私の本 第7回 水野 学さん ▶︎▷02

「くまモン」の生みの親でもあるクリエイティブディレクターの水野学さんを支えた本とは? 人気連載「私の本」は引き続き、水野学さんに本のお話を伺います。

 さまざまな企業の売り上げをデザインによるコンサルティングで伸ばしてきた水野学さん。そこには、デザインに対する水野さん独自の想いがありました。常識をそのまま信じるのではなく、自分で物事を考える術を、水野さんはどのように身につけてこられたのでしょうか。

私の本 第7回 水野 学さん ▶︎▷02

小学生の頃に流行った「ひみつシリーズ」に夢中に

 僕のなかには、なんでも「実際に見てみなければわからない」という感じがいつもあります。「地球は丸い」と言われて、たとえ写真があったとしても、これが合成だったらアウトだよね、という風に。

 小学生の頃、流行った本に学研の「まんがひみつシリーズ」があったんです。いろんな分野の「ひみつ」を説いてくれるのが好きで、よく読んでいました。

 本だけでなく、たとえば「ピラミッド」なら、未だに謎に包まれている部分がたくさんあって、中には想像もできないような解釈もある。どんな解釈も未だに明らかになっているわけでもなく謎のまま。本能寺の変も、じつは織田信長は地下トンネルを掘って逃げたという説があったり。結局、「わからないじゃん! 信用できない!」と思ったんですよ。

 そこからいわゆる常識を無条件に信じるのではなく、いろんな可能性を考えなければいけないと感じるようになりました。

『深夜特急』を読んで、旅に魅了される

 僕は旅に対して、とてつもない憧れを持っています。その理由のひとつは、実際に自分の目で世界を見てみたいという欲求です。

 あれは5歳のときのこと。ある日、父親が突然会社を辞めてきたんです。そうしたら母親が、「辞めてきたのなら仕方ない。時間のあるうちに北海道を1周しよう」と。母親は函館出身なんですね。

 それで家族3人で、車に荷物を積んで2~3週間、北海道を旅したんです。当時、北海道の夜は真っ暗で、子供の自分にとってはすごく恐くて。泊まる場所も決めていないから、いきなり旅館やホテルを訪ねるんです。突然だから空いているのが100畳近くあるだろう宴会場だったりして、それもまた広くて恐いんですよ。

水野学さん

 そういう旅の強烈な原体験があって、そのうえサハラ砂漠の横断に挑戦した『サハラに死す』や沢木耕太郎の『深夜特急』を読んだりするうちに、高校生の頃にはどうしても長い旅がしてみたいと思うようになりました。

 社会に出たら長旅はできないから、そのために大学というところに行こう、と。結局は多摩美術大学グラフィックデザイン科に進学しましたが、正直に言うと旅に行きたいから大学に入ったようなものなんです。

多くを得た大学時代のバックパックの旅

 大学時代のバックパックの旅で訪れたのはイタリアとフランスでした。美大に入ってしまったので、歴史的背景からデザインを見られる場所に行ったほうがいいだろう、と。アートの震源地とも言えるイタリアやフランスの芸術文化やその背景は自分の目で見ておかなければいけないんじゃないかというのがあって。

 あと僕はその当時、ゴッホやセザンヌが好きだったので、ゴッホが見た景色を実際に見たいという想いもありました。

 ヨーロッパの画家は総じて色が淡いけれど、それは太陽の光そのものが弱いから実際にその景色そのものが淡く見えるんだなとか、どうしてあんな色やタッチになったかを頭では理解していたけれど、現地でそれを体感できたのは大きかったですね。

 ゴッホは雲が立ち込めているオランダやパリで生活していたが、やがて南フランスのアルルに向かいます。それも、より明るい陽光を求めたからではないか?と、自分がフランス国内を移動するなかで実感できました。

デザインとは物や物事を「よくすること」

 自分で物事を考えるというのは、大学の頃もやっていました。

 じつはデザインというのは、まだあまり解明されていなくて。デザイン系の一部の人しか興味を持たない分野とも言えます。デザイナーはたくさんいますが、研究者は少ないように感じます。

 それなら自分で考えなければいけないと思ったんです。あるとき、授業で「デザインとはなにか」という質問があって、周りのほかの学生は「生きがい」など私的な思いを書いていたんです。彼らにとってはデザインは自己表現なんですね。

 僕は自分で突き詰めて考えて、デザインとは「よくすること」だと書いたんです。芸術は表現だから、作品がそこにあるだけで成立します。

水野学さん

 でもデザインはなにか物や物事ごとが、よくなっていく過程で起こるものではないか、と。つまりデザインによって「よくすること」だ、と考えた。たとえば宗教画もキリスト教を広めるという意味でいえばデザインなわけです。

 逆に「よくすること」ができなければデザインとは言えないとも思った。僕がのちに独立したときに自分の会社名を「good design company」としたのは、そういう思いが無意識的にも意識的にもあったからだと思います。

 とはいえ真面目につけたというよりは、文化祭でお店をやるという感じのノリで命名したんですけど(笑)。

独立してお金がないときも本だけは買い続けた

 社会に出て二社経験しました。二社目は、広告関係では有名な会社でした。でも、1年しかいなかったんです。大学時代にやっていたラグビーや昔の事故の影響で、腰痛によりイスに座り続けることが難しかったのと、「どうしてデザインが必要なのか」をもう一度きちんと考えたいという思いが強かったから。

 とくに自分の会社をつくろうとも思ってなかったけれど、そうやって考えているうちに仕事が入ってきて、その延長でいまがあるという感じです。

 とはいえ会社を辞めた直後は、とても貧乏でしたね。でも本だけは買いました。デザイン関係はカテゴライズするのが意外と難しくて、文字、写真、絵画、ポスター、建築、プロダクトに関するものなど、あらゆる本を読みました。

デザインによるコンサルティングで企業の売り上げを伸ばす

 いま僕はロゴやパッケージ、商品企画といったブランドづくり、インテリアデザインからコンサルティングに至るまで、トータルにデザインを通じて企業をディレクションしています。

 ではクライアントに対して「よくする」とはなにかといえば、それは売り上げを伸ばすことです。企業である限り、それは当然のことだと思います。僕はその観点から話をするので、社長さんたちとも話が合うのかもしれません。

 享保元年(1716年)に奈良で創業した生活雑貨の企画、製造、販売をする「中川政七商店」では、すでにある既存ブランドのリニューアルや新ブランドの立案、組織変革、事業展開、それから店舗運営のガイドラインまで、かなりの部分を担当させていただきました。8年間で、9億円から50億円以上に売り上げが伸びたんだそうです。

 売り上げを伸ばす = よくする打率はいまは9割5分くらいでしょうか。かなりの好成績だと言っても過言ではないと思います(笑)。

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水野 学(みずの・まなぶ)

good design company代表。クリエイティブディレクター、クリエイティブコンサルタント。ゼロからのブランドづくりをはじめ、ロゴ制作、商品企画、パッケージデザイン、インテリアデザイン、コンサルティングまでをトータルに手がける。おもな仕事に、相鉄グループ「デザインブランドアッププロジェクト」、熊本県「くまモン」、中川政七商店、久原本家「茅乃舎」など。ブランド「THE」の企画運営も手がける。The One Show金賞、D&AD銀賞、CLIO Awards銀賞、London International Awards金賞ほか受賞多数。 

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