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料理は人類の営みの積み重ね

きらら……『スープの国のお姫様』は、本誌での連載時から大幅に改稿され、タイトルも「クッキン」から変更されましたね。

樋口……連載が終了したのが、ちょうど東日本大震災があった年でした。連載をしていた時は、日常の中でのルーチンを大切に書いていて、毎日スープのストックを取るような描写を入れていたんです。でも震災が起きてからは、繰り返される日常が当たり前のことではなくなってしまいました。連載当時とは状況が変わってしまったので、単行本化にあたり、どう書き直したらよいのか模索した結果、この形になりました。

大浪……元料理人の〈僕〉は、ある屋敷に住むマダムにスープを作る仕事を元カノから紹介されます。数ある料理の中からスープをテーマに選ばれたのは何故ですか?

樋口……スープは料理の基本ですし、最も古い料理でもある。それとスープって家庭料理なんです。わざわざレストランで食べるものじゃない。それがかえって人間関係を書くのに向いているかなと。また、スープはことこと煮てゆっくり作るので、小説で描きやすい。実際の厨房の現場はもう忙しくて、話をしている余裕なんてないんですよ(笑)。

櫻井……第一話ではマダムからオーダーされた「ポタージュ・ボンファム」というスープを僕は作りますが、マダムの思ったような味にはなりません。自分の経験を思い返しても、確かに昔食べた“あの味”という特別なものがあります。いくら美味しくても、忘れられない“あの味”とは違うことってありますよね。

樋口……料理の美味しさには、三つの要素があります。一つは食材の美味しさ、二つ目は料理人の腕。そして三つ目は物語性だと思うんです。同じ料理であっても、誰が作り、誰と食べたかによって味も違って感じます。とかく食材の良さや料理人の腕自慢になることに違和感があったので、この小説ではある料理を成立させる背景を物語に落とし込みたいと思いました。

大浪……マダムが望むスープを作るために、マダムの孫で料理本マニアの千和の力を借りますが、知識は豊富なのに、千和は料理をしたことがないというのがよかったです(笑)。

樋口……千和が料理本マニアという設定は、物語を支えてくれましたね。料理を〈僕〉が担当して、知識の部分を千和が補完するという分担ができたことで、この小説は成功したように思います。

櫻井……「ポタージュ・ボンファム」はいわゆるポタージュスープのことで、冷やすとビシソワーズになると、この作品で初めて知りました。料理の歴史やそのスープが登場した舞台裏がほどよく盛り込まれていますが、樋口さんの優しい文体のおかげで、自然と料理の知識が深まりました。

樋口……ありがとうございます。僕自身がまるで千和みたいに料理本マニアなんですよ(笑)。料理本マニアの問題点は、料理本以外の本もたくさん買ってしまうことですね。料理の記述は民族学や文化人類学の中に散見しているので。結局、料理は人類の営みの積み重ねなんですね。

現在から歴史を描くということを意識

櫻井……第二話では、マダムの使用人であるキサキの元妻・ユリから「ビールのスープ」を作るよう依頼があります。毎回マダムがオーダーするのかと思いきや、新しい登場人物が増えていくのが効いていますね。「ビールのスープ」があるなんて本当に驚きました。先日、樋口さんが書店員のために開かれた会でこのスープを作っていただきましたが、とても美味しかったです。

樋口……これはちょっと想像できない味ですよね。レシピは提示していませんが、どのスープも作中の工程どおりに作れば、みなさんにも再現できるように書いてあります。

大浪……「ビールのスープ」、食べてみたいですね。ユリのイメージとこのスープが合うように思いましたが、この話はスープありきの物語なのでしょうか?

樋口……スープの起源を書きたくて「ビールのスープ」を出すことにしたんです。歴史を歴史として書くと、作中の時制と連続性がなくなってしまうので、現在から歴史を書くということを意識しました。このスープが持っている背景はいくつかありますが、その中からバッハのエピソードを選びました。この小説を書いている時は、書きたい物語に合うスープを探すパターンと、登場させたいスープに合わせて話を構築するパターンがありましたが、これは後者ですね。

きらら……キサキは屋敷やマダムのことなど全て把握しており、絶妙な塩梅で僕や千和をアシストしてくれますね。

樋口……年長者であるキサキは非常に重要な存在で、彼らに道を示してくれる人なんです。キサキが語ることは、「毎日きちんと仕事をする」とか「仕事とはどういったものなのか」ということ。人生の先輩であるキサキによって、〈僕〉は「仕事」というものへの考え方を確立していきます。今まで僕が書いてきた小説では、同世代間での交流を主に書いてきましたが、この作品ではマダムやキサキといった人生の先輩から受ける助言の大切さも描いています。

きらら……第三話の「ロートレックのスープ」では、マダムの十年来の知り合い・沢村先生の家で出張料理をすることになります。以前、きららの対談でお会いした際に、樋口さんも出張料理人をされていたと伺いましたが、この物語ではご経験が存分に活かされているように感じました。

樋口……そうですね。全部仕込んでから持っていくことや、下にビニールシートを敷くなど、実際のケータリングのディテールも丁寧に描きました。「ロートレックのスープ」では、料理本以外の本に書かれているスープの話を書きたかったんです。開高健のエッセイ本に書かれた料理のことに触れた小説は、おそらく他にはないと思います(笑)。

大浪……美術が専門の沢村先生は、画家が残したレシピを再現して食べたことがありました。しかしこのことがきっかけで、息子の伸一との間に行き違いが起きます。この話では食肉について考えさせられました。

樋口……この父子の話では、命を繋ぐということがテーマになっています。命あるものを食べることが正しいのか、正しくないのか、とても難しい問題です。パック詰めされた精肉ばかり見ていると、命を食べているという感覚がなくなってきてしまう。なかなか答えの出ない問題ではありますが、料理人としていえば、食べたいと思う人がいれば料理しますね。料理というのは相手がいて初めて成立するもの、食べてもらうことによって完結するものなんです。

虚構が現実より劣っているとは限らない

櫻井……第四話「偽ウミガメのスープ」は、まずどんな味がするのか興味をそそられました。先の書店員の会で実際に食べましたが、これもまた美味しかったです(笑)。

樋口……ありがとうございます。肉の旨味を凝縮させるため、このスープは作るのに数日かかるんですよ。味はさらさらとしたビーフシチューといったらいいでしょうか。このスープは成立した時代がほぼ確定している数少ない料理だと思います。

大浪……「偽ウミガメのスープ」をオーダーしたマダムの妹・摩耶子は、ちょっと意地悪な印象を与える女性ですね。マダムと瓜二つというのが面白かったです。

樋口……摩耶子は未だかつて僕が書いたことがなかったキャラクターですね。顔がそっくりな老姉妹が並んで食事をするシチュエーションを描いてみたかったんです。この第四話は『不思議の国のアリス』に出てくる話を基に構築していきました。本物と偽物についての物語です。そういえばこのモチーフはデビュー作以来ですね。現実を本物とすると、フィクションは偽物になりますが、僕が書きたいのは虚構が現実より劣っているとは限らないということ。真偽について、なにか惹かれるものがあるんですよ。

大浪……最終話「せかい1おいしいスープ」では、主人公の二人がそれぞれ探し続けていたスープに辿り着きます。〈僕〉は母親を、千和は両親を亡くしており、二人の喪失の痛みが、あるスープによって癒されていくさまが胸に響きました。

櫻井……スープ作りの無理難題を解決していくミステリとしても、各話を楽しく読めましたが、最後には物語の全貌が明らかになって、まるで飲んだスープが身体に沁み渡るような感動を覚えました。

樋口……近しい人を亡くした心の痛みや喪失感に触れたのは、やはり震災の影響があったかもしれません。震災後、被災地で料理をする機会がありました。炊き出しなどで料理人がとても必要とされていたこともあって、初めて料理人になってよかったと思いました。

櫻井……料理は食べて消えても、味は記憶に残っていく。本も料理と一緒で、本を読むとその時の想いが絶対に残りますよね。千和が料理本を愛読している姿に、そんなことも考えました。

樋口……僕は料理と同じくらい、本も好きなんです。最終話はマーシャ・ブラウンの絵本をタイトルに選びました。料理人の主人公と、料理本マニアの千和というのは、僕自身の一部分かもしれません(笑)。

大浪……装丁には漫画家・浅野いにおさんが千和を描いていますが、こんなにかわいい分身がいるなんて、小説家の方はすごいです(笑)。

櫻井……今月から映画が公開された『大人ドロップ』は、王道の青春小説で大好きな作品でした。

樋口……『大人ドロップ』は発表してからだいぶ時間が経っているので、読まれると恥ずかしい気持ちもあるんですが、映画のエンドロールに自分の名前が出た時には感動しましたよ(笑)。映画には映画の、小説には小説の魅力がそれぞれあります。『大人ドロップ』は自意識の揺れを書いた内向的な小説ですが、『スープの国のお姫様』はこれからをどう生きていくかという前を向いた物語。この作品を通して、僕たちが進む世界の先はずっと広いんだと、震災後を生きていく方々に伝えたいです。

 

(構成/清水志保)
 

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