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柚木麻子さん『本屋さんのダイアナ』大復活とまではいかなくても、復活のとっかかりを掴むところまでを書きたいと思いました。
話題作を次々と発表する気鋭の作家、柚木麻子さん。新作は二人の少女の友情と、長年にわたる成長を描いた『本屋さんのダイアナ』。著者自身も愛してやまなかった少女小説の要素をたっぷりと盛り込んだ本作は、かつて少女だったすべての女性、そして子供の頃本が好きだった大人にとってたまらない内容だ。柚木麻子(ゆずき・あさこ)1981年東京都生まれ。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、10年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。その他の著作に『あまからカルテット』『私にふさわしいホテル』『ランチのアッコちゃん』『その手をにぎりたい』『伊藤くんA to E』などがある。

ダイアナという名の日本人少女

 金色に染められた髪、大穴(ダイアナ)という名前、日本人なのにティアラと名乗るキャバ嬢の母親。だけど彼女は文系少女。孤独な小学三年生、ダイアナの楽しみは本を読むことだ。一方、真っ黒なおかっぱ頭で、編集者の父と料理研究家の母を持つのはクラスメイトの彩子。お行儀のよい彼女もまた、本が大好き。正反対のタイプの二人は読書を通じて、かけがえのない友情を育んでいく。柚木麻子さんの新作『本屋さんのダイアナ』は、二人の視点を交互に交え、十数年にわたる彼女たちの成長と変化を描いた物語。幼い頃はじめて知った小説を読む愉しみや、それを語らう相手と出会えた喜びを思い出す人は多いに違いない。

 オビには〈現代の『赤毛のアン』〉の文字が。実際「アン」シリーズは作品のなかにも登場する。そもそもダイアナという名前はアンの親友の名前だ。昨今はドラマの影響で「アン」ブームとなっているが、

「雑誌で連載をしていて、最終回を書き終わった頃に、次の次の朝の連続小説が『赤毛のアン』の訳者の村岡花子さんの話だという情報が流れたんです。それを知った時はあまりの偶然にぞーっとしました(笑)」

ダイアナと彩子、それぞれの母

 対照的なダブルヒロインだが、母親の個性がまったく異なる点に注目したい。ダイアナの母、ぞんざいなティアラに関しては、

「実は、うちの母をヤンキーにしたらティアラさんみたいな感じになります。母はまっとうな子育てをしたとはいえないけれど、握力の強さの大切さ、嫌な目にあったら嫌だって騒ぐんだってことは教えてくれました。そしてもうひとつ、すごくいっぱい本を与えてくれ、読んでくれたんです。そういう母に言われてきたことを小説に書きたかった。それに、ヤンキーの家庭の子が渋好みの文化系だったら、辛いだろうなと思って(笑)。ヤンキーのことを知るために、歌舞伎町の〈つるとんたん〉に行ってアフターのキャバ嬢たちの会話にずっと聞き耳を立てていました」

 それにしても大穴と書いてダイアナと読ませる名前はずいぶんだという気もするが、

「『赤毛のアン』のアンも自分の名前を地味だからといって嫌っていたんですよね。ダイアナという名前に憧れて友達になりたいと思う。でも当時、ダイアナはキラキラネームだったようで、マシューさんがあの名前は好きじゃないと言う。今回主人公の名前をつけるにあたって矢島アンでは普通の可愛い名前になってしまうけれど、ダイアナはキラキラネームになるなと思いました。そこに、自分がいちばん嫌だなと思う当て字をつけました」

 ただ、単なる悪趣味というわけではない。

「ティアラさんは、すごくラッキーで、すごく強い唯一無二の存在になってほしいと思ってこういう名前をつけたと思うんです。私も最近のキラキラネームを見て、親は子供のことを全然考えてないなって感じたことがありました。でもヤンキー向けの雑誌を読んでいると、みんな信じられないような体力を注ぎ込んで子育てをしている。どの親も、その時それがベストだと思って名前をつけたんだろう、そこにはすごい理由があるんだろうと思いました」

 ラインストーンで“デコ”ったランドセルや、ファストフードの食事。ダイアナはうんざりしているが、彩子はそれに憧れる。

「ヤンキーママのタレントのブログを見ると、安いアイダホポテトの大袋をチンしてみんなで食べている。うちは一日一個か二個しか許されなかったから羨ましくて。ヤンキーの家庭には小さい頃の私が憧れそうなものがみんなある」

 著者と同じように羨望を抱く彩子の家庭はというと、これがもう、とびきり健全。元編集者の母親は現在は家で料理教室を開いており、子供の食生活から教育まで、完璧なまでに目配りされている。

「親に大事に育てられている子を書こうと思いました。ただ、ティアラさんと対照的に書くことで彩子ちゃんの母親が保守的で排他的な人に見えたりしないよう、工夫はしています」

 ダイアナは品のある彩子の家庭に憧れる。しかも、彩子の父親は二人の愛読書である架空の小説『秘密の森のダイアナ』の元担当編集者だ。今は新作を書いていない日本人作家が書いたという設定の、この作品からの引用も頻出。

「エンデの『モモ』、『モモちゃんとアカネちゃん』、女の子が戦う話である『アリーテ姫の冒険』を意識しています。作中の引用は少女小説に出てきそうな台詞をたくさん使っていますね。この小説の細かい設定も自分のなかにはあるんですけれど、作中でダイアナたちがこんなに感銘を受けているので、ハードルが上がってしまって。実際に書くことはできません(笑)」

 他にも、二人の愛読書としてさまざまな少女小説のタイトルが出てくる。『赤毛のアン』はもちろん、『大草原の小さな家』、『若草物語』、『秘密の花園』、『おちゃめなふたご』、『おてんばエリザベス』、『はりきりダレル』シリーズ、『神さま、わたしマーガレットです』……。

「幼い頃に好きだった本の名前を入れ込みました。誰も読んだことのないような本は避けて、現在も書店で入手できるもの、たいていの図書館で借りられるようなド定番のものに絞りました。『アナと雪の女王』が好きな人は、ここに載っている本はみんな好きだと思います」

違う道を歩き出す少女たち

 さて、二人の関係はどう変化するのか。中学でダイアナは公立に、彩子は私立に進学、彼女たちは疎遠になっていく。

「どんなに仲がよくても離れてしまうことってある。進学先や就職もそうだし、女の人は結婚や出産によっても環境が変わるから、友情がずっと同じ形で継続するわけではないんですよね。でも関係が途絶えてしまったからといって、楽しかった時期が嘘だったわけじゃない。それに何かの拍子で再会したら、もとの空気にぱっと戻ってくることがありますし」

 やがてダイアナは書店で働きはじめ、大学に進学した彩子は入学早々辛い体験をすることに。彩子の身に起きることはかなりショッキング。

「今回の本の出発点には、今の女の子を取り巻く性的な問題を書こうという気持ちがありました。デートレイプやリベンジポルノなどといった問題は年々大変なことになってきている。親でも守りきれないんですよね。衣食住を与えて大切に育てて高学歴をつけても、守れない。しかもデートレイプなどは、女の子が自分は被害者だと思いたくなくてそのまま受け入れてしまうケースが多く、なかなか表に出てこない。でも十代のうちに辛い目にあっても、それですべてが終わりになるわけじゃない。心の中では一生引きずるかもしれないけれど、でも一生が終わるわけじゃない。私は“復活”が好きです。ハリウッドは醜聞のあった俳優が復活して高い評価を得たりするから好き。日本では同じようなことがあっても、それって男性ばかり。ドリュー・バリモアのように薬物中毒になった過去もあるのに平然とラブコメをやるような女の子が日本にいたっていい。今回の小説でも、大復活とまではいかなくても、復活のとっかかりを掴むところまでを書きたいと思いました」

 そういう点を含め、意外にも本書は本好きだった頃の自分を重ねた少女目線ではなく、親目線で考えて書き進めていったのだという。

 さて、書店で働き始めたダイアナは、自分の道を歩きはじめる。本屋さんが好きというのは著者にも通じることで、

「嫌なことがあると本屋さんをフラフラしますね。今はこれが流行っているんだなとか、雑誌の付録にこういうものがついているんだなとか、最近の自己啓発本はこういう方向なのか、とか思ったり……。そうしているうちに立ち直っている自分がいる。何かを調べたい時や情報がほしい時もまず書店に行きますね。本屋さんって何かを始めたり再出発したりするのにふさわしい場所。そこがとても好きです」

 ダイアナにも、さまざまな出会いが待っている。ずっと父親不在のまま育ってきた彼女にとって、大きな出来事も起きる……。

「ずっと“父親”というものを書くのは苦手で、これまでは、そうした存在を書くことを避けていました。でも、昨年の年末に父が亡くなって、いろいろ思うところがあったんです。それで、この小説でも最後の部分は単行本にする段階で大幅に書き直しました」

 柚木さん自身は、両親が離婚して父親とは離れて暮らしていたという。

「父は家族がいないと駄目になるタイプの人だったと思う。今年のアメリカのアカデミー賞の授賞式の、主演男優賞を獲ったマシュー・マコノヒーのスピーチを見ていた時に、思うところがありました。彼はマリファナ所持で逮捕された過去もあるんですが、モデル兼デザイナーの奥さんや周囲の人に支えられて、大復活を遂げたんですよね。逆に言えばマコノヒーも家族がいないと駄目になるタイプ。父もこうだったのかなあ、って、なにかわかった気がしたんです」

 ダイアナもある出来事を通して、ある人のことを、少しだけ理解する。

「もともと少女小説って“父親”との和解が描かれるんです。アンだってマシューという仮のお父さんを通して異性と和解するし、『小公女』も最後にお父さんの遺産が主人公を救いますよね。『あしながおじさん』だって最後に男の人が登場する。でも最後に登場する男性ってみんな人格者なんですよね。現実はなかなかそうはいかないので、そのさじ加減はすごく考えました」

少女小説における“ローリー男子”とは

 それぞれ異なる場所で、異なる道を歩いていくダイアナと彩子。『秘密の森のダイアナ』に書かれているように、自分にかけられた呪いを自分で解こうとする姿に胸が熱くなる。それに、彼女たちは別々の場所で生きているが、心が離れ離れになったわけではない。

「『アナと雪の女王』もそうですが、女の人って損得抜きで助けあうことで自分が救われる時ってある。そういうことも書きたいなと思っていました。私の小説って俯瞰で見るとフェミニストっぽいように感じていて。それはなぜかを考えてみたら、私が読んできた少女小説ってみんなその要素があるんですよね。女の子同士で助け合っていくという」

 確かに、本書には彼女たちを助けてくれるヒーロー的な男性は登場しない。唯一、彼女たちの幼馴染みでもある武田という少年がずっと顔をのぞかせるが、

「彼は“ローリー男子”として書きました。『若草物語』で、姉妹の隣に住んでいるローリーは四人がわちゃわちゃしているのを楽しそうに見ていてくれる、邪魔にならないイケメン。ジョーのことを好きになり、結局はエイミーと結婚しますが、そういう性的なことが介在してもかまわない。小説や漫画においてそういう男子って多いんです。日本のローリー男子の最高峰はドラマ『抱きしめたい!』の本木雅弘さん演じる浅野温子に憧れる部下か、『エスパー魔美』の高畑くんですね。ローリー男子がいると女の子たちのユートピアが成立する。貴重な存在です」

 終盤には、村岡花子が「アン」シリーズのあとがきで書いた文章が引用される。ひとつはダイアナについて言及する部分。

「アンはエキセントリックな女の子なのになんで日本人女性にこれだけ愛されてきたんだろうって思っていたんです。村岡さんの翻訳を読むと、マシューやダイアナという押し弱いキャラクター、村から出られない人たちへも愛情があって、彼らのおかげで受け入れられてきたのかな、とも思います。ダイアナってアンに結構ひどい目にあわされるのに、本当にいい友達なんですよね」

 もうひとつの〈(中略)自分にあたえられた環境のなかでせいいっぱい努力すれば、道はおのずからひらかれるものです(中略)〉ということが書かれた文章は、よく耳にする言い回しに思えるが、今回の小説を読み進めてたどり着いた時にはぐっとくるものがある。

「幼い頃には読み飛ばしていたけれど、今読むとああ、と思いますね。当時の状況を考えるとこの少女小説を書いた人も翻訳した人も、すごいキャリアウーマンだったわけで、女の人が働く厳しさは半端なかったはず。そう思うと言葉に重みが増します」

 

(文・取材/瀧井朝世)
 

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