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西 加奈子さん 自分が書いたもののなかで、いちばん明るくて、未来のある本になったと思います。
西 加奈子さん
世の中の価値基準や自意識の問題をさまざまな角度から考え、小説にしてきた西加奈子さん。新作『舞台』は今までとは違ったアプローチで同じ問題に取り組んだ会心作。自身も好きで何度も足を運んだニューヨークを舞台に、自意識過剰な魂の彷徨が描かれる。
西 加奈子(にし・かなこ)1977年イラン・テヘラン市生まれ。大阪育ち。2004年に『あおい』でデビュー。著書に『さくら』『きいろいゾウ』『円卓』『漁港の肉子ちゃん』などがある。『通天閣』で織田作之助賞、『ふくわらい』で河合隼雄物語賞を受賞した。最新刊は『舞台』。

一人旅でNYを訪れた青年

 二十九歳、無職の葉太ははじめての海外旅行、はじめての一人旅でニューヨークを訪れる。ホテルではなく短期滞在のアパートメントに宿泊し、食事もチェーン店ではなくローカルな店を選ぶなど通ぶっているけれども、実は『地球の歩き方』を丸暗記し、失敗しないように準備を重ねてきた。彼は観光客であることをまるだしにしてはしゃぐことができない。なぜなら彼は幼い頃から、はしゃいだらバチがあたるという自戒の念を持ち続けているからだ。しかし今回の旅で、彼にはどうしてもやってみたいことがあった……。

「ニューヨークは大好きな街で、一時期は映画でも音楽でも小説でも、この街が出てくるものばかり観たり聴いたり読んだりしていました。実際に5〜6回行きましたね。街を歩いていると、この場所はポール・オースターの小説に出てきた、ここはウディ・アレンの映画で見た、と思うことがたくさんある。どこに行ってもフォトジェニックですごく興奮します。それこそ舞台に立っている気分になれる街ですね」

 旅行中は西さんも『セックス・アンド・ザ・シティ』のキャリーの気分で歩いたり、セントラルパークの芝生に寝転がってみたり。

「その時は楽しいのに、帰りの飛行機で“自分何しとってん!”って大声をあげたくなるくらい恥ずかしくなるんです(笑)。そういう感情がもっともっと過剰な子がいたら面白いだろうなと思いました。私の体験や、友達に聞いた話を投影して、いろんな人の自意識を集めた権化が葉太くんなんです」

 タイムズスクエアを訪れて、あまりにも“タイムズスクエアすぎる”光景に面映ゆい気持ちになり、そこにいる自分がいたたまれなくなってしまう。そんな主人公像は、今までの西さんの小説とはちょっぴり異なる印象だ。

「これまでは『ふくわらい』の鳴木戸定ちゃんのように、自意識が欠落した天使みたいな人を書いてきました。そうすると“西さんの小説を読むとそのままでいいんだと言ってもらえる気がする”と言われることが多くて。それはとても嬉しいんですけれど、“そのまま”を“ありのまま”ととらえている人もいるんじゃないかなという気もしていました」

 ここでいう“ありのまま”とは、自意識から解放された、いわば無垢な状態。

「“ありのまま”というよりは、美しくなくても性格に難ありでも“そのまま”でいいんだということをちゃんと書いてみたくて、葉太くんのような主人公を登場させました」

 他者からどう見られるかを気にしている“葉”の字がつく主人公といえば、太宰治の『人間失格』が思い浮かぶ。実際、葉太も十代の頃にこの小説を読んで感銘をうけたクチ。

「あの小説を思春期の頃に読んだ人の多くが“自分のことが書かれていると思った”と言いますよね。あんなに苦しい話なのに、そこに自分を投影できるということは、みんなも苦しかったんだなって思う。その感覚が大人になっても続いている人もいる。今回は『人間失格』にオマージュを捧げたというよりは、あの小説を読んで共感したすべての人に“自分もわかるで”ってことを言いたかった」

 二十九歳という年齢設定にしたのは、自分もそれくらいの年齢ではじめてニューヨークを訪れたから。さらに、

「男の子で二十九歳というと、ヒリヒリしていそう。もうすぐ三十歳なのにまだこんなに苦しいのか、って思っているんじゃないかな」

亡父への屈折した思いを持つ青年

 葉太がこういう性格になった理由のひとつは父親にある。今回の旅費は父親の遺産から捻出したものだが、亡くなった父は人気作家で、生活スタイルもおしゃれで有名だった。彼はそれをしゃらくさい、と思って軽蔑してきたのだ。

「葉太くんは小説が好きな人。でもいちばん好きなものに関わっているのが、自分が軽蔑してきた父親だったんです。反面教師のように思いながらも、同じ方へと手を伸ばしてしまう。そこには母と娘とはまた違う、複雑な父と息子の関係があるんじゃないかなと思う。ただ、私はお父さんのような人も好きです。何万人もの人が持っているイメージにそぐわないように振る舞い続けるのは、思いやりでもあるから」

 葉太の自意識は二方向に分裂している。まず、調子にのって目立ってはいけないという自己防衛の欲求。と同時に、本当はみんなに自慢できるようなことをしてみたいという自己顕示欲も。

「アンビバレントな状態ですよね。例えばガイドブックに“日本人もよく訪れる”と書かれてある場所は避けたいけれど、そういう場所に行ってみたい気持ちもある。がんじがらめになっているんです。人の目を避けたいのにハンサムだから人が寄ってきてしまうところがあるし、しかも幽霊が見えるという能力まである」

 そう、実は葉太には幽霊が見えるという不思議な能力がある。そのことは小さい頃からひた隠しにしてきた。

「人の視線をすごく気にしている人なのに、つねに幽霊に見られているという状態にして、どんどん彼を追い詰めてみたかったんです。それに、例えば小中学生の頃の修学旅行の時にすぐ“この場所なんかおかしい”などと言って霊感があるように振る舞って、気を引こうとする人って必ずいましたよね(笑)。葉太くんはそういう人のことをイタイと思っていたから、自分は本当に幽霊が見えるのに、そのことを人に言えずにきたんです」

 旅行中も周囲を気にしながら行動している彼だが、ひとつだけ、譲れない目的がある。それはセントラルパークの芝生の広場、シープメドウに寝転がって、大好きな作家、小紋扇子の新作小説『舞台』を読むこと。ちなみにこの『舞台』の装丁は本書、つまり西さんの『舞台』と同じ。つまり小紋扇子=西加奈子、というメタフィクション的な遊び心も。

 旅行初日、その目的が果たされる瞬間、つまり自意識を解放した瞬間、葉太は盗難にあってしまう。パスポートも財布もカードも入った鞄を見知らぬ男に奪われてしまったのだ。しかも自意識過剰な彼は取り乱すこともできず、“旅行初日で盗難”という間抜けな事態を恥ずかしがって、盗難届を出すのは数日経ってからにしよう、と判断。

「ここはもう、笑いながら書きました。笑うしかないですもん。目先の苦しさをごまかすために、肝心なことを後回しにしてしまう。それだと後々になってもっと大変なことになるのに」

 宿代は先払いだったため宿泊場所は確保できているものの、残されたのはポケットに残ったわずかなお金と一冊の本、スマートフォンくらい。その後の数日間、その状態で彼はニューヨークの街をさまようことになる。

『地球の歩き方』は明るい

 この小説には『地球の歩き方』の引用が随所に登場する。葉太が暗記したという設定だが、彼はその本をある場所で見つけたという。

「私の部屋の本棚にも『地球の歩き方』のコーナーがあるんですが、そこだけ異常に明るい印象があるんです。文章もてらいがなくて明るいんですが、なによりこれから旅行する予定のある人、明日がある人が読むものならではの明るさがある。もしかすると自分には明日がないという人が、明日があることに希望をかけて買っていたとしたら、泣けてしまうな……ということも考えながら書きました」

 引用部分はあえて言外の意味を含まないような、明るい文章を選んだという。また、実際に西さんが訪れた場所や、歩いた道も本文中に入れ込んでいった。

「執筆中も二回ニューヨークに行きました。そのうちの一回は、なかなか先を書けなくなった時。葉太くんが盗難にあった夜、なかなか朝がこなくて心細くなっている状態の場面から進めなくなってしまって、もう一回自分でニューヨークを歩いてみようと思ったんです。その旅行がちょうどハリケーンが来て交通網も復活していない時期にあたって、本当に心細かった。その気持ちが葉太くんとシンクロして、ホテルで一気に書き進めることができました」

 盗難にあった翌日から、街をひたすら歩く葉太。何も持たない自分は今自由だと感じ、高揚した気分に浸るものの、次第に疲労が募り、彼の心身に変化があらわれていく。

「すべてを失って丸腰の自分になって、歩いたり走ったりしてしんどい状態にさせたかった。最初のうちは“今、しんどいと思っている自分”を意識するけれど、だんだん“しんどい”としか思わなくなってくるはず」

 どんどん無垢な自分になっていこうと望む葉太。しかしある場所を訪れた時、彼は数えきれないほどの視線にさらされて──。

「もともと自意識が希薄な状態を目指していたのに、でも結局は自意識から逃れられないことに気づく。そういう展開にしたかった。そういう自分をどこか上から見た時に、めっちゃ面白いと思えたらいいな、って」

 結局人は何かを演じ続けなければならない。でもそれを否定的に思うことはない。

「人は生まれた時から何かの役割を担っていますよね。親の子供という役、あるいは親がいない子という役もあるし、誰かの友達、誰かの恋人というような役もある。役割のない役、というのもあるかもしれない。世界という舞台で、人はいろんな役割を演じ続けている。だから何も演じない“ありのまま”というものはないと思うんです。役割が多いことは嫌なことではなくて、むしろありがたいなと思う。役割が多ければ、楽しいことも多そうですし」

 自らの自意識に悩むことの多かった西さん自身も、本作を書きながらそう気づいたという。

「これまでは、たとえば開発途上国に行って贅沢したらあかんなと反省するのに、帰りの空港の免税店で“この香水すてき!”なんて思う自分のことを矛盾しているなと思っていました。でも、どっちもあっていいんですよね。どちらかを選べばどちらかがゼロになるわけではないと気づいて、すごくラクになりました。自分の中にいろんな自分がいて、それでいい。そのままで頑張れ、って思えるようになりました。葉太くんの物語を書いたことで、自分のことが好きになれたんです」

 最初は葉太を馬鹿にしていた読者だって、きっと最後には葉太に対する気持ちは変わっているはずだ。そして実は、しゃらくさい男だった父親に対しての印象も変わるはず。

「この小説では葉太くんのこともお父さんのことも、少しだけ出てくるお母さんのことも、誰のことも嫌いにさせたくなかった。最後は読者の人がみんなのことを愛してくれますように、と思っていました」

 それを達成することができた今、

「自分が書いたもののなかで、いちばん明るくて、未来のある本になったと思います」

今年は作家生活十周年

 これまで取り組んできたテーマに、また異なるアプローチを試みて書き遂げた西さん。今年は作家デビュー十周年を迎える。本誌に連載がスタートしたばかりの「サラバ!」は、その記念的作品にするつもりだ。一人の青年の半生をその誕生からつづっていくが、テヘラン生まれであるなど西さんの経歴と似ているところも。

「島本理生さんが十周年に『アンダスタンド・メイビー』を書いたことに影響されたこともありますし、ジョナサン・レセムの『孤独の要塞』のような、成長小説が好きで、自分でもやってみたかったんです。これまでにも海外生活のことを書いてくださいという依頼はあったけれど実現させたことがなかったので、この機会に書いてみようとも思いました。ただ、自分自身のことだと思われるのは本意ではないので主人公の性別は男性にしています。今、七百五十枚まで書いてあるんですけれど、先は長いのにまだ高校生で……(笑)。実際に本にする時は削るかもしれませんが、まずは書きたいことを書こうと思っています。十周年記念なので、今年のうちには本にしたいです」

 

(文・取材/瀧井朝世)
 

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