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加納朋子さん『トオリヌケ キンシ』
世の中がままならないことばかりだからこそ、話の中では救ってあげたい気持ちがあります。
中島京子さん
昨年は映画化された『ささらさや』も話題になった加納朋子さん。最新刊の短篇集『トオリヌケ キンシ』は、どれも登場人物たちがちょっぴり不思議な体験をする話が並ぶ。読み進めていくと自然と見えてくる、全体を通したテーマと、そこに託した思いとは。
加納朋子(かのう・ともこ)
1966年福岡県北九州市生まれ。文教大学女子短期大学部卒業。92年『ななつのこ』で第3回鮎川哲也賞受賞。95年発表の短編「ガラスの麒麟」で第48回日本推理作家協会賞(短編および連作短編集部門)受賞。著書に『七人の敵がいる』『無菌病棟より愛をこめて』『はるひのの、はる』などがある。

数年前に書いたお気に入りの短篇

 田村陽は小学三年生の男の子。その日学校で少しだけ嫌な目にあってふさいでいた彼は、下校途中、いつも見かける「トオリヌケ キンシ」の札を通りぬけてみることにした。ガラクタに溢れた隙間を抜けていくと、生垣の向こうに古ぼけた木造の家が。と、突如現れたのは同級生の川本あずさ。そこは彼女の家だったのだ。学校では言葉を交わしたことのないふたりだが、その日から少しずつ交流を深めていく。そして時は過ぎ、高校生になった陽は、ある事実を知る……。意外な事実で心揺さぶる表題作を巻頭においた加納朋子さんの最新短篇集『トオリヌケ キンシ』。実はこの表題作、2006年に雑誌に発表されたものだ。

「別の出版社の雑誌に単発で書いたもので、自分でもとても気に入っていたんです。そのままになっていたんですが、文藝春秋の担当編集者がこの短篇が好きだと言ってくれたことから、同じテーマで『別冊文藝春秋』に短篇を連載して、一冊にまとめることになりました」

 そもそも「トオリヌケ キンシ」の話が生まれたきっかけは、

「実際に自分がよく通る道に〈トオリヌケ キンシ〉という札が掲げられた場所があって、気になっていたんです(笑)。そうしたささやかなことから話ができることは多いですね。私はよく雪の結晶の芯になるチリに喩えるんですが、小さなチリを見つけて、そこに驚きや発見を加えて話を広げていく感じです」

 二話目の「平穏で平凡で、幸運な人生」は、公園で瞬時に四つ葉のクローバーを見分けたり、ディズニーランドで難なく隠れミッキーを見つけたりできる特技を持つ女の子が主人公。幼少期に娘の能力に気づいた母親は神童だと喜び、その後も多大な期待を寄せている。だがごく普通の高校生になった主人公は、それが重荷で仕方がない。ある日教師から、自分の識別能力を「共感覚」だと指摘され、目からウロコが落ちる。これは視覚の刺激に対して聴覚も反応するなど、通常とは異なる知覚を生じる現象のこと。

「共感覚については以前から知っていて、すごく面白いなと思っていたんです。そういう特性を持った人は、世界をどんな風に見ているのか興味がありました。それだけではなく、今回の話には直接的なきっかけがあります。『探偵!ナイトスクープ』という番組で、即座に四つ葉のクローバーを見つけられる女の子を紹介していたんです。その子によると、四つ葉のクローバーの声が聴こえるというんですね。番組内では“不思議だね”ということで終わっていたんですが、ネットに“これは共感覚だろう”という書きこみがあって、なるほどと思いました。今回そのエピソードを使わせてもらっています」

 教師からの教えによって、自分の特性について理解を深めた主人公。それを特別に役立てることもなく成長していくが、ある時、とんでもない災難に遭ってしまう。

「私が書くものにはあまり悪人が出てこないんですが、ここでは明らかにおかしな人が登場していますよね。理不尽な事件、意味不明な事件は実際に起きる。その不気味さが書けたらなと考えていました」

辛く重い話からラブコメまで

 三話目の「空蝉」は、母親に虐待された過去を持つ少年が主人公。幼い頃、優しかった母親が少しずつ変貌し、精神的にも物理的にも自分を追い詰めるように。その時期に彼の心の支えになったのは「想像のお友達」だった。

「今まで大好きだったお母さんが、突然自分に辛くあたるようになってしまう。逃げ場のない小さな子供にとって、それはなまじのホラーよりも怖いはず。この話は小さいお子さんを持つ親御さんから“辛い話でした”と言われてしまう。でも、現実にひどい児童虐待のニュースは目にしますよね。子供は、ひどいことをする親でも好きだったりするから、そういう子を救う話にしたかったんです。私の物語のなかで子供を救ってあげたくて、逆説的に虐待を書いたといえますね」

 もちろんこの話もただ辛いだけではなく、ひとひねりある展開に。ただ暗いトーンだったため、次の「フー・アー・ユー?」は明るいラブコメ調にした。人の顔がまったく憶えられない少年が、自分は〈相貌失認〉という症状を持つのだと気づき、進学した高校では公言して周囲の理解を得る。順調に生活していたが、ある日、女の子から告白されて困り果ててしまう。なぜなら、相手が誰だかさっぱり分からないのだ。

「相貌失認も興味深い現象だなと思っていました。私自身が人の顔をちゃんと憶えられないんですよね(笑)。一度に複数の人に会うともう無理だし、以前会ったことのある人に“はじめまして”と言ってしまう。だから主人公の彼の気持ちもちょっと分かるんです。そういう人が、せっかく告白されたのに相手の顔が分からない、という状況はどうなのかなと思いました」

 思春期の子が恋をする時、相手の容姿と心のどちらが大事か、というテーマも含んでいる。 「主人公たちの名前も佐藤くんや鈴木さんなどと特徴のないようにして、顔だけでなく他の個性もなるべく排除しました。この話には〈相貌失認〉のほかにもうひとつ、ある症例を入れています。こちらも自意識が芽生える思春期の頃には誰しもが多少は感じるものだし、私も気持ちがすごく分かります。最終的には、主人公が自分は“人を見る眼がある”と言えるくらい成長するまでを考えました」

 五話目の「座敷童と兎と亀と」はご近所小説。兎野家は両親と、大学生と高校生の息子の四人家族。そこに近所に住む亀井のおじいちゃんが訪ねてくる。妻を亡くして一人で暮らし始めたばかりの彼は、家に座敷童が出ると言う。兎野家の母は驚き、次男とともに亀井家を覗きに行くのだが……。この兎野家のお母さんが、さっぱりした性格でとても魅力的!

「うちには娘がいますが、男の子だけのお母さんってからっとしていて豪快そうで、憧れるんです。兎野さん一家は人気があるようで、この家族のお話を書いてほしいとも言われます」

 この短篇の読みどころは、不思議な現象の謎が明かされるところだけでなく、真相を知った時に周囲がどのような行動をとるのか、というところ。亀井のおじいちゃんのために、ご近所さんみんなが協力する姿がなんとも微笑ましい。

 そして最終話の「この出口の無い、閉ざされた部屋で」では、部屋から一歩も出ずに生活している少年が、夢の中では自由になれるからと、明晰夢を見ようと試みている。これは、夢だと自覚しながら見ている夢のことである。

「訓練次第で誰でも明晰夢を見られるようになるといいますよね。夢の世界は本人しか分からないので、証明はできませんが」

 この話に関しては、ネタバレを避けてあえてストーリーは説明しない。ただ、「座敷童〜」の登場人物がここでも顔を出すことと、これまでの五話に関わるエピソードが少しだけ挿入されていて読むと嬉しくなることは、書いても構わないだろう。

「共通の人物をちらっと出すことで、同じ地平線上にいる人たちが、みんないろんな思いや事情を抱えて生きているんだということを表せたらいいなと思いました。実際に自分の隣にいる人だって、自分の目に見えないところでいろんな思いを抱えて生きているかもしれない、と思えるようになれたら」

人と人との繋がりと温もり

 短篇のなかには、過去の出来事が現在に大きく関わってくる話もある。自分が気づかないところで、誰かを救っていた話も。

「自分は人から与えられてばかりだと思っていたけれど、実は与えていたこともあったという発見は嬉しいだろうなと思います。それに、過去にあった出来事が、将来的に解明される展開は非常にドラマチックで好きですね」

 人と人とが繋がっていくことの良さをしみじみ感じさせてくれる本書。

「人のストレスの大本ってたいてい人ですよね。人を傷つけるのは人。でも、人を救えるのも人なんです。そういうことがお話にできればいいなと思っています。人が一人だけでは物語はまったく広がりませんから」

 また、どれも驚きが用意された展開となっているのは、ミステリ作家でもある加納さんならではだが、

「この短篇集はいわゆる一般の人が思う推理ものとはまた違いますが、ミステリとしても読めるんじゃないかなと思っています。実際、ミステリ好きの読者の方にも気に入ってもらっているようなので安心しています」

 謎の解明や解決が、誰かを幸福に導く過程に繋がっていく。どの作品も、じんわりと優しい気持ちになれる。

「小説を書いていていちばん思うのは、ハッピーエンドにしたいなということです。大団円が好きなんですね。世の中がままならないことばかりだからこそ、話の中では救ってあげたいなという気持ちがあります。だからこの短篇集も、なかには厳しい話もありますが、必ず救いがあるようにしたかったんですね」

 また、共感覚や相貌失認などの何らかの特性を持つ人が登場したり、人の身体に関することが話の主軸に絡んでくる点も、この短篇集の大きな特徴となっている。

「それはやはり、自分が病気をしたということが大きいと思います」

 という加納さんは、2010年に急性白血病と告知されて緊急入院、抗癌治療を経て、弟さんからの骨髄移植を受けた。その経験は、『無菌病棟より愛をこめて』(文春文庫)に詳しい。

「病気をしたことで、人の身体の面白さと不思議さ、何か一歩調子を崩した時の怖さを実感したんです。それで、こういうテーマになっていったという気がします。幽霊も人の脳が見せているんだという話があるし、その人の特性によって他の人が真似できない超能力みたいなことができてしまう場合もありますし、人の身体って本当に不思議ですよね」

 ハッピーエンドを書きたい、という加納さんだが、この作品集のなかには、救われなかった人も登場する。

「実際に病気を通して知り合った方で、亡くなった方や再発したという方もいる。どんなにいい子でも、どんなに生命力に満ちた人でも、病気は人を連れていってしまう。その理不尽さは書いておきたかった」

 現実の厳しさ、理不尽さを自覚して、そこにも目を配りながら書いているからこそ、加納さんの描くハッピーエンドは絵空事ではない優しさと温かさに満ちているといえるのだろう。

次回作はあの小説の続篇の予定

 闘病生活から四年。昨年秋刊行の『無菌病棟より愛をこめて』文庫版あとがきにも近況を寄せているが、

「今はかなり元気になったので、周囲からも“安心した”と言われています。なによりも昨年『はるひのの、はる』とこの『トオリヌケ キンシ』を刊行できて喜んでくださる方がたくさんいて、私も嬉しいです」

 昨年は『ささらさや』の映画化公開関連でも多忙な日々を送っていた。

「映画もほぼ原作通りで嬉しかったですね。映画をきっかけに小説を読んでくださったという方も多くて、十年以上前に書いた作品が重版かかるなんて本当にありがたいですよね(笑)」

 それもあって予定がずれこみ、

「本当は今頃『七人の敵がいる』の続篇を書いているはずだったのに進んでいなくて、まずいなと思っているところです(笑)。前作はPTAの話が中心でしたが、今度は部活の話。今の部活って、親が大変なんだそうです。教師もキャパオーバーなので、親の協力なしでは部活ができなくなっている。吹奏楽部の子供たちの定期演奏会の会場を押さえるために、市民ホールの受付三日前から親たちが交替で徹夜して並ぶという話も聞きました。私は部活ものの小説を読むのが大好きなんですが、その裏バージョンを書こうと思っています」

 

(文・取材/瀧井朝世)
 

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