「草笛光子」という生き方。[前編]

「草笛光子」 という生き方。
 八十歳を過ぎてなお、輝きを増し続けている女優の草笛光子さん。美しい銀髪は多くの女性の憧れとなり、飾らない生き方がいま、世代を超えて大きな支持を受けています。
 半生を語りおろした『いつも私で生きていく』の刊行にあたって、お話を伺いました。

振り返らずに、ピカピカと生きたい。

「本という形を借りて私の人生を晒すことで、皆さんにいろんなことを感じていただけている。それはすごく嬉しい。でも、本当のことを言うと、自分のことを話すのは苦手なんです。自分の本でも、あんまり読み返したくない。なんだ、私、これっぽっちの人間なんだと思って、嫌になっちゃう(笑)。それが、ずっと残っていくっていうのも恥ずかしいでしょう」

 ご自身が出演されたテレビドラマや映画も、何度も観返すことはないという草笛さん。一回さーっと観たら、それっきり。後ろを振り向くのが、大嫌い。撮影が終わった瞬間、草笛さんの気持ちは、もう次へ向かっている。

「七十年近くこの世界で仕事をしていますから、いろんなことがありました。嫌なものはおなかの底へしまいこんだり、もっと嫌なものは捨てちゃったり、何とか仕分けしながら、今日まで生きてきたんですね。恨みもつらみも、嫌な思いも私の中からどこかよそへ行っちゃってるんです。まだ少しだけど、これから先の人生がありますから(笑)。その少しを楽しく明るく、ピカピカと生きたいなと思っているんです。
でもね、本を作ると、いろんな過去を思い出さざるを得ないでしょう。この間はファッションの本(『草笛光子のクローゼット』主婦と生活社)を作るために、何十年も前の洋服をひっぱりだしたんです。そうすると、しまい込んで忘れていた過去の記憶も一緒に、出てきちゃうのね。いいことももちろんいっぱいありますけれど、誰だって嫌なことは思い出したくないでしょう」

 そう謙遜する草笛さん。たくさんの人たちの心を動かしたのは、単なるファッションではなく、草笛さんの女優人生と洋服がシンクロした物語がそこにあったからにちがいない。

 新刊『いつも私で生きていく』の中では、文筆家で演出家の萩原朔美さんが「若さを重ねることが、女優という生き方なのである」と草笛さんのことを表現したことに対して、その新鮮な表現にドキッとして、ゾクッとしたと書いている。

「朔美さんは、詩人の萩原朔太郎さんのお孫さんで、作家の萩原葉子さんの息子さん。素敵な日本語をお書きになる方です。女優は、肉体を使った表現者であると同時に、言葉の伝達者でもあると思っています。だから、言葉の力には、敏感でいたい。舞台の台本を頂いた時に、その中にいい言葉がひとつあると、それだけで、この役をやってみようというスイッチが入るんです」

 いい言葉には、心を動かす力がある。だからそれを舞台でしゃべることが嬉しくてしかたなくなる。萩原朔美さんの言葉によって、女優としての自分を再発見したのだという。

草笛光子さん

"種"が合う人とは、ずっと付き合っていける。

「私、自然体で生きていますから、何でもストレートに言っちゃうんです。もう本当に。"そのまんま光子"って名前に変えたほうがいいくらい(笑)。口に出してから、しまったと思うこともよくありますね。横でマネージャーさんが困った顔をしていると、しまった、また言っちゃった、と反省するんです。こればかりは性分ですから、なかなか治らない(笑)。言葉でも、演技でも、何でも、花火のごとく散っちゃいたいのね。影でひそひそやるのは大嫌い」

 とはいえ、女優という仕事は、多くの共演者やスタッフと関わる仕事でもある。人間関係は、やっぱり難しい。時には、波長の合わない人もいて、ぶつかることもあるという。

「『あの人、嫌い、この人、好き』って、口には出しません。いろんな方とお付き合いしなきゃならない仕事だから。嫌だなと思ったら、どうするか。私は、その人からうまく遠のくんです。合う、合わないっていうのは、お互いにどこか空気で分かるんでしょう。

 逆にうまくいく人とは、多くを語らなくても本質的なところでわかり合える。わたしは、それを"種"が合うと言っています。例えばその人がちょっと嫌なことを言ったり、腹が立つようなことがあっても、"種"が一緒だといつのまにかもとの関係に戻るんです。"種"が合わない人は、一旦壊れたらもうだめ。戻らない」

 人間関係も自然体。それは天性かと思ったら、そうでもないようだ。子どもの頃は人間嫌いで、人と目を合わせるのさえ嫌だった。そんな草笛さんが、松竹歌劇団(SKD)に入団し、その後女優への道を歩み始める。

「自分でも不思議だな、と思います。よくこの世界で、ここまで生きてこられたな、と。幼い頃は、人と話もできなくて……。"光子ちゃん"って呼ばれると石のように固まって、自分を閉ざしていた。おじさんが出征する時に、親戚の人たちが集まって写真を撮ったのですが、私だけどこかに隠れていた。ひっぱり出されてきて、渋々顔で写っている。人がいっぱいいるのが、ダメなんです。だから遊園地にも行かれない。
ところが、SKDに入って、大勢の観客の前に立つようになった時に、本当は私、ここに出たかったんだと気づいたんです。自分を認められたい願望が、心の奥にあったんでしょう。子どもの頃は、その気持ちに素直になれなくて、殻に閉じこもっていたのかもしれません」

〈「本の窓」2018年8月号掲載〉
▶▷「草笛光子」という生き方。[後編]はこちら

草笛光子(くさぶえ・みつこ)
1933年生まれ。神奈川県横浜市出身。1950年松竹歌劇団に入団し1953年『純潔革命』で映画デビュー。主な映画出演作に『社長シリーズ』『それから』『犬神家の一族』『沈まぬ太陽』『武士の家計簿』など。2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』では真田信繁の祖母役を務めた。1999年に紫綬褒章、2005年に旭日小綬章を受章。


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