原田ひ香さん 『ランチ酒』

第113回
原田ひ香さん
ランチ酒
何かを失くしてしまった人がそこからどうするか、
どうステップアップしていくのかという話を書くのが好きです。
原田ひ香さん

この本を片手に各所を訪れ、ランチを楽しんでみたい! そう思わせる小説が、原田ひ香さんの新作『ランチ酒』。深夜限定の“見守り屋”なる職に就く女性が、仕事帰りにランチ営業で楽しむ一杯。その背景にある彼女、そして依頼人の人生模様とは?

ランチ+酒+夜間のお仕事

「昔から担当してくれている集英社の編集者に、“今回の本はこれまで書いてきた要素を全部盛り込みましたね”と言われて。確かにそうだなと思って。食べ物の話だし、変わった職業が出てくるし、後ろ暗い過去のある女性の話だし」

 と語る原田ひ香さんの新作『ランチ酒』は、その通り、食と仕事と、少しずつ立ち直っていく女性の話だ。離婚して子どもは元夫に引き取られ、一人で生きていくことになった犬森祥子は、昔からの男友達、亀山が営む「中野お助け本舗」で、見守り屋の仕事に就く。営業時間は二十二時から朝の五時。子どもやペットなど、頼まれたものを寝ずに見守るのが仕事内容だ。勤務あけの楽しみが、ランチ営業の店で食と酒を嗜むこと。

「食べ物の話は好きで、前にも『三人屋』という小説で朝は喫茶店、昼はうどん屋、夜はスナックというお店のことを書きましたが、ランチで食事しながらお酒を飲むという話も書きたかったんです。小説やエッセイ漫画も含めて、物語としてありそうでなかったですよね。『孤独のグルメ』も、主人公の五郎さんは下戸なので飲まないんです」

 原田さん自身、二十代の頃は会社の秘書室に勤務し、ランチにお酒を飲むこともあった。

「バブルが終わった頃だったので雰囲気も緩かったんですよね。それに三、四年前は大阪の阿倍野に住んでいたんですが、地下街に安くて美味しいランチのお店がたくさんあって、“昼間から飲めます”と貼りだしているお店もありました。それもあって、いつか書いてみたいと思っていたんです」

 ただし、昨今の風潮では、なかなか仕事中のランチでお酒を飲むという雰囲気でもない。そこで思いついたのがこの職業だった。

「夜働いて、仕事を終えてからランチを食べて寝るという人にしようと考え、そこからどんな職業にするか詰めていったんです。深夜営業の出張美容師や工場の夜間勤務も検討しましたが、結局架空の職業にしました。そして、主人公を三十歳前後の女性にして、彼女の人生の話も乗せていくことにしました」

 祥子には幼い娘がいる。夫の実家で義母が面倒を見ているが、いつか引き取りたいとは思っている。物語のなかで、離婚にいたるまでの事情も、すこしずつ明かされていく。

「子どもを引き取りたいならもっとお金を貯めようとするのではと思われそうですが、彼女はまだ離婚したばかりで混乱していて、一人の家に帰るのが辛いんです。でも、そこから彼女も変わっていく。これはある意味、彼女が立ち上がるまでの期間の話でもありますね。楽しく読めるご飯小説を考えてはいたんですけれど、ある程度は読む方にも主人公の気持ちに乗ってもらえたら、と思っています」

 武蔵小山の肉丼、中目黒のラムチーズバーガー、丸の内の回転寿司、中野の焼き魚定食……。登場するのはみな、実在のお店だ。

「作中に店の名前は載せていませんが、ネット検索すれば出てくるような、よく知られたところばかりです。最初は自分が知っている目黒区付近のお店が多かったんですが、いろんな場所を出してくださいという編集部からの要望もあり、あちこちに足を運んで調べて書くようになりました。混んでいる時に一人で入ってお酒を飲むのは気が引けたので、開店すぐの時間に入るか、逆にラストオーダーくらいに入るなどタイミングは考えました」

 実際に行ってみて作中に採用する店もあれば、結局書かなかった店もある。

「ビールくらいしか置いていないお店だとちょっと寂しいので、二、三種類置いてあるところを選びました。昼に飲んでゆっくり過ごすのをあまり歓迎していない雰囲気のお店もありましたね。主人公の立場上、あまり高いものも食べないはずなので、値段も考慮しました」

 ウェブ連載だった本作、更新は二週に一度だったというから、店選びも大変だったのでは。

「主人公にしっかり飲ませたかったので、自分もロケハンのランチで二杯飲んだりすると、その日はもう仕事ができない(笑)。当日は朝早めに起きて自分の仕事は昼までに終わらせるようにしました。ただ、そういうことをしていたので、連載中は体重が増えしまって、それがちょっと辛かった(笑)」

 有名な店も出てくる。新宿で朝から飲めてモーニングも出す店が登場する話では、知る人が読めば「ベルク」のことだと分かるはず。

「朝七時くらいに起きて、通勤ラッシュの頃にお店に行ってみたんです。本当にみなさんお酒を飲んでいる(笑)。きっと朝まで勤務していたんだろうと思いますが、いろんな人がいるのが楽しくて。そうしたお店の場所などから、祥子の依頼人が住んでいる場所や状況などを考えていきました」

 ビールも日本酒もワインも、なんでもいける口の祥子。人によっては意外に思うかもしれないのが、彼女が炭水化物と一緒にお酒を飲む点。つまみで酒を飲み、シメでご飯などの炭水化物、という流れを好む人も多いはずだ。

「ご飯や麺類と一緒にお酒を飲むのは好きじゃない、という人もいますよね。私は炭水化物と肉などを一緒に食べ、それをお酒で流し込むのが好きなんですよ。好みってありますよね」

 楽しいのが、食事をしながら彼女が考えていることが丁寧に描写されること。メニューを見て悩んだり、もう一杯飲むか迷ったり。牛タン定食でとろろをいつ麦ごはんにかけるかのこだわりなどは思わずうなずいてしまう。自分が一人で食事をしている時もこんな感じだな、とニヤリとする人は多いはず。

依頼の内容はさまざま

 一話が原稿用紙で二十~二十五枚と、短篇としてもかなり短い。だからこそ、すっと始まってすっと終わり、深い余韻を残す。依頼客のなかにはリピーターも登場するが、基本的に祥子と依頼人の関わり合い方の刹那的な様子、仕事を終えた後のランチがほんのひとときであることが、この枚数だからこそ、的確に表現される。

「ランチに合わせて依頼客の状況を考えるのが大変でした。大阪に行ったり、若い女性に掃除を手伝わされたりと、ちょっと変わった状況をだんだん、考えるようになりましたね」

 たとえば、出版社パーティー帰りの人気漫画家が寝しなに宴の席での失敗談を延々と語るのに耳を傾ける夜もある。傍からすれば大した失敗でもないのだが、本人にとっては大ごとの様子。

「私も普段は人に会わない生活をしているので、お酒の席で大勢に会ったりすると、後で“うまく話せなかったな”“あれは言いすぎだったかな”とずっと反省するんです。それを誰かに聞いてもらうのはアリかな、と考えました」

 不愉快な客もいる。秋葉原に住むアイドル好きの実業家は最初から祥子を見下した態度で、会話はすべて自分の自慢話。

「実際にああいう感じの知り合いがいるんです(笑)。いかに自分が優秀かという話ばかりで、本当に自分はアイドルと結婚するんだと言ったりして。お前には猫でさえやりたくないと思うんですが(笑)、実際のその人は憎めないとこがあるんです(笑)」

 憎めないといえば、ぞんざいな態度ながらも案外思いやりを感じさせる幼馴染みの社長・亀山。

「彼女が離婚したばかりだと知って助けてくれる男友達ですよね。地方でちょっとした会社を経営しているタイプの人のイメージからキャラクターを作っていきました。小中学生の頃の地元の友達で、親が政治家だったり工場をやっているところの子どもって、大雑把な感じがあったりして、他の子とちょっと違っていたんです。久し振りにクラス会で会うと金のネックレスをして、サラリーマンの人たちとは違う雰囲気。“うちの工場もいつ潰れるか分かんないよ”と言いながらも羽振りのよさそうな感じの人。亀山さんはそういうタイプですね」

 原田さんは老若男女、ありとあらゆる人間像を書けるのだなと思うが、ご本人は、

「昔は男の人を書くのが苦手でした。デビュー三年目くらいに男の人を書いた時に編集者から“ひ香ちゃん、男の人も書けるんだね”と言われたくらい。中高生も苦手で、昨年出した『ラジオ・ガガガ』でようやく書けました。自分としては偏りがあると思っているんです」

さまよう女性を書くのが好き

 ラーメンやカレー、餃子など、登場させなかったメニューがいくつもある、と原田さん。続篇を期待してしまうのは、祥子の今後についても気になるからだ。原田さんの紡ぐ物語には、孤独を引き受けて生きていこうとする女性が多く登場するのも魅力だが、

「わりと、さまよう女性って好きなんです。訳あり物件に一定期間住むことを仕事にしている『東京ロンダリング』の主人公の、東京の街で一人でいられる感じとかはすごく好きですね。母的な存在を必要とする家庭の面倒をある程度見ては去っていく女の人を書いた『母親ウエスタン』もそうですが、しんしんとした、一人で生活していく訳アリ女性は書きたくなります」

 そこからは、いわゆる結婚して家庭を作って……という幸せにとらわれない価値観も見えてくる。

「女の人なら家庭に入って子どもを育てて、とか、男の人ならサラリーマンとして会社に入って、といった人生からちょっと外れた人や、離婚やクビといった出来事で何かを失くしてしまった人がそこからどうするか、どうステップアップしていくのかという話を書くのが好きです」

 そこには現代の世相や社会問題も盛り込まれるが、つねに世の中の出来事に関心を寄せていないと生まれないだろうアイデアもある。

「ああ、新書を読むのが好きなんです。小説を書いている時に他の人の小説を読むと、文体が引っ張られてしまうことがあって。そういう時は経済書などのノンフィクションを読んでいます。コミックエッセイなども、ちょっと変わったものがあるとすぐ取り寄せて読みますし、ネットやツイッターを見ていて“なるほどな”と思うことがあればメモしますし」

 今後の新作はというと、

「今年は四月頃に、ずっと連載していた節約の話が本になります。自分自身が節約がすごく好きでライフワークにしているので、書くことにまったく困らなかったです(笑)。他には老朽化したマンションを建て替えるかどうするか、という話も秋くらいに出す予定」

 今考えているのは介護の話。原田さんがどんな切り口で読ませてくれるのか楽しみだ。

原田ひ香(はらだ・ひか)

1970年神奈川県生まれ。2006年「リトルプリンセス2号」で第34回NHK創作ラジオドラマ大賞受賞。07年「はじまらないティータイム」で第31回すばる文学賞受賞。著書に『東京ロンダリング』『母親ウェスタン』『彼女の家計簿』『ミチルさん、今日も上機嫌』『三人屋』『虫たちの家』『失踪.com 東京ロンダリング』『ラジオ・ガガガ』などがある。

〈「きらら」2018年1月号掲載〉
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