第125回
朝倉かすみさん
平場の月
彼らを特別な人として書きたくなかった
朝倉かすみさん『平場の月』

 好きな人が死を迎えてしまう──それはいってしまえば、泣ける恋愛小説の定石パターン。その枠組みにあえて挑み、これまでにない余韻を残す小説がある。朝倉かすみさんの新作『平場の月』だ。あえて五十歳の男を主人公に、著者としては珍しい、ストレートな恋愛小説に挑んだその背景、そして創作の裏話とは。

あえて悲恋物語の王道を選んだ

 約二年前。『満潮』を書き上げた時、編集者に「次はどんなテーマで書きましょうか」と尋ねられた朝倉かすみさんは、「『世界の中心で、愛をさけぶ』みたいなものがやりたい」と答えたのだという。

「あの本をたまたま読み返したら、主人公の男の子がすごく純粋で、改めていい本だなと思って。あんなに若い時にそこまで思える相手と出会ってしまったら、それは大変ですよね。ただ、彼らはまだ働いてもいないし、恋愛に集中できる年頃。もしもこれが仕事があって稼ぎがある大人だったら、また違う恋愛になるかもしれない、と思ったんです。自分自身、年齢的に周囲に大病に罹ったり亡くなったりする人が増えてきていますし、じゃあ大人の『世界の中心で、愛をさけぶ』をやってみようと思いました」

 そう、新作『平場の月』は、意外にもパターンとしては悲恋&純愛の王道。転職、親の介護、離婚を経て今は埼玉の地元で一人暮らし、印刷会社に勤務する五十歳の青砥健将。彼は身体の不調を感じて検査に訪れた病院の売店で、中学時代の同級生、須藤葉子に再会する。実は彼女、かつて青砥が告白したもののふられた相手だ。須藤も離婚歴があり今は一人暮らしで、二人は「互助会」と称して近所で酒を飲む仲となる。そしてほどなく、須藤に大腸がんが発覚。

「好きな女の人が死ぬ、という枠組みで話を書いてみようと思いました。男女逆のパターンは考えなかったですね。男の人が先に死ぬというのは実際多いケースだし、単純に自分がこの枠組みでやってみたかったんです」

 大胆なのは、冒頭で彼女が死んだことを明かしている点だ。そこから時は遡り、二人の再会から物語は進むという作りになっている。

「宙ぶらりんのまま読ませられるのが苦痛の人が最近増えているのかなと感じ、最初に須藤は死んだと明かしました。そのほうが読んでもらえるのかなと思ったんです」

 二人の運命を知っている分、読者にとっては彼らが関係を深める過程をより切ない気持ちで読むことになる。

枠組みを決めて書いた

 似た設定で書かれた先行作品はいろいろだが、

「他に渡辺淳一さんの『阿寒に果つ』と住野よるさんの『君の膵臓をたべたい』も読みました。ある種、女の子たちが男の人の理想になっているなと思って。『世界の中心で、愛をさけぶ』は純粋で真面目な子、『阿寒に果つ』は自分を振り回す不良っぽい子、『君の膵臓をたべたい』は明るくて前向きな子。ならば、私はそのどれでもなく、男の人が理想と思わないようなタイプの女の人を書こうと決めました。男の人が引いてしまう要素が多いのに惹かれてしまう、としたほうが青砥の良さが出ると思いましたし」

 中学生の頃から「肝っ玉母さんという感じ」と言われていた須藤は、大人になっても落ち着きがあり、堂々としている。

「こういう人、すごく好きですね。私もこうなりたい。人に相談しないし、助けを求めずにギリギリまで自分一人でなんとかやろうとする人なんですよね。ただ、しっかりしている人って、魔が差したようにガラガラッと人生を崩していく時がある。須藤にもそういう過去があります。それはもうしょうがないことだって思っているところも、いいなと思います」

 一方の青砥は、比較的大人しいタイプと見受けられるが、面倒見はよさそう。

「私が男の人に思っている、良いところの集大成(笑)。押しつけがましくなくて、遠慮しすぎるくらいの人ですね」

 彼らの年齢に関しては、

「最初から五十歳と決めていました。四十歳だと若すぎるし、六十歳だと周囲が死ぬことも増えるので悲劇度が下がる気がして……。それに五十歳だったら、そこから結婚する人も少なくないだろうなと思ったんです。そこから、五十歳くらいの年齢での出会いについて考えました。周囲を見ると、誰かと出会うとしたら仕事を通してか、学生時代の人との再会かのどっちかかな、と。大腸がんという設定にしたのも、自分がよく見聞きしているし、女性の死因となるがんのトップだということで選びました。つまり、どれも実際に多いパターンを積極的に選んだんです。それは、彼らを特別な人として書きたくなかったからです」

 では、舞台を埼玉の街にしたのは?

「今、私も埼玉に住んでいるのですが、意外と街並みが私の育った北海道に似ているんです。東京だと古い商店街や老舗がありますが、私が住んでいるあたりはそこそこ新しいものが多く、どこにでもあるチェーン店があって、特徴なく広がっている感じ。住んでみて"私、やっぱりこういうのが好き!"って思いました(笑)。それで、そんな街をイメージして書きました」

最初に浮かんだのは須藤の台詞

 朝倉さんはもともと、プロットをかっちり組み立ててから執筆するタイプではない。しかし今回は、二人の再会から病気の発覚、闘病生活など話の大まかな流れは決まっていたはずだ。

「確かに流れは見えていましたね。それで何章ではここまで書こうと決めるわけですが、そうすると須藤の言葉が、完全に台詞となって浮かぶんですよ。十四年間の作家としての経験上、その台詞に向かって書いていけばいいと分かっていました。各章で最初に浮かんだ須藤の言葉が、そのまま章タイトルになっています」

 目次には〈一「夢みたいなことをね。ちょっと」〉〈二「ちょうどよくしあわせなんだ」〉といった章タイトルが並ぶ。どれも作中にある須藤の言葉だ。

 では、彼らの恋愛感情については、どのように考えていたのだろうか。

「なるべく純粋な感じにしたかった。その根っこにあるのは、相手を大事に思う気持ち。須藤がなかなか心を開かない人だから、病気がなかったら、ふたりの仲はもっと遅い歩みになっていたはず」

 孤独をきちんと引き受けている男女が、信頼関係を育んだ上で、恋愛感情を抱いていく。若い頃に多い、独占欲や性欲に突き動かされる恋愛とはまた違う、大人ならではの恋。

「作者としてはなかなか恋愛が進まないので、はやくどっちかが腹割れよ、と思ったりもしました(笑)。恋愛ではどちらかがガッといかないと進まなかったりしますが、でもこの二人にはできない」

 須藤は手術を受け、ストーマ(人工肛門)をつける身となる。青砥はそんな彼女に献身的に接しようとする。

「大腸がんのことはいろいろと調べました。それでストーマの装着の仕方もYouTubeで見ました。私はものすごく手先が不器用なので、もし自分がこれをやらなくちゃいけなくなったら大変なことだ、って。それで須藤も不器用でストーマの装着が下手だということにしましたが、ほとんどの人はすんなりできているみたいです」

 それにしても、そんな彼女の世話をする青砥の面倒見の良さが際立つ印象だが、

「須藤はよっかかるタイプじゃないから世話しようとしても"いいのいいの"と断る。彼にしてみたら"自分はこういうこともできるのに"と思うんでしょうね。でも結局、道具をそろえたり寝床を用意したりおかゆを作るくらいしかさせてもらえない。須藤にしてみたら、背に腹は代えられないので、忸怩たる思いを抱えながら世話を受けているんでしょうね」

 五十代にとっての死は、遠いようでいて近い。その年代で「好きな人が死んでしまう」という体験は、若い頃とはまた違うのだろうか。

「若い頃のように"この世の終わり"ではないけれど、悲しいですよね。自分が高校生くらいの頃に同年代の人が自殺などで亡くなった時は、悲しいというよりもショックがすごかった。大人になった後、身近な人が病気で亡くなった時は、自分もそんな年齢になったんだなと、それもショックでした。でも、ここ何年かは、誰かを亡くすと、ショックよりも、悲しさがすごくある。もう会えないんだなってしみじみ思う」

 そんな時が来ることを予感して、須藤がとった行動は……。

 一気に涙腺崩壊というよりも、じわじわと目頭を刺激してくる本作。読者を泣かせよう、ということは意識していたのか。

「泣かせようと思ったら、もっとあざとくやったと思います。こういう話を書く以上、泣かせられなかったらどうしようという不安はありました。でも、泣かせることを狙うのは絶対に駄目だと思う。それに、この二人の関係性は、泣かせる感情のうねりをもたらすことを要請しているのかと思って。真剣に考えた時、泣かせるように煽るのではなく、むしろ、うねったものを鎮める方向を要請されている気がしました」

 タイトルは最初から決めていたという。"平場"とは、ごく一般の人々のいる場といった意味。

「言ってしまうと格好悪いんですが、"地上の星"みたいなことを考えていました。平場でうまく生きるって難しいということがひとつ、もうひとつは比喩的な意味で、足元ばかり気にして歩くのでなく、もっと見上げてほしい、夢を見てほしいという気持ちがありました」

エンタメに寄せてみての実感

 抑制は効かせているものの、本作は著作のなかではかなりストレートなストーリーラインを持った作品となっていることは間違いない。

「エンタメに寄せたんです。はっきりとテーマがあって、そのまわりがピカピカしているのが私にとってのエンタメのイメージです。今までは、テーマは分からないようにさせよう、暗くさせようと考えて書いてきました。今回はパーンと明るくしたぞ、という実感がありますね」

 昨年の八月に書き上げた時の実感としては、

「エンタメとしてはこれが私にとっての精一杯だなと思いました。でも、今は違いますね。"私、もっとエンタメに寄せられる!"って思ってる(笑)。それまでは枠にはめたりテーマやシーンをピカピカさせたりすると、自分の持ち味を出せなくなる気がして怖かったんです。小説に特徴がなくなるのが怖かった。でも、今回エンタメに寄せてみた結果、やっぱりどう書いても私の書いたものになると分かりました。いい経験になりました」

 いま構想中なのは、中学を卒業後は進学せずに働くことを選んだ女の子の話だとか。

「社会派ですよ(笑)。それをエンタメの枠組みで書くつもりです。書下ろしなので刊行は未定で、今は本を読んで研究しているところです」

朝倉かすみ(あさくら・かすみ)

1960年北海道生まれ。2003年「コマドリさんのこと」で第37回北海道新聞文学賞を、04年「肝、焼ける」で第72回小説現代新人賞を受賞し作家デビュー。09年『田村はまだか』で吉川英治文学新人賞を受賞。他の著書に、『ロコモーション』『恋に焦がれて吉田の上京』『静かにしなさい、でないと』『満潮』など多数。

〈「きらら」2019年2月号掲載〉