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古川日出男さん『女たち三百人の裏切りの書』
読んだり書いたりすることで物語が歴史を動かせるんだと、この本が小さく証明できたらとは思っていました。
古川日出男さん
古川日出男さんがまた新しいことをやってのけた。『女たち三百人の裏切りの書』は、紫式部の怨霊が現れて『源氏物語』の「宇治十帖」を語り直すという内容。それだけでなくそこから物語は実にダイナミックな展開を辿っていく。一体なぜ、この刺激的な一冊が生まれたのか。
古川日出男(ふるかわ・ひでお)
1966年福島県生まれ。1998年に『13』で小説家デビュー。2002年、『アラビアの夜の種族』で日本推理作家協会賞、日本SF大賞をダブル受賞。06年、『LOVE』で三島由紀夫賞受賞。他の作品に『ドッグマザー』『南無ロックンロール二十一部経』『冬眠する熊に添い寝してごらん』など多数ある。

千年前にコミットしたかった

 紫式部が死してから百年余り。物憑きで寝込む女御と見守る女房らの前に、彼女の怨霊が現れる。世の中に流布する宇治十帖は改ざんされたものだと憤り、おのれが語る正篇を本にまとめよと要望する──『女たち三百人の裏切りの書』は、著者ならではの語り口とスケールで描かれる古川日出男版源氏物語だ。

「僕は地元が福島なんですが、二〇一一年に震災があって千年に一度の巨大地震だといわれ、その千年ってどういうことなんだろうと思って。それで、自分は作家なんだから千年前の小説にコミットすればいいじゃないか、と思ったんです。そうしたらちょうど千年前に紫式部がいた。思えばそれまでに書かれた物語は『竹取物語』などがあるけれど作者が分からない。自分の名前を出した小説を書いて、嫉妬や欲望といった人の心理を五十四帖も書いた、いわば国内初のメガノベルを書いた小説家が紫式部。で、式部先輩の胸を借りよう、と思ったんです(笑)」

『源氏物語』は35歳すぎに谷崎潤一郎訳で読んだという。

「30代前半までは“教養なんてないよ”と自慢できたけれど、もう教養がないといろんな局面で負ける年代だなと思って読みました。谷崎の訳は分かりにくい部分もあるけれど、雅な感じが印象に残って。後で原文を読んだ時、雰囲気は抽出されていることが分かりました」

 一方で、もともと好きだったラテンアメリカ文学から、式部を連想したことも。

「僕の中ではガルシア=マルケスは大長篇の物語作家、ボルヘスは短篇作家というイメージ。日本では誰が該当するかと考えると、大長篇なら紫式部、短篇なら芥川龍之介。つまりこの二人は、自分の射程に入れておいたほうがいいなと思っていたんです」

 ではなぜ、光源氏亡きあとの「宇治十帖」を選んだのか。

「『源氏物語』は三分の二くらいで光源氏は死んで子や孫の世代の話になり、今度は浮舟という女性が主役になっていく。この小説には主人公が二人いるんです。自分が読む限り、紫式部が自分を投影させているのは浮舟だと感じる。紫式部の怨霊が出てくる設定で書くなら、取り上げるのは宇治十帖しかないと思いました」

 この十帖を他人の作だとする説も根強くあることはもちろん意識していた。

「僕はむしろ、前半のほうが技術のある人なら誰でも書けたと思うし、宇治十帖の前の三帖が本人の作かどうか怪しいと思う。宇治十帖は紫式部でなければ書けないものが生まれていると。文体が違うから別人だという人は多いけれど、デビュー作と二十作目で文体が変わらない人なんていない。式部はずっと『源氏物語』を書いてきて、宇治十帖でようやく書きたいものを掘り当てたんだと思う。生きていてきついことはたくさんあったはず。ジェンダーできつい、宗教できつい、文化でもきつい。それを物語の中に溶かしたいという気持ちが全面開花しているのが宇治十帖。当時は男が女のもとへ夜這いして婚姻関係が結ばれていて、『源氏物語』の前半でもたいてい女たちは拒否しても男に襲われている。宇治十帖ではその拒否の色がはっきりと出ている。当時の婚姻文化を完全に否定しているんです」

 ただし、本作では古川さんの解釈とは逆で、他人が書いた宇治十帖が流布しているから式部の霊が怒っているという設定。

「矛盾していますね(笑)。でも、紫式部を擁護するとしたら、“別人が書いたけれども語り直すから本にしてくれ”と怨霊が言う、という発露の仕方はあるのかな。そういう開き直ったスタンスは同業者として分かる気がする」

 本書の舞台は複数ある。まず、麗景殿。紫苑の君が憑き物で床に臥せるなか、女房集団の筆頭のちどりや、見舞いに来た中将建明の目の前でうすきという少女に憑依した紫式部。この舞台は式部の語りを訊く場として用意されただけでなく、やがて物語を発信する場となり歴史を変えていく場となっていく。その一方で怨霊が語る宇治=憂しの物語があり、さらには瀬戸内海の海賊や奥州の武士たちの挿話も盛り込まれていく。前半では彼らがどのように宇治の物語に絡むのかまったく見えないが、それぞれ独立した話としても読み応え充分だ。

「普通の小説ならそれぞれ違う話がどう絡まりあっていくかを読ませれば充分ですが、これは上に下に横に斜めに揺さぶる展開にしました。この『女たち三百人の裏切りの書』という本が、ジェットコースターに搭載されたカプセルのような体感装置になったらいいなと思って」

 武士や海賊らの登場に関しては、小説内でも度々、出てくる「隙見」がキーワード。間隙をのぞいてみる、という意味あいであるが、

「紫式部が書いたものを改ざんはしていないけれど、スピンオフは書きました(笑)。『源氏物語』を読んでいると、東北に赴任した人間がなまっているとか、九州の豪族は乱暴だといった話が出てくる。でも式部は京都より離れた世界を知らないからなのか、深くは書こうとしていない。だったらそこは僕の出番でしょう。紫式部が書いた物語の外の部分を隙見していきました。そうしたら紫式部が書いた世界に、外からだんだん迫っていく形になりました」

 語る女たちのもとに、男たちが近づいてくるという図式も頭に浮かぶ。

「ただ、みんな中心にはいない人たちなんです。ここに出てくる女も男も、みんな政治の外側にいる。女性は男の人が来るのを待っている存在だし、男だって武士だってまだ侍の時代ではないから力を持っていないし、海賊はもちろん政治の外にいる。権力からすると二次的三次的な存在に置かれている人たちが、みんなまったく違う思惑で共闘しているんです」

 史実も存分に盛り込まれ、日本人の宗教観を再度検討するような内容も。さて、では式部が甦る時期を百年余り後としたのはどうしてか。

「最初は鎌倉時代までを書くことも考えていたんです。そこから前後百年を削っていったらベースとなる時代設定ができました。女性が書いた『源氏物語』から男の語る『平家物語』へのブリッジになる小説が書けたらいいなと思って」

 確かに最後まで読めば、本作は『平家物語』に繋がる世界になっていると分かる。ちなみに古川さんは、河出書房新社で刊行が始まっている『日本文学全集』のなかで、『平家物語』の翻訳を担当している(二〇一六年刊行予定)。驚くのは、本書の執筆を開始した段階で、その依頼はきていなかった、ということ。

「もうこれを書きはじめていた2年前の誕生日に突然、河出の編集者からメールがあって。ちょうど自分が『源氏物語』を書く意味を見出そうとしていた時で、そういう依頼をいただけるならやっぱり意味があるのかなと感じました。これも何かの流れかな、と思って引き受けることにしました」

『平家物語』は“翻訳”であるが、こちらは創作。ただし式部が語る宇治十帖の部分は翻訳といえる。

「『源氏物語』を読んでいない人でも細部まで構図が見えるように考えました。なので当初の予定よりも枚数は増えたんです。ただ、翻訳ではないから和歌だけはそのまま載せました」

 作中の紫式部が「あなたたち後世の人よ」と呼びかける語りは、切実で迫力がある。

「式部さんが断定調で語り切っちゃうドライブ感はありがたかったですね。僕はよく女性の語りを書くけれど、今回紫式部の語りとして書けば、そのいい部分が出ているんじゃないかな」

 という古川さんだが、なぜ女性の語りを選ぶ傾向があるのか。

「考えてみれば、中学の終わりくらいに姪が生まれたんです。それで僕もよく姪を抱えて面倒を見ていた。2年後には甥が生まれて、僕の後ろにいつも小さいのが2匹くっついていた(笑)。そういうことを通して入ってきた、女性性というか中性性みたいなものがあると思う。僕の小説に女性や子どもが多く出てくるのは、その姪や甥の存在があったからなんだろうなあ、と。それに女性を書いているほうが、キャラクターを作らなくていいからラクというのもある。僕は男性一人称で書くとリアリティがないと言われるんです。多くの男性が頑張っているところって、俺はもともと頑張っていないからなんだろうなと思う(笑)」

物語が歴史を変える

 怨霊の式部が語る物語は本となり、その本が世間に広まり、複雑な状況を生んでいく。具体的な内容は伏せるが、物語が歴史を変えていく展開が非常にエキサイティング!

「僕ができることは書くことと読むことだけ。それが無駄なはずはないという確信は持っている。別に政治などに対して一石を投じるつもりはないけれど、読んだり書いたりすることで物語が歴史を動かせるんだと、この本が小さく証明できたらとは思っていました。『源氏物語』だって、実社会で当時の政治家たちが光源氏に憧れて、彼を模倣したりしていた。そう考えるとやっぱり物語が歴史を動かしたんだと思う」

 本が世間に出回り人々に影響を与えていく過程も軽快に描かれるが、

「そこは卑近なことを言ってしまうと、本を流通させるにはどうしたらいいか日々シビアに考えていますから(笑)。それを平安時代に活かすと、ああいう流布の方法になりました」

 後半に幾度も意外な事実に驚かされた後、物語は美しく羽ばたいていく。

「大きな出来事ってどうしても、誰かがシナリオを描いて歴史が動いたという言われ方をするけれど、実際はいろんな人が思惑を持って事件を起こそうとしている。その思惑が絡み合い過ぎて何と何が原因でこの結果になったのか分からないのが現実だと思っている。それを物語に落とし込むとどうなるのかを書いてみたかった」

 途中で幾度かこの書名の意味に思いをはせることになるが、

「タイトルは最初から決めていました。別の仕事のために黒澤明の『羅生門』を見ていたら浮かんだんです。暴力的に美しいなと自分では思っています」

自分の柱は三つある

 執筆の佳境の時期には高熱を出し、身体に蕁麻疹までできるほどだったという。ようやく書きあげ、千年前の小説にコミットしてみて思うことは何か。

「今のような、誰がものを決めているか分からないような社会はいつできたんだろうと探りたかったんです。誰かが決めればいいやと思って気づけば手遅れになっているみたいな時代はいつからなんだろう、と。それで千年を遡っていったけれど、遡ってもどうも誰かが決めているというわけではなくて。天皇がいて法皇もいて摂政や関白もいて、誰かが何かを決めているわけではない。そのことを糾弾するつもりはなく、千年前からこういう文化なら、だったら自分はのびのびと物語で世界を変えられるようになろう、と。震災の後の復興もなんでいろんなことがきちんと進まないのかというと、旗を振ってみんなを動かすタイプの人や集団がいないから。ならばそういうものに頼るのではなく、一人ひとりが自分の持ち場で、前よりいい場を作っていけばいいと、ふっきれたところがあります。自分の持ち場で頑張ることが本当の意味を持つのは今なんだなって」

 98年にデビューして18年目。今、作家としての自分について思うことは何か。

「時期ごとにそれまでの作風を否定しながらやってきたけれど、そのなかで柱となるものが何本が見つかったように思う。ひとつはメガノベル。大きな見方ができるというと偉そうだけれど、歴史というものを独自の捉え方ができているとは思う。それに世界中のどこにでも飛べる空間の使い方も自分はできると思っている。二つ目は、女性や子どもや動物たちも書いていること。小さな者たちに寄り添って書くのが自然であること。あともうひとつ、アクチュアルなものを書いていること。『源氏物語』を書いている時も、ここに入っている問題はアクチュアルなもの。書いている最中も歴史小説の文法にのっとった閉じた世界にはしない、とはずっと考えていました。この三つの柱を作品ごとに見せ方を変えながら、全部出していきたい」

 そして今後は『平家物語』に挑むわけだが、

「今回の本を書いたことで土台を作らせてもらったように思う。『平家物語』というと血なまぐささや無常観ばかりアピールされているけれど、王朝の恋愛話だってある。いろんなカラーの話をひとつの文体で貫いて全部包み込んで、大きな流れの中で見せることができたら」

 

(文・取材/瀧井朝世)
 

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