from book shop
  熱烈インタビュー作家さん直筆メッセージPICKUP著者インタビュー書店員さんおすすめ本コラムコミックエッセイ!「本の妖精 夫久山徳三郎」

小説自体が一つの旅であり、経験になる作品

高頭……刊行前のプルーフ本で『世界でいちばん美しい』を拝読しました。この小説は「けむり」というタイトルでいつかは書きたいと、藤谷さんが構想に十年をかけられた物語だと伺いました。

藤谷……『おがたQ、という女』を発表した時に、担当編集者から「おがたQ」のような小説で千枚くらいの長編が読みたいと言われたんです。あの小説は「おがたQ」という女の一生を描いた作品で、構造的には『おがたQ、という女』の延長線上にあるのが『世界でいちばん美しい』だと思っています。
 ずっと「けむり」というタイトルの小説を書きたいと思っていましたが、新宿で煙を見たというシーンがあるくらいで、具体的なアイディアは全くなかったんです。「けむり」を書く前の執行猶予のような感じで、青年の成長小説「津々見勘太郎」の連載を始めたところ、東日本大震災が起きました。あんな出来事の後に、もう甘いものを書いている場合じゃないという気持ちが強くなり、とにかく「けむり」という小説を早く形にしたかった。小説の執筆の計画を捩曲げて、この作品に打ち込みましたね。

高頭……序章では、語り手で作家になった島崎が、二十年前のある夜の出来事を回想しています。せった君という友達になにか不穏なことが起こったことが伝わってくるものの、どういう物語なのかわからず、最初はこの話についていけないかもしれないと思いました(笑)。

今井……前半では、島崎とせった君が出会った小学五年生から高校生を卒業するまでが描かれています。親友のせった君との交流を書き残した手記の形がとられていて、序章とは雰囲気が一転しますね。

藤谷……この部分は「そびえ立つ大路の松」というタイトルで「きらら」に連載しました。「津々見勘太郎」を書いている途中で、せった君の話も一緒に考えていくようになったんですが、せった君の身にどんなことが起こるのかわかっている僕としては、本当に苦しかったです。

高頭……せった君は、ピアノを見たことがなかったのに、三回聴いただけで弾くことができるほど、生まれながらにして音楽の才能がありました。ピアノに夢中になると、周りが見えなくなるくらい、没頭してしまう。実際に音楽をやられていた藤谷さんには、せった君のようなお友達がいらっしゃったんですか?

藤谷……せった君は架空のキャラクターです。身近にこんな人がいたら、逆に書けなかったかもしれないですね。ただせった君のように若くして亡くなった、せった君と同じイニシャルの有名な音楽家をモデルにしています。僕にはせった君という友達はいなかったですけど、これは僕の思い出話のところがあって、当時、実在していた駄菓子屋や文房具屋なども出しました。

高頭……島崎はピアノからチェロに転向し、結局は大学受験に失敗してしまいますが、才能溢れるせった君がいてくれたことで、島崎は別の道へ進むことができました。実際に身近にせった君のような人がいるかどうかは別にしても、自分では太刀打ちできない人間に出会うことは、人生においてすごく重要なことだと思いました。

藤谷……そういう人間との出会いの代わりに、音楽や小説との出合いがあるんですよね。交響曲を聴いていると、これを一人の人間だけで作ったということに驚異を感じる。しかもその音色は本当に美しい。一人の人間にこれだけ圧倒的で素晴らしいことができるということを、小説や音楽は物的証拠として後世に残し、しかも劇的な感動として見せつけてくれます。今の小説家は、消耗品としての小説ではなくて、読者に考えさせ、ここまでのことはやったと思わせられるものを作っていかないといけません。

今井……読者が物語の中に入って、その空間の中で生きたり、考えたりしてほしいということですか?

藤谷……そうですね。小説を読んだほうがいい理由の一つは、読むだけで経験できる人生が増えるから。旅行中の暇な時間に読めるような2時間ドラマのような小説も存在価値があるのでしょうが、僕の小説では、小説自体が一つの旅であり、経験になる作品でありたいと思います。

この十年で体得した小説技術を全部出した

今井……後半では、最初に書かれていた「津々見勘太郎」の物語と、大人になった島崎とせった君との出来事が、交互に語られていきます。
 前半だけ読むと、せった君はある意味特別な人だと思うだけなのですが、津々見が出てきたことによって、せった君をまた違った角度から見ることができました。

高頭……津々見は就職したものの、長くは続かず、書店で働くことになります。後輩の樹里亜と付き合うようになって、彼女に振り回されるうちに、転がり落ちるようにすべてがうまくいかなくなっていく。自分がどう生きていくか、何者かに自分がなれるだろうかと悩んでいる津々見の姿は、島崎ととてもよく似ていました。たいていの人は、現実と対峙して生きていきますが、津々見はそこに納得することができなくて、どんどん性格が捻曲がってしまう。どうしてこんなにも変わってしまったんでしょうか?

藤谷……そこは読者の方に考えてほしいところです。「津々見勘太郎」を書き始めた時は、途中で人生に迷うとしても、最終的には津々見は一人前の男になるはずだったんです。津々見勘太郎って名前もしっかりしているでしょう。

今井……自意識が強くて、物事を深く考えている人間だからこそ、自分の理想と現実がかけ離れている時には、諦めきれないのかもしれませんね。いつか現実と擦り合わせていく時期がくるものだと、自分に照らし合わせて考えていくこともできるなと思いました。

藤谷……いまその真っ最中の人もいるんでしょうね。実際に僕も40歳までどっちに行くかわからなかった。客観的に昔の自分を振り返るようになったから言えることですけど、自分のエゴと折り合いをつけられるかどうかというのは、大きなテーマです。

高頭……なにかすごい者になれると思い続けて、悪い方向に進んでしまった津々見を見ていると、自分が津々見のようには絶対にならなかったとは言いにくいですよね。

藤谷……作家という職業は、エゴがあることで成り立っている商売ですし、子どもの頃からの夢が叶い恵まれた環境にいるのだから、僕としては精神衛生上、とてもいい。でも僕が小説家になれたのは、宝くじに当たったようなものですが、そういうことは世間ではなかなか起こりません。ただ苦しい一方なのですが、仕事に打ち込んだり、趣味を楽しんだりして、なんとか折り合いをつけて生きていく。一握りの成功した人たちよりも、人生がうまくいかなかった人たちに目を向けるのが小説だと思っています。うまくいかなかった経験がある人は、僕の小説に共感してくれるという自信はありますね。

今井……せった君が働いていた「エグランティーナ」に、元カノの小海がいることを知った津々見は、店に通うようになりますが、小海はせった君と付き合っていました。それを知った津々見は、衝動的にとんでもないことをしてしまいます。何年か経って津々見は島崎に手紙を送りますが、そこには「人は皆あとかたもなく消え失せるだけで、何も残さず消えることを嘆くのは、生の本質的な虚栄だ」と書いていました。この言い分は、人生の本質を突いていて、津々見に同調してしまいそうで少し怖かったです。

藤谷……津々見の手紙を書いている時は、僕も津々見のようにしか考えられません。どんな希望も全部シャットアウトして、厳然たる事実を徹底的に書いていきました。どんな卑劣な人間であっても、彼なりの言い分がある。もしかしたら、他のジャンルよりも、津々見の言い分の恐ろしさを考えるには、小説という形が一番いいでしょうね。
 善悪を決めずに、いやなヤツに加担していく。そいつの言い分に付き合ってみる。いいなと思っているヤツにも、駄目なところや、自分がついていけないところがあったりする。ひとつの小説の中に、そんなことを全部詰め込んで表現したかったんです。『世界でいちばん美しい』では、僕がこの十年で体得した小説技術を全部出しています。この小説は複数の主観が存在する「主観のプリズム」なんです。

せった君が天才、というのには抵抗がある

今井……せった君がいなくなった今、彼が作った音楽は、みんなの記憶の中にしか残っていません。それでもその記憶が、残された人たちの心を潤していく。聖書の言葉が歌われている『ドイツ・レクイエム』が出てくるところがとてもよかったです。ただ生きているだけで、誰かに影響を及ぼしている。そう思うと、なにか結果を残さなくてもよいんだなと救われる思いがしました。

藤谷……生きているということだけで波紋が広がるように、他人に影響を及ぼしているんですよね。人間が存在する値打ちは、どこにあるのだろうと長年考えていました。素晴らしい音楽を一つも残せなかったけれど、今も島崎たちの心に息づくせった君に、僕自身が生きている意味を考える上で、託すものがありました。

高頭……この歳になると、生き方について、今改めて考えることが多くなってきます。繰り返される歴史の中の一粒でもよいかなと思えると、希望を感じることができました。

藤谷……未来に希望があるということを真剣に考えると、最初に考えなくてはならないのは、人間が生きることに希望なんかない、ということです。そのことをよく踏まえた上で、前に進んでいくことを語らないと、説得力がないですし、ただの空元気になってしまいます。徹底的にぺシミスティックに人生を突き詰めた津々見の言葉を、なんとか乗り越えられるものを必死で考えて、終章を書き上げました。

高頭……一つ気になるのは、せった君はやはり天才だったんですか?

藤谷……それはわかりません。だってせった君の作った音楽を誰ももう聴くことはできないんだから、証拠がない。せった君は天才だったということには、僕は抵抗があるんです。天才だったから語られたのではなくて、僕の友達だから語った。これは才能についての話ではなくて、絆について物語です。愛とか友情とか憎しみとか、一括りにはできないので、絆という言葉をあえて使いますが。

今井……津々見も樹里亜に振り回されて、結局は破滅してしまったことを考えると、人から何かを奪われることで生まれる絆もありますよね。

藤谷……特権的な人間や英雄は、僕の小説には出てきません。誰もがみんな普通とは違いますからね。僕は「人間は一人一人が違う」ということに目を向けていきたいです。

高頭……単行本化にあたり、タイトルは「けむり」ではなく、『世界でいちばん美しい』になったんですね。

藤谷……「けむり」という言葉じゃ収まらなくなったんです。「けむり」という小説を書きたいと言いながら、そうならなかったというのは、せった君という設定を東日本大震災の後に考えたから。 震災を経験した後の人々に対して向けられる小説は、美しい人間について書かなければならないという気持ちになりました。
 ほかの小説の主人公は、男だろうと女だろうと、基本的には僕の分身でした。でもせった君は、僕の友達なので、思い入れが強すぎて、この小説をまだ客観的に判断できないんですよ。なるべくたくさんの人に読んでいただいて、たくさんの感想を聞きたいです。
 余力をまったく残さず、これ以上のものが書けないと自信を持って言える、これまでで最大の作品です。全力を出してこの程度かと言われても傷つきません。そのくらい愛着がありますし、願わくは、みなさんにもせった君を僕と同じように愛していただければと思います。

 

(構成/清水志保)
 

先頭へ戻る