに森見さんの『四畳半神話大系』のテレビアニメの脚本と構成、『夜は短し歩けよ乙女』や『ペンギン・ハイウェイ』のアニメ映画化の脚本を手掛けている。

「上田さんは感覚的に通じるものがあるというか。映像化作品も、上田さんにお任せすればいい形になるだろうと思っています。同じくらいの時期にお互いに京都で大学生だったということもあるし、お話ししやすいこともあります」

 そんな上田さんの舞台を小説化しようと思ったのは、

「上田さんの舞台を小説にしようと思いついたのはだいぶ前なので正確な時期は忘れてしまって。うまくいくか分からなかったし、失敗したら上田さんに迷惑がかかるので、自分一人で勝手に趣味みたいな感じでひっそり書こうと思っていました。でも何かの時にそれを担当編集者にぽろっと話したら、書かなくてはいけないことになってしまいました(笑)」

 趣味で終わらさず世に発表する作品として取り組むことにした裏側には、こんな思いも。

「上田さんには何作も小説のアニメ化に関わっていただいて、その恩返しというか。自分も逆戻しパターンを一回くらいやらないと、という意識もありました。『サマータイムマシン・ブルース』は大学生たちの話なので『四畳半神話大系』に置き換えやすいということと、上田さんの舞台の面白さに対抗するためには、『四畳半~』のキャラクターたちの力を借りないとならないとも思いました」

 舞台版は、とある大学のSF研究会とカメラ部の話。猛暑のなか、部員がコーラをこぼして部室のクーラーのリモコンを壊してしまう。と、そこに突如、タイムマシンが出現。前日に戻って壊れる前のリモコンを取ってこようとひらめいた彼らは、過去に戻って楽しくなったのか、好き放題に振る舞う。だが過去を変えると現在の世界が壊れてしまうと気づき、慌てて元通りにしようと試みるのだが……。

 一方、本作『四畳半タイムマシンブルース』の舞台は下鴨幽水荘。主人公の〈私〉はアパートの中で唯一クーラーのある部屋に入居しているが、真夏の灼熱地獄のなか、悪友の小津がコーラをこぼしてリモコンを壊してしまう。一方、アパートの裏側では映画サークル「みそぎ」に所属し、〈私〉が密かに思いを寄せる明石さんがポンコツSF映画を撮影。編集作業に移った彼女が画像に映る奇妙な現象に気づいた折、アパートの廊下にタイムマシンが現れる──。非社交的で薔薇色のキャンパスライフを送れずにひねている〈私〉、彼の盟友であり悪友でありいつも場を引っ掻き回す小津、後輩で映画サークル「みそぎ」に所属する明石さん、下鴨幽水荘の住人で小津が「師匠」と慕う傍若無人な樋口さん、樋口と親しく、何かと彼らにかまってくる歯科衛生士の羽貫さん、「みそぎ」の部長であり唯我独尊タイプの城ヶ崎さん……。あの懐かしい面々が続々と登場する。

 もともと『四畳半神話大系』は、冴えない大学生生活を送る〈私〉が一回生の時にどのサークルを選ぶかによって未来がどう変わるか、四通り描かれる並行世界もの。第一話では映画サークル「みそぎ」、第二話では下鴨幽水荘に住む大学八回生の樋口清太郎に弟子入り、第三話ではソフトボールサークル「ほんわか」、第四話では秘密組織「福猫飯店」に入った場合の物語が展開。本作では、〈私〉は「京福電鉄研究会」に入会。これは鉄道マニアの集まりではなく、「かつて京都と福井は京福電鉄によって結ばれていた」という仮説に基づいて設立された妄想系鉄道サークル。ここで小津と出会うのだが、前作のパターンを踏襲し、小津によってサークル内に混乱が生まれてしまう。

「続篇ではなく、もうひとつの並行世界というイメージで書いたので、これまでとは別のサークルに入ることにしました。最初は舞台版と同じように、SF研究会にしようかとも考えたんです。でも、舞台版はどこにあるか分からない大学のええ加減なSF研の話だけれども、僕が書くと読者はきっと京都大学を想像してしまう。そうすると実際にある京大のSF研にさしさわりがあるので、架空のサークルにしました。こういうのは書いていて楽しいですね(笑)」

舞台を小説化する難しさ

執筆の際には、綿密にプロットを組み立てたりはしなかったという。

「一応舞台のDVDを観てから書き始めたんですが、途中で〝ここ、どうなってたっけ〟と思ったらまたその場面をDVDで見直しました」

 ちなみに本作、タイムトラベルが何度も実行され、かなり込み入った構成。前半の謎めいた細部が後半にすべて回収されていく快感もたっぷり。

「上田さんの構成が本当にうまいんですよね。伏線がいっぱいあって、それが結びついていく。自分が原案を下手にいじると伏線がうまく繋げられなかったりする。そこは苦労しました。誰がいつ過去に行くのかも厳密に作られているストーリーなので、その通りに事を運ぶのが難しかったですね。最初に誰と誰を過去に行かせるかがなかなかすんなり決まらなかったんですが、樋口さんと小津と羽貫さんに行かせると決めてからは、彼らがわりとうまく動いてくれました」

 鴨川など京都の街も出てくるのが読者としては嬉しいところ。

「わざわざ京都のアパートを舞台にするので、京都的なものも盛り込まないと寂しいので、みんなにうろうろしてもらいました。ただ、舞台では場所を移動するのでなく時間を移動する話ですから、小説版で彼らがアパートから出ていく必然性を持たせるのがなかなか難しかったです」

 これまでも『【新釈】走れメロス 他四篇』で先行作品のパロディを書いたことがある森見さん。だが、舞台を小説化するのは、また違う難しさがあったのではないか。

「全然違うものでした。小説にすると舞台版の面白さがなかなか出てくれない。たとえば登場人物のひとりがヴィダルサスーンにこだわるんですが、やっぱり舞台の役者さんの魂こめた〝俺のヴィダルサースン!〟という台詞の面白さにはかなわない(笑)。そういう部分は途中から諦めました」

森見登美彦さん

 とはいえ、腐れ大学生のぼやきのような文体の面白さは小説ならではの楽しさだ。

「ああいう文体はだいぶ書いていなかったので、うまくできているのか心配で。主人公と小津や明石さんとのやりとりを書いているうちにだんだんと思いだしましたが、完璧な再現は無理で、主人公がまるくなっている気がします。それと、つい、明石さんが可愛くなりすぎてしまうので、そこは気をつけました。『四畳半神話大系』を書いた時は、明石さんというキャラクターはもうちょっとぶっきらぼうだったし、そこまで重要な存在として考えてはいなかったんですよね」

 当初は〈私〉と小津の赤い糸ならぬ〝黒い糸〟の関係を書くことが重要だったため、明石さんについてはヴィジュアルもまったく思い浮かべずに書いていたという。

「それが、アニメになる時に中村佑介さんがキャラクターの原案を描いてくれて、明石さんが人気になって、文庫版のカバー絵にもなって。僕自身がそれに影響を受けてしまっていますね。だから、明石さんが可愛くなってしまうのは、中村さんのせいなんです(笑)」

 それにしても、改めて『四畳半神話大系』の登場人物ひとりひとりの個性の面白さを実感してしまう。

「当時、思い付きでぽぽぽっと適当に作ったんですけれど、久しぶりにあのキャラクターたちを書いたのは思いのほか楽しかったです。続篇を書くとなると彼らのその後の運命を語らないといけないけれど、こういう形なら『サザエさん』が歳を取らないように、あの時の状態のまま動かせるのもよかったです」

 ちなみにラストは舞台版や映画版とはちょっと異なっている。『四畳半神話大系』でも何度も登場したキーワードが登場してニンマリ。

また腐れ大学生たちに会える可能性は?

 ところで、原案者である上田さんの反応は?

「小説化すると伝えたのが二〇一六年でしたから、この間話したら、〝嬉しかったけれど実現するか分からないと思って黙っていた〟と(笑)。小説も面白かったと言ってくださいましたが、僕も自分の小説がアニメ化されるとくすぐったい気がするので、上田さんもそんな気持ちかもしれません。この『四畳半タイムマシンブルス』も上田さんがアニメ化してくれたら、僕と上田さんの間で作品がぐるぐる回っていて、作品の中でも外でも並行世界がある感じになって面白いんですけれども(笑)」

 読者としてはつい、また腐れ大学生たちの新しい話を読んでみたいと期待してしまう。

「今回は上田さんの舞台を小説にする方法として思いついたので書きましたが、そういうコンセプトがないと、なかなかまた書こうという気は起きないかも。ただ、これはもともと『サマータイムマシン・ブルース』と、上田さんの舞台の『あんなに優しかったゴーレム』を抱き合わせて一冊にしようと考えていたんです。それが『サマータイム~』だけで一冊になったので『ゴーレム』を入れるのはやめたので……」

『あんなに優しかったゴーレム』は、ある田舎町にその町出身の野球選手の人生を振り返るため、テレビのクルーがやってくる話。その選手がいうには、かつて、町にある石像が動いてキャッチボールをしてくれたのだとか。

「なかなかこれが深い話なんです。自分がはじめて観た上田さんの舞台がこれだったので、すごく印象に残っていて。テレビクルーを映画サークルにすれば『四畳半~』で話ができると思ったんですけれど……」

 と聞けば、その作品だけで小説化ができるのではと思ってしまう。

「今回もっと楽にできたなら、しばらく上田さんの作品の小説化で食いつなごうと思いましたが、思いのほか大変だったので何回もやるのはきついなと思っています(笑)。まあ、もうちょっと経って、面白くなりそうだと思えたら、やるかもしれません」


四畳半タイムマシンブルース

KADOKAWA


森見登美彦(もりみ・とみひこ)

1979年奈良県生まれ。京都大学農学部大学院修士課程修了。2003年『太陽の塔』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞し、作家デビュー。07年『夜は短し歩けよ乙女』で山本周五郎賞を、10年『ペンギン・ハイウェイ』で日本SF大賞を受賞する。ほかの著書に『四畳半神話大系』『きつねのはなし』『【新釈】走れメロス 他四篇』『有頂天家族』『宵山万華鏡』『四畳半王国見聞録』『聖なる怠け者の冒険』『夜行』『熱帯』など。

〈「きらら」2020年8月号掲載〉
文学的「今日は何の日?」【7/20~7/26】
〈第8回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト」