アンケート






 深沢 潮さん『ハンサラン 愛する人びと』
 自分が問題意識を持ったもの、
 ちょっとひっかかったものを
 膨らませていきたいですね。







その道三十年のベテランお見合いおばさんとその家族、彼女が縁組みをした男女とその家族……。それぞれが抱える複雑な事情やそこから起きるちょっとした騒動を、可笑しみと哀切を含めて描く深沢潮さんの『ハンサラン 愛する人びと』。泣き笑いの人生模様を描いた滋味豊かな連作集は、著者にとって初の単行本である。


お見合いおばさんと周辺の人々

 ひとつの家族にもさまざまな歴史と文化がある。それは生きていく上での拠り所にもなり心の支えにもなるけれど、時としては枷になることも。そこで生じる悲喜こもごもを、ユーモアを含ませた抑えた筆致でつづる『ハンサラン 愛する人びと』。深沢潮さんの単行本デビュー作だ。2012年に第11回「女による女のためのR‐18文学賞」を受賞した「金江のおばさん」を第一話においた全六話からなる連作集。ちなみにR‐18はそれまで「性をテーマにした小説」が対象だったが、この第11回からは「女性ならではの感性を生かした小説」が対象に。

「応募した時にはもう六話すべて書いてあったんです。連作なので長編の賞に応募するのはどうかなと考えていたところ、R‐18が第11回から応募規定が変わったので、じゃあこの第一話を出してみようと思って。それまでもR‐18には二回応募したけれど駄目だったので、今回駄目だったらこの賞は私には合わないということにするつもりでいたら、運よく受賞することができました」

 東京周辺のコリアン社会で“お見合いおばさん”として名をはせる金江福、本名は李福先(イーポクソン)。この道三十年のベテランだ。両家の出身地だの本人の学歴だのを考慮して縁組みしていく福は、その報酬だけでなくお見合いの席や結納、披露宴に馴染みのホテルを使ってバックマージンをもらうがめつさも。この“金江のおばさん”を中心に、彼女が結びつけた夫婦など、周辺のさまざまな人間模様が描かれていく。どの短編も奥行きがある上「おやっ」と思う展開が待ち受けていて、読み応えがある。

「実は私もこうしたお見合いおばさんの紹介でお見合いをして結婚したんです。その時、おばさんのがめつさが強烈で、ものすごく印象に残っていて(笑)。必ず土曜日になるとそのホテルでお見合いをやっていて、ホテルのスタッフともツーカーになっている様子も可笑しかった。小説を書くようになった時、絶対に登場させたいキャラクターだなと思ったんです。もちろん家族構成などのバックグラウンドはフィクションです」




家族の話が書きたかった


 福の夫の鉄男は八十半ば。ずっと朝鮮総連の仕事を続け、生活費は福の実家頼みだった。そこで福がお見合いの斡旋料を稼ぐようになったというわけ。夫婦にはとうに成人した子どもが二人いるが、彼らは現在どうなっているのかは、次第に明らかにされていく。

 儒教社会の習慣を受け継いでか、日本におけるコリアン社会の人々は、家族や親族をとても大事にしている。だからこそ、さまざまな悩みも生じてしまう。

「家族の話を書きたかったんです。背負っている荷物がちょっと多い家族、ということで在日の人たちの話になっていきました。それに、自分がよく状況を知っているということもあります」

 深沢さんの父親は韓国から勉強のために十代で日本に来た一世、母親は二世。深沢さん自身は結婚後に帰化したという。本書では日本人との結婚を許さない親も登場するが、彼女の父親もまさにそうだったという。

「民族学校に通っていれば家との齟齬がない教育を受けたと思うんですが、日本の学校に通っていたので学校と家とのギャップが大きかった。学校の同級生は親と友達のように仲良しなのに、うちはとても封建的。父親よりはやく起きなくてはいけない、食事の時は父が来るまで座って待っていないといけない。逆らうと手が飛んできました。それでも日本人の学校に通わせたのは、社会に適応させようという親の思いがあったのかもしれません。もちろん日本人と結婚してはいけないと言われて、お見合いおばさんに縁組みしてもらったんです。でもその後親も変わっていきました。だって妹は日本人と結婚していますから」

 親が望む結婚、子どもたちが求める理想との違い。その軋轢は日本人同士の間でだって見られるもの。婚活の現場も「あるある」と思わせる細部に可笑しみがたっぷり。

「お見合いだと性格のよさよりも外見や学歴、相手の家族などで安易に判断しがちですよね。女性とつきあった経験のない男性だと、お見合いの席で相手が不機嫌そうにしていても“自分のことが気に入らないんだな”と気づかずに“大人しい女性だな”と思い込んでしまうなど、気持ちのすれ違いもよくあることみたいです」

 なかなか縁談の決まらなかったヨニンという女性がいくつかの話に顔を出すが、さまざまなエピソードを通して気立てのよさが伝わってくるため、次第にこちらも彼女の幸せを願いたくなってくる。




婚活から広がる人間模様


 第二話の「四柱八字(サジュパルチャ)」は占いおばさんが登場。よせられる相談は見合い相手や恋人との相性や、家族のことなど。やがてとある人物が占いにきて、意外な事実も読者に知らされることに。第三話「トル・チャンチ」で描かれる若い夫婦が合同で開くことになった子どもの一歳の誕生日イベント、トル・チャンチをめぐる騒動、第四話「日本人(イルボンサラム)」での日本人女性が嫁いだ韓国人家族の法事でこき使われる様子なども、あちこちで見られるような、身近な家族同士の軋轢が浮かび上がる。

「何かに対して過剰な人たちが出てきますが、実際に見聞きして書き留めておいたエピソードも多いですね。『四柱八字』は実際に似たような占い師に会ったことがあるし、自分に都合のいい結果が出るまで占いに通う女性も身近にいたので、話をミックスさせました。『トル・チャンチ』では自分が子供の幼児教育の教室に通っていた時に他のお母さんたちに聞いた話を盛り込んであります。『日本人』で書いた法事の様子は、今でも年に何度もおこなっている家もあればそうでない家もあるので、女性は嫁ぎ先によって天国と地獄に分かれるかもしれません(苦笑)」

 ただ、第五話の「代表選手」で触れられるオリンピック選手を目指していた高校生の帰化問題、彼や六話の「ブルー・ライト・ヨコハマ」に登場する中学生の少女の、日本人の友人に自分の国籍を告げられずに悩む様子は、改めて複雑な現実があることに気づかされる。

「帰化の許可はずいぶん簡単になりましたが、以前はなかなかおりない場合が多かったようです。五話と六話で高校生の男の子と中学生の女の子を登場させましたが、それぞれ男女の違い、高校生と中学生の違いを出そうと思いました。六話の女の子は特に、祖父にとっての可愛い孫として登場するので、希望のある話にしたかったですね」

 彼らの同世代の日本人が「在日」という言葉を知らなかったり、K‐POP好きで韓国に対して偏見がなかったりする様子が印象的だ。歴史的背景を知らないからこその公平さ、知ったからこその先入観。その間で自分たちは揺れ動いているのではないか、と思わせる。ただし、

「別に恨みつらみを書きたかったわけではないんです。ここに出てくる人たちは切ない状況にあるけれど、在日の人に限らず、自分では選べない環境で理不尽な目にあっている人はいっぱいいる。そういう人たちに届いたらいいなと思っています」

 タイトルの「ハンサラン」とは漢字にすると「韓愛」と表記するのだそうだ。

「抽象的な言葉で、造語です。東京の新大久保などに同じ名前の飲食店があるので、分かる人には分かると思うんですが(笑)」




今だから書けた家族小説


 これまでにも在日コリアンの人々が登場する小説はたくさん発表されているが、

「『GO』のように自分の状況を跳ね返そうというパワーを持った主人公が登場する素晴らしい作品もありますよね。『ハンサラン』に出てくる人たちはそうしたエネルギーを持っていないのかもしれません。跳ね返さずに状況を受け入れていて、それで苦しんでいる。そうしてひっそり生きている人も身近にたくさんいるので、今回は彼らのことを書きました。ごく日常の風景の中で彼らを描いたものとしては、鷺沢萠さんの『ビューティフル・ネーム』という短編が心に残っています。名前を途中から韓国名に変える女の子が出てくるお話です。それを読んだ時、ああ、こういう書き方ができるんだなって気がついて。自分もこんな風に書きたいなと思って、何度も読み返しました」

 国籍や出身の問題を前面に押し出すというよりも、そうした背景を持った家族たちの日常が、丁寧に、抑えた筆致で描かれているのは、そうした思いがあるからだ。

「二十年前の自分だったら、こんな風には書いていなかったかもしれません。まだ国籍のことで悩んでいましたから。自分の勝手な分析ですけれど、もう自分の中で属性や状況に対しての傷がなくなったんでしょうね。だから客観的に書くことができたのではないかな、と思います」

 そもそも小説を書き始めたのは四十代に入ってからだという。

「離婚をしたりして精神的に辛かった時期に、リハビリ作業のようにして書き始めました。自分の辛い体験を人に話せずにいたら“文章で書いてみたら”とアドバイスしてくれた人がいて。文章でも実際のことは全然書けなかったんですが、そこで嘘の話を書いてみたら、ものすごくたくさん書けたんです。六百枚くらいありましたね。今読むと自分に酔った稚拙なものなんですが、書くことで傷が癒えていきました」




リハビリのために小説を執筆


 共感してくれる人がいるかもしれないと思いブログに載せたところ、カウント数の伸びから大勢の人が読んでくれていると気づいた。それで楽しくなっていったという。

「でも小説のイロハも分かっていませんから、書き方を習おうと思ってスクールに通いました。新人賞に応募する気はなかったんですが、その教室にはプロ志向の人が多かったんです。その影響で、自分も短編を書いて応募するようになりました。昔から小説家を目指していたというわけではないので、文章には今も全然自信がなくて。せめて簡潔に分かりやすいように、と心がけています」

 プロとしてのスタートを切った今、今後もさまざまなテーマを取り上げていく予定。

「自分が問題意識を持ったもの、ちょっとひっかかったものを膨らませていきたいですね。実際の生活のなかで子どもの学校のことや親同士のことで感じるところがあるので書いてみたいし、あとは背負っているものが多い40代の恋愛も気になります。自分が離婚を経験しているせいか、伴侶って一体なんだろうと考えるんです。ソウルメイトというならば、別に結婚相手や異性でなくてもいいような気もしますし。いずれにせよ、人間関係のなかで起きる情のすれ違いなどを書いていくと思います」

 現在は祥伝社の文芸誌『Feel Love』に長編小説「ひとかどの父」を執筆中。深沢さんならではのユーモアと情のあるストーリー世界がどんな広がりを見せていくのか、楽しみである。



(文・取材/瀧井朝世)



深沢 潮(ふかざわ・うしお)
1966年東京都生まれ。会社勤務などを経て、現在はフリーの日本語講師。2012年「金江のおばさん」で第11回R‐18文学賞を受賞。同作を含む本書は初の単行本。