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震災のことなしでは物語が生まれない

広沢……刊行前に『さよなら、ニルヴァーナ』をゲラで読ませていただき、書店員としてとても光栄でした。この作品は神戸連続児童殺傷事件から何らかの作用を受けたように読める小説ですが、とても重いテーマを選ばれていますよね。加害者がまだ十四歳だったこともあり、残虐な少年犯罪にどう対応していくのか、日本社会全体が手探り状態だったように記憶しています。

……私がデビューした直後に、ある編集者の方と、阪神淡路大震災やオウム真理教の事件があった1995年は、日本にとってなにか意味のある変わり目の年だったのではないかと話したことがありました。97年には神戸連続児童殺傷事件が起こりますが、その編集者の方は当時、事件があった町を取材されたことがあって、現場の様子を教えてくれたんです。緑が繁茂しているような本当に静かな町だったという、彼の言葉から自然と映像が出来上がって、いつかその風景を描きたいと思っていました。

富田……当時、私はまだ小学生だったので、家族から事件の報道をTVで観ないように言われていました。本当に衝撃的な出来事でしたよね。

……ニュースで事件のことを知ってはいましたが、小説家になってからその話を詳しく聞いたことで、私の中で刻印のように残ってしまったんです。ただすぐに小説にしようとは思っていなくて、2011年に東日本大震災があった後に物語の形にしてみたい気持ちがより強く意識されました。津波に家や町が一瞬で呑み込まれていく様子を見て、実際には経験していない私たちですら精神的に傷ついた。少年Aも阪神淡路大震災で被災していて、ある種の世の中の裏側を見てしまった経験が、彼に何かしらの影響を与えていたように感じました。私がデビューした翌年に震災があったので、震災のことなしでは物語が生まれなくなっているので、二つの大地震はこの作品の根底にあるテーマですね。

重い荷物を背負っているような気持ち

広沢……少年Aに運命的な出会いをした女性三人の視点でこの小説は描かれています。作家志望の今日子はなかなかデビューができず夢を諦め、母親と妹家族が暮らす実家に戻ってきます。彼女は小説教室の教師や同級生だった男と、少しも愛情がないのに体の関係を持ってしまうのが気になりました。

……今日子はセックスをしていても情の交わりがなく、むしろ自分を痛めつけるためにしているようなところさえありますよね。この小説ではほかにめちゃくちゃな行動をする人たちが登場するので、小説を書くという欲求以外にはわりと普通な女性である今日子にも、ある種の歪みを持たせています。

富田……相手の男性にも今日子への愛はなく、お互いが体だけを求め合って、自分の商品価値がゼロではないことを確認しているようでした。今日子は自分の意志はあるものの、家族からの無茶な要求に応えたり、つい周りに左右されてしまう。今日子に共感できる女性は多いかもしれません。

きらら……少年Aが少年院を出所後、名前を変えて今日子の住む町で生活しているという噂がたちます。作家として気になるのか、今日子は少年Aのことをネットで検索し始めますが、今日子のほかにも少年Aを「ハルノブ様」と呼び動向を探っている女子高生の莢が登場します。倫理上は間違っていたとしても、残虐なものや過激なものに惹かれてしまうことってありますよね。

……今の時代、残虐な殺人犯が対象ではなくても、興味のある人を調べようと思えば調べられる怖さがありますよね。SNSなどを追っていると、相手のライフサイクルやタイムスケジュールが見えてくる。その人にどうしても会いたいという気持ちが強いと、十代だったら行動に移してしまうように思いました。

富田……阪神淡路大震災で父親を亡くしている莢は、母親の恋愛に振り回された経験があります。相手から応答がない状態で、一方的に少年Aを想っている状態が彼女にとって心地よかったようにも見えました。

広沢……莢は事件があった町に行くだけではなく、現在の少年Aの居場所まで調べあげていきます。最初は軽い気持ちだったものが、まっすぐな恋愛感情に変わっていったのかなと思いました。
 この物語の中で、窪さんは少年Aに想い寄せる莢と被害者である光の母親を出会わせてしまう。母親が仕事で不在がちの莢は、被害者の母親をなっちゃんと呼ぶほど親しくなりますが、二人が絡むことで深い話になっていて、窪さん、さすが!でした。

……書き始めたころはラストまでのプロットなどはなかったのですが、フィクションの中でしか二人は出会うことはないので、自然とそういう流れになりました。

きらら……母親からの愛情を受けずに育ったなっちゃんは、自分が与えられなかったものを家族に注ごうと生きてきましたが、光を失ったことで家庭が壊れてしまう。読んでいてもつらい気持ちになりました。

……書いていて私もつらかったです。私にも子どもがいますし、子どもを亡くした経験もありますが、殺されたわけではないですし、私の想像がつかないことがどうしても作品から零れていってしまう。被害者の方に今も続く地獄は、この程度のものではなくて、もっともっと残酷なはずです。それがわかっていても書きたい気持ちが勝ってしまったのは、自分の中にも悪魔がいるんだと思いました。この本がなにかしらの形で話題になったときに、加害者と被害者遺族の双方にどういう反響があるのかを考えると、重い荷物を背負っているような気持ちです。

自分の中にある小さい点を拡大して書く

富田……タイトルに「ニルヴァーナ」という言葉が使われていますが、目次を見てすぐに、第六話の「アバウト・ア・ガール」がニルヴァーナのセカンドアルバムに入っていた曲だと気がつきました。

……章タイトルは曲しばりでいこうと決めていたんですが、だんだんきつくなりましたね。物語に合わせて、実在する曲名を少し変えたりしています。ニルヴァーナの音楽を書くのではなくて、曲を聞いた時にわき起こる気持ちを小説にしてみたかった。それとニルヴァーナのカート・コバーンのショッキングな最期と少年Aのイメージが私の中では結びついていました。

広沢……少年Aの視点で彼の幼少期と、少年院出所後に倫太郎という名で生活している様子も書かれています。参考文献にあったノンフィクションも読んでみたのですが、その本から受ける少年Aと窪さんが作り上げた人物像は違っていて、残忍な犯罪者でありながら血の通った人間であるように感じました。

……小説とノンフィクションとでは、少年Aと自分を切り離して書くかどうかに違いがあります。自分と彼とはどこか地続きの存在で、同じような状況になれば、自分にも起こし得るかもしれないという気持ちは常に持っていました。たとえ許容はできなくても、殺人になにかしらの理由があるということは書きたかったことです。

富田……作中では少年Aが宗教にのめり込んだ母親と一緒にあるカルト集団で育っています。学校にも通わない生活の中で、彼は周りの様子を注視しながら控えめに生きています。子どもは親を選べないため、早い段階で自分の人生を達観すると、彼のような人間になるのかなと思いました。

……少年Aの出自や彼がカルト教団の中で育つというのは私の創作です。そこは想像していくしかない。カート・コバーンの妻だったコートニー・ラヴは、親に連れられて、アメリカ各地でヒッピーのような生活をしていました。ほかのバンドですが、カルト教団の中で育った人もいて、時代背景的なものは意識しました。

富田……読み進めるうちに、少年Aを巡る個別だった物語が複雑に絡み合っていきます。殺したいほど憎んでいた倫太郎を前にした時のなっちゃんの苦悩や、莢に娘の面影を重ねてしまっている姿に、彼女の静かな狂気を感じてぞくっとしました。

……莢を娘のように思ってしまったことで、新たな苦しみが生まれてしまったんです。被害者遺族として生きるなっちゃんのリアリティが、いつしか少年Aに繋がっているところもあります。

富田……最終話ではある小説で作家デビューした今日子と結びついていきます。「終曲」という章タイトルをつけられていますが、それぞれのリスタートのように読み取れて、物語が終わってもなお人生が続いているように感じられました。 

広沢……僕はタイトルの「ニルヴァーナ=涅槃」という言葉どおりに受け取って、もうそんな平和なんていらないという窪さんの強い意志や、小説家としての生き様を垣間見たような気がしました。

……この小説では作家が登場するので、どうしても書き手である私と今日子を重ねて読まれる方もいると思いますが、どの登場人物も自分の中にある小さい点を拡大して書いています。殺人したい気持ちはわからなくても少年Aと自分との接点を見つけて近づいていく。完全に理解することは難しいですが、震災や育った環境などが影響して、悪い意味のほうに振れた結果、殺人という表現をしたのかもしれないと書き終わった時には思いました。小説家は誰かに罵倒されようが、小説を書かずにはいられないところがあります。向かう先は違っていても、「なにかを表現したい」「認められたい」という気持ちは殺人犯も小説家も似ているように思います。

広沢……初読では、それぞれの女性と少年Aの独立した話のように感じられ、つい少年Aの行動心理に目がいきがちだったんです。でも二回読むと、世界と折り合いをつけようとする大人になった彼の姿のほうに意識がいきました。ラストは残酷で後味は悪いかもしれませんが、凄みのある骨太な小説を読ませていただきました。

……かすかな光を感じさせるようにうまく収めた書き方もできたかもしれません。でも現実に起こった事件に対しても、書いている私自身に対しても、それは嘘でした。巻き込み型の小説というか、かなり重いものを投げかけてしまったので、読まれる方もしんどいと思います。でも今の日本でこういう本を出させていただけるのは本当に幸運なこと。救いもなく、悲劇しかない小説があってもいい。みなさんに読んでいただければ、それだけで私はよかったなと思えます。

(構成/清水志保)
 

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